銚子水産軍事大学

都市と自意識

銚子水産軍事大学 第1話「磁磁磁」

 大きな水槽の前に型落ちのブラウン管テレビをガラガラと運び、リモコンの再生ボタンを押した。


 ビデオテープに刻まれた映像が映し出される。


 海岸に積み上げられた大量の消波ブロック。嵐が来ている。消波ブロックたちに、白い波がざばりざばりとふりかかる。灰色のブロックで波が砕けて、飛沫になる。


 この映像に、水槽のなかに住まう海の生き物たちがどう反応するのか、というのが教授(とわたし)の研究テーマだった。


 おっと。教授が小さく言った。ご覧。長い人差し指で、水槽の下あたりを示した。


 赤いタカアシガニがいた。細長い脚を、ぐ、と伸ばし、からだ全体をブラウン管テレビの方へと近づける。


 からだから突き出た真っ黒でつぶらな瞳は、何を見ているのかわからない。


 テレビのなかでは、消波ブロックたちが過酷な環境に身をさらされている。ステレオスピーカーからごうごうと風雨の音が、薄暗い廊下に響く。海底の海流の音はこんな感じなのだろうかと、わたしは思う。


 ピ。白衣のポケットにつっこんだ右手、その手で握っている粒子センサーが音を立てた。ディスプレイを見ると、わずかに数値が上がっていた。


 教授。わたしは言った。出てますね。


 うん。教授は言った。音、上げよう。


 リモコンを操作する。緑色のバーが増えていく。


 暴風雨の音が廊下じゅうに響く。教授は澄ました顔で、水槽のなかのタカアシガニを見ている。わたしはその青白くうつくしい横顔を見ている。タカアシガニは消波ブロックの映像を見ている。


 ふと、視線を感じた。そちらに目をやる。魚たちが素早く泳いでいった。


 粒子センサーの数字が減っていた。


「減っちゃいました」


 教授はなおも、楽しそうにタカアシガニを見つめていた。ややあって、


「そ」


 と言う。私たちは場所を移動した。次は川魚の水槽に行く。



   ■ ■ ■



 銚子水産軍事大学では日夜研究が行われていた。


 軍事大学とあるが、研究結果のすべてが軍事的なものに利活用されるかというと、そういった感じではない。ひょんなことからみなさんのご家庭の、食卓をなんかいい感じに潤したりするのだ。養殖技術とかで。


 私が師事する教授の研究がそうであるように、銚子水産軍事大学でおこなわれている研究の大半は何がどう役に立つのかわからないものばかりだった。


 そういった研究こそが、事象軍にとって重要で、そういった研究をしつづけることによって、わが母校は存続できているらしい。


 どういった仕組みかはわからないけれど、そういうふうになってしまっていた。


 教授のおもな研究は、水生生物が発する未知の粒子についてだった。



   ■ ■ ■



 川魚のコーナーでは、淡水エビが消波ブロックの映像に興味を示した。わたしは粒子センサーをかれらに向けた。粒子は検知されなかった。


 反応はしてるんですけどね~。そう言いつつ、もっと近づけると、かれらはわっと散らばってしまった。


 こら。教授が軽く叱る。研究の邪魔になってしまったのに、本気で怒ってはいない。こういうことは教授もよくやってしまうし、お魚などはこういう行動をしがちなのでそれで済むのだった。


 すみません。わたしは、そちらが思っているより結構真剣に反省しています、しかしそこまで真剣ではありません、というニュアンスのわざとらしい声で言う。教授はその、わたしのわざとらしいじゃれつきしぐさを機敏に察知して、わかればよろしいのだよ、わかればね、と、これまたわざとらしく言った。


 水槽内に作られたミニサイズの滝と、その滝つぼの下で、きらめく小魚たちが水流に乗って楽しんでいた。


 ちょっと流れの激しいところで楽しんでみせる、そういうところが人間にはある。穏やかな川の、流れのちょっと激しいところまで泳いでいって、うひょひょと笑いながらちょっと高速で流されてみたりとか、そういうこともある。


 ガラガラとテレビ台を押していく。さきほどの水槽とは違って、お魚の住める部分は少なめで、どちらかというと水辺に住む両生類たちをメインにしたコーナーだった。


 いろんなカエルたちが、びしゃびしゃの岩や湿った苔の上でゆっくりと呼吸をしている。水のなかにいるオオサンショウウオは特に動きもせず、茶色いまだら模様のからだをただぼんやりとさせていた。イモリとかもいた。


 おや。教授は言った。視線の先にはイシガメがいた。かわいい眼でテレビの方を見ている。さきほどのタカアシガニのように、ゆっくりと、ゆっっっくりと、首を伸ばしていた。


 わたしはセンサーを取り出す。ディスプレイの数値は特に変わりない。


 口角をやや釣り上げ、教授はうっすらと微笑みながらカメを観察する。カメはそんなことお構いなしに、テレビを見ようとしている。よたよたと短い足を動かして、こちらに近づいてくる。


