第2話.残り物

 翌朝、大きなあくびの亮一。寝たのが深夜一時を過ぎていたので今朝は寝不足気味だった。


 昨夜は真斗と架純のことを考えないように、眠くなるまでひたすら勉強に打ち込んだ。そのおかげで余計なことを考えずに済んだが、朝起きて改めて二人の交際のことを思い出し急激に気持ちが沈む。そんな息子の様子を心配する母親に大丈夫だよと告げると、彼は学校に行くため家を出た。


 陽菜といつも待ち合わせをしている交差点。あくびをしながら待っていると、こちらも明らかに浮かない顔の彼女がやって来た。


「おはよ……」


「うん、おはよう」


 陽菜も寝れなかったのか少し眠そう。いつもの元気な彼女とは違う。言葉少なに挨拶を済ませると黙って駅に向かった。


 いつもは架純が一番、次に亮一と陽菜が来て、そして時間ぎりぎりに真斗が走ってやってくる。しかし、一つ早い時間か遅い時間にずらしたのか、駅前広場やホームに真斗たちの姿はない。急に疎遠になった寂しさはあるが、目の前でいちゃつかれるのも気まずいのでホッとしている。


 その反面、二人が何をしているのか気になって仕方がない。もちろん、恋愛に疎い亮一だって、一般的な恋人が何をしているのかなんて分かっている。考えないように思っていても、亮一はずっと真斗たちのことが頭から離れなかった。



 数日経っても亮一は立ち直れないでいた。いつもうつむきがちに、ため息をつきながら口数少なくとぼとぼ歩く。


 そんな様子の亮一に陽菜が色々と話しかけるが、彼の耳にはほとんど届いていない。ただ力なく「うん」と相槌を打つばかり。


「亮一、昨日送った動画観た?」


「……うん」


「どう? 面白かった?」


「……うん」


「亮一、あのゲームどこまで進んだ?」


「……うん」


 話が噛み合わない。陽菜は呆れ顔でため息をつく。


「……。亮一、架純のこと好きだったもんね?」


「……うん。えっ!?」


 思わずうなずいてしまった。「いや、違う」と必死に取り繕うとするが誤魔化せるはずもなく、陽菜は「やっぱり」とため息混じりに呟いた。ただ聞くまでもなく、真斗たちが交際宣言をした時の亮一の態度を見れば彼の気持ちはあきらかだった。


 ずっと表には出さなかったが、亮一は昔から架純のことが好きだった。それは中学に入って初めて部活で顔を合わせた時から。一目惚れに近い感覚だった。


 その頃の架純は今とは違い、短く切り揃えられた髪に眼鏡を掛けており、控えめなその姿は地味と言っていいほど。しかし、そんな慎ましい彼女の佇まいと丁寧な言葉遣いに、亮一は好意を抱いたのである。


 部活が一緒とはいえ架純とはクラスが別だったので、最初はほとんど話をする機会がなかった。どうにかして親しくなれないかと悩んでいたところ、お昼休みに図書室で一人勉強をする彼女を見つける。


 これはチャンスだと思い、次の日から亮一は偶然を装い図書室で彼女と顔を合わせるようにした。最初は挨拶から、次第に少しずつ話をするようになり、最終的には一緒に勉強をする仲になった。その後、真斗と陽菜を加え仲良し四人組となる。


「チャンスはあったんだから、架純に告白すればよかったのに」


 陽菜の言う通り、架純に告白するチャンスは何度もあった。真斗と陽菜が用事でいない時などは彼女と二人きりだったし、市の図書館で勉強や参考書を買いに二人で街に出掛けることもあった。


 しかし、亮一は告白できなかった。架純は最初こそ地味で控えめであったが、次第に髪を伸ばし始め眼鏡を外すと美少女として人気者になった。その人気で中学では生徒会長を務めたほど。


 一気に高嶺の花となり、とても地味で平凡な見た目の自分なんかでは手が届かない存在になっていった。今は友達として近くにいられるだけまだまし、そう亮一は思っていた。 


 それに亮一は元々あまり人付き合いが得意な方ではなく、そのため幸運にも出来たこの三人との友情をなによりも大切にしていた。三人とは生涯の友とさえ思っている。


 なので、亮一はその和を乱すようなことはしたくはなかった。もし告白などしたら、OKにしろNGにしろきっと今の関係性は崩れてしまうだろう。そう思った亮一は架純への想いは秘密にし、最低でも高校を卒業するまでは明かすつもりはなかった。


 ところが、そんな想いを知る由もなく、架純は真斗とあっさりと付き合い始めてしまう。真斗のことは親友なので恨みたくはないが、割り切れない気持ちもある。目の前でずっと好きだった相手が親友に奪われていくシーンなんて見たくはなかった。それに、叶わぬ恋と分かっていながらも、もし自分が先に告白していたら……、ずっとそんなことを考えている。


「陽菜だって、真斗のことが好きだったよね?」


 否定するわけでもなく陽菜は目を逸らした。図星のようだ。


 亮一はずっと前から陽菜が真斗に好意を寄せていることに気づいていた。何気ないやり取りの中でも、真斗にだけ見せる仕草や表情から彼女の恋心を感じ取っていたのである。同じ片思い同士、通じるものがあったのかもしれない。それに亮一と同様、交際宣言の時の彼女の態度でそれはあきらかだった。


「そうだけど……」


「陽菜こそ、なんで告白しなかったの?」


 亮一はずっと不思議に思っていた。自分とは違い、彼女なら自信を持って真斗に想いを伝えられたのではないかと。


 架純とタイプは違うが陽菜も美少女で、更にそのスタイルの良さと明るいキャラクターから学校では男女問わずみんなの人気者。その人気は校内だけにとどまらず、たまに駅や街中で見掛けた人からも告白されるほどだ。


「だって……、だって真斗はさ、大人っぽい女性が好きだって言ってたから」


 そう言われ亮一は思い出していた。


 数ヶ月前、ショッピングモールにあるカフェでのこと。買い物をしていつものように休憩がてら四人でお茶をしていた。


「へー、亮一は落ち着いたが好みなのか。まぁ、確かにお前が派手なギャルと付き合っているところは想像できないけどな。でも、案外そういうタイプの方が合ってたりするのかもしれないぞ」


 そう言うと真斗はガハハと笑う。そんなことないでしょと亮一がちらりと陽菜を見ながら言うと、彼女はなによとジト目で噛みついてきた。そんな陽菜を架純がまあまあとなだめる。


「で、そういう真斗は? どういうがいいの?」


「ん? 俺はそうだなぁ……」


 真斗は渋い顔で目線を外すと、今度は参考になるでも探しているのか、うーんと唸りながら店内をぐるっと見回した。そして、大きな笑顔と声で言う。


「背が高くて大人っぽい年上の女性がいいな!」


 小柄で可愛らしい陽菜とは正反対。ただ架純とも違う。彼女は小柄ではないが背が高いというほどではないし、大人っぽい感じでも、ましてや年上でもない。もちろんあくまで理想であって、現実にはすぐ近くにいた架純がよかったのだろう。


「確かにそう言ってたけど、陽菜くらい可愛ければいけたんじゃない? ……あっ、いや、ごめん。僕も含めて今更だよね」


「ハハハッ、そうだね、今更だね。私たち、見事に残り物だね」


 陽菜は目を伏せて自嘲する。残り物……、まさに核心を突くその言葉に亮一はうつむき強く目をつむった。



 いつもみんなでお喋りをしていた駅前広場。この間までここで他愛もない話をして笑っていたことがずっと前のよう。その広場をちらりと横目に見ながら、止まらずそのまま歩みを進めた。


「あっ!」


 うつむき黙り込んでいた亮一が急に声を上げる。その声にどうしたのと陽菜が尋ねた。


「僕が架純のこと……、あの二人にもバレちゃったかな? 陽菜もそうだけど」


 陽菜は渋い顔でうーんと首を捻る。


「大丈夫じゃない? 私たちのことなんて気にならないくらい、あの二人お互い夢中だったじゃない」


 そう言われ、先日の交際宣言の時の彼らの様子を思い出す。確かに、二人ともお互いのことしか目に入っていない感じだった。亮一はホッと胸を撫で下ろす反面、自分に興味を持たれていないことにひどく落ち込んだ。



 陽菜と別れる交差点まで来ると、正面の信号はタイミングよくちょうど青。亮一が信号を渡ろうと駆け出した。


「じゃあ、また明日」


「うん、じゃあね……。あ、あの、亮一!」


 急に呼び止められ、横断歩道に入る直前で足を止めた。どうしたのかと振り返ると彼女は思い詰めた表情。


 亮一は心配になり陽菜の元へ歩み寄る。すると、目を逸らしていた彼女はまっすぐこちらを見据えた。


「あ、あのさ、私ずっと考えてたんだけど……」


「どうしたの?」


「私たち、残り物同士で付き合わない?」


「えっ!?」


 突然の提案にひどく戸惑う。彼女が悪い冗談を言うようなじゃないことはよく分かっているが、あまりにも唐突な話でにわかには信じがたい。


「本気なの?」


 怪訝な表情で亮一が尋ねる。陽菜は「うん」と力強くうなずいた。


 きっと彼女は僕を元気づけたいと思って、そう言ってくれているのだろう。いや、それか彼女自身がただ寂しいだけなのかもしれない、そう亮一は思った。


「陽菜は別に僕じゃなくてもいいんじゃない? 他にもっとカッコいい人はたくさんいるよね」


「そうかもしれないけど、なんか言い寄ってくる男子は怖くて……」


 彼女は身を守るように体に腕を回すと顔を曇らせた。


 陽菜は告白されることはしょっちゅうで、なかには強引に迫ってくる奴もいる。そういう連中は苦手だし怖いと、いつも彼女は言っていた。


 また、亮一の知る限り陽菜が誰かと交際しているという話は聞いたことがなく、亮一と真斗以外の男子と二人きりでいるのもほとんど見掛けたことはない。見た目も性格もあれだが、別に男慣れしているわけではないのだろう。


「あっ、ごめん。私が亮一の好みじゃないか……」


 乾いた声で笑いながら陽菜が言う。


「そんなことないよ。陽菜は可愛いしすごくいいだって知ってるから」


 意外な言葉だったのか、彼女は少し驚いた顔でのけ反った。


 亮一は架純のことが好きだったが、陽菜のこともいいだと思っている。気立てが良く一緒にいて楽しいし、見た目も可愛くスタイルもいい。そんな彼女と付き合えることが嬉しくないわけがない。


 亮一はしばらく悩んだ後、口を開いた。渡ろうとしていた信号は、すでに何度か赤と青を繰り返している。


「わかった。僕たち付き合おう」


 その場しのぎの仮初の交際。きっと深い関係になることはないし、またそんなふうになるつもりもない。ただ、今は寂しさから彼女の優しさに甘えようと思った。


 それに、このままだといつか陽菜とも疎遠になり、遠からず仲良し四人組が完全に崩壊することを亮一は危惧している。そうならないためにも、陽菜と交際しておくことは悪い事ではないと思った。


 陽菜は亮一の答えに笑顔で「うん!」と軽快にうなずく。その様子に亮一も微笑んだ。


 こうして真斗と架純の裏で、ひっそりと亮一と陽菜の『秘密』の交際が始まった。

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