 カメさんにあわせて、ちょっと遅くしてみようか。教授がそう提案し、わたしはリモコンを操作する。再生速度を落としてスローにする。


 コマ落ちした動きで波が膨らみ、一気に消波ブロックに当たって弾ける。消波ブロックどもの表面に白い泡が、飛沫が広がり、また濃いねずみ色になる。スローにすることによって、自然の猛威と、ブロックの硬いボディが強調される。奇妙で、どこか魅力的な映像だった。あそこにいたらわたしはどうなってしまうのだろうとつい想像してしまう。


 わたしも、映像に釘付けになってしまった。


 こら。


 現実に引き戻したのは教授の声だった。今回ばかりは、ちょっと真剣に怒っていた。



   ■ ■ ■



 わたしたちはテレビ台をガラガラとやって20分近く歩くと、屋外に出た。そこには巨大なプールがあった。プールというより、かなり大きめの池といったほうがいいかもしれない。


 遠くの水面に、灰色のこぶのようなものが浮かんでいた。


 お願いします。教授が言うと、研究員の青年が法螺貝を口にあて、ぶおーと吹いた。


 こぶが沈む。かすかな水面のゆらぎで、かなり大きな物体がこちらに近づいてきていることがわかった。間近で見るのは入学してから三度目だけど、それでもつい、肌が粟立つ。


 重たい水面を割って、ウマの頭と同じくらいの大きさの、つるりとした頭が現れた。その頭につながる首は細長い。瞳は鋭く、口は裂けていた。おそろしい顔だった。


 首長竜だった。


 首長竜はぶふーっと鼻腔を開いて一息つくと、わたしたちをゆっくりと上から見下ろし、眺めた。


「2」


 と、首長竜は言った。


「3」


 と、首長竜はつづける。


「5、7、11……」


 素数だ。


 そう、かれは世にも珍しい、素数を唱える首長竜だった。この素数が何を意味しているのか、そもそもかれは素数を理解しているのか、素数を理解する知能を有しているのか、それともこれはただの鳴き声で、われわれがただ単純に数字として認識しているだけなのか、そういったことも我が母校は研究していた。


 教授がわたしに目配せをする。延長ケーブルを使って電力を供給されているテレビとビデオデッキの電源を入れて、消波ブロックの映像を流し始めた。


「29、31、37……」


 首長竜はわれわれに興味なさそうに、虚空を見つめながら素数を唱えていた。


 映像の中の暴風雨が激しくなっていく。その音に気をひかれたのか、首長竜はテレビに頭を向けた。


「47、53、59……」


 消波ブロックの映像を、たしかに見ていた。たしかに見つつも、素数は相変わらずとなえていた。


 微笑み、教授は首長竜を見ている。わたしはその横顔を見ている。


 ピ。粒子センサーが音を立てた。数値が上がっている。未知の粒子が発生している。


 視線を感じて、そちらを思わず見た。


 プールの柵の支柱に、ウミネコがとまっていた。黄色い目に見つめられていた。



   ■ ■ ■



「これに使い道はあるのかな」


 教授はくたびれた茶色いソファに座り、たこ焼きサイズの銀の球体を片手で弄んでいた。わたしは両手に、コーヒーをなみなみ注いだマグカップを持っていた。教授のまえにあるローテーブルに置いて、わたしは対面のやたら真新しい深緑色のソファに座った。


 銀の球のなかには、未知の粒子が入っている。粒子キャッチ機で吸い込んだものだ。粒子キャッチ機はハンディ掃除機に似ていた。冗談みたいだけれど、それで本当に粒子が吸い込めるのだった。


 首長竜のあともいろいろ試してみた。


 結果、わかったことがあった。


 今回の粒子は、消波ブロックの映像を見ている水生生物a、を見ている教授、を見ているわたし、を見ている生物aから発せられている。消波ブロックの映像を見せるだけでは決して発生せず、なぜかこのややこしい視線の経由がないと発生しないのだった。


 宇宙がそうできちゃっているのなら、それはもう仕方がないんじゃないかな。教授がいうには、そういうことらしい。


 教授は大量の銀の球の入ったビニール袋をちらと見た。全部、今回の粒子が入ったものだ。


 わたしは恥ずかしかった。研究そっちのけで教授の横顔を見ていたこともそうだけれど、教授から、今回はこういう感情で見てくれないか、次はもっと[任意のえっちな感情]を込めた目で見てくれないか、とかなんとか、何十回もやらされたのが恥ずかしかった。これも研究のためだから仕方のないことではある。しかしこうやって目に見えるかたちであらわされると、むずむずしてくる。


 ものは試しだ。そう教授はいうと、球をかぱりと捻って開けて、目に見えない粒子をマグカップに入れた。


 あっけにとられているわたしを尻目に、教授は薄い唇を縁につけてコーヒーを飲む。


 どう、ですか。わたしは訊ねた。というか、大丈夫なんですか。


 教授は口の中で、舌をちっちっと鳴らす。よく味わっているようだった。


 教授はわたしの目をまっすぐ見て、いたずらした子を諭すように言った。


「甘すぎるかな」


 わたしはなぜか恥ずかしかった。

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