第24話 ホーム

「こんな事を、草野さんに話すのも迷惑かもしれないんですが……恥ずかしい話なんですけど、職場である女性から睨まれて孤立してしまって、周りに相談できる人がいないんです。友達も、元から多い方じゃないんですけど、皆、今は忙しそうで」


「そうなんですか」


「本当は家族に相談できればいいんですが、私、色々あって、両親がいないんです。祖父母が私を育ててくれました。おばあちゃんは私が小学生の時に死んで、それからはおじいちゃんが一人で。でも、そのおじいちゃんも去年亡くなったんです。厳しい人だったけど、優しいところもあった。寂しくてしょうがないです。早く結婚したいんですけど、男運が悪いのか、向こうから好きだって言ってくる人は変な人が多いんですよね。最初は優しくても、付き合ったら横柄になったり、すごく束縛してきたりして」


「それは、大変でしたね」


 小笠原さんの目は潤んでいた。勢いに押されて、ぎこちなく頷くことしかできない。


「私の見る目がないのかもしれないんですけど。やだ、関係ない話ばっかりしちゃって。相談は、家の事なんです。おじいちゃんが亡くなって、それまで住んでいた一軒家から、マンションに引っ越しました。変な話なんですけど、最近、家の物が勝手に動いているんです。もしかしたら、私が借りた部屋は事故物件なんじゃないかって思って。事故物件って、間に誰か住んでいれば、借主に伝える義務はないんでしょう? 隣の人の話だと、私の前に住んでいた人もすぐ引っ越ししたらしいんです。何だか怖くって」


「誰かがやっているわけではないんですよね?」


 小笠原さんは憔悴した顔で首を横に振る。淡いピンクのミニタオルを取り出し、目頭を拭った。


「今、家に来る人はいません。それなのに、物の位置が、留守の間に変わっているんです。家にいる時も、風もないのにテーブルの上に置いてあったものが勝手に落ちたりして。それに、後ろから誰かにずっと見張られているみたいな感じがするんです……もしそういう事を雪間さんに相談したら迷惑ですよね?」


 おずおずとすがるような目で見つめられる。相談できる家族も友人もおらず、一人暮らしの家でそんなことが起きたら、さぞ恐ろしいだろう。不眠症で弱り果て、精神的にも体力的にも底に落ちていた頃の気持ちを思い出した。


「大丈夫ですよ! むしろ、そういう話は彼の専売特許です!」


「え?」


 思わず声が大きくなってしまった。小笠原さんの不思議そうな顔を見て、自分の失言に気づく。

 話の流れからして、彼に霊感があることを小笠原さんが知っているのだと思ったのだが、この反応からすると違うようだ。

 だとしたら、勝手にそんなことを喋ったら確実に怒られる。


「えっと……ああ見えて、意外と聞き上手っていうか。何でも聞いてくれるっていう意味です。ははは」


 しどろもどろに苦しい言い訳をひねりだす。


「とにかく、優しい人だし、真摯に相談に乗ってくれると思いますよ」


「やっぱり。草野さんがそう言うなら、頑張ってみようかな。草野さんからも、私が相談したいってことを雪間さんに伝えてもらえますか?」 


 何を頑張るのだろう。そもそも、どうして雪間くんに相談するのか。

 一瞬、話がのみこめなかったが、小笠原さんの内側から光るような表情を見て、いくら私でも気づくものがあった。


「分かりました。雪間くんは良い人ですよ」


「そうですよね」


 小笠原さんは恥ずかしそうに微笑んで、うさこちゃんの絆創膏が貼られた指を頬に当てる。私は変に喉の奥が苦しくなった。


「そういえば、雪間さんは、おうちが資産家だって聞きましたけど、本当ですか?」


「へ?」


「雪間さんの上司の男性が、そう言っていました。資産家として、有名な家の出身だって。最初は背広も靴もいいものだった、俺が指摘したら普通のものに変えたけどって」


 またあの上司か。個人情報をぺらぺらと喋って、本当にろくなものじゃない。


「私は聞いたことないですけど」


「そうですか?」


 小笠原さんは測量計の目盛りを見るみたいな顔で私を見ていた。


 その後は、食事をしながら祭りの準備のことや、事務局の対応への愚痴などを話した。当日は小笠原さんもかけっこ教室の受付で、一日、祭りの会場にいるという。


「じゃあまた、お祭りの時に」


 朗らかに手を振る彼女と店を出て別れた。柔らかそうな白いニットを着た後ろ姿は、毛並のいい兎みたいに見えた。



 午後は、仕事があまり手につかなかった。

 小笠原さんの話を、雪間くんにどう伝えよう。下手に動いて、万が一、二人の邪魔になるようなことは避けたい。加えて話の内容も複雑で上手くまとめることが難しい。

 帰りの電車の中で、スマホで文章を書いては消す。

 色々と逡巡したあげくに、急にまどろっこしく思えてきて、


『久しぶり、ちょっと話したいことあるんだけど会えない?』


とメッセージを送った。


 これはもう、直接会って話した方が早い。そう思ったのだが、送信ボタンを押す時にやけに緊張した。


 しばらく車窓に映った車内の様子を眺めていたら、今回はすぐに返事が来た。


『ちょっと色々あって、しばらく会えません』


 落胆して気が抜けた。説明を求めても無駄だろう。ぼうっと転職イベントの吊り広告を眺めていたら、降りる駅を逃しそうになった。ぎりぎりのタイミングで降りた私のすぐ後ろで、電車の扉が閉まる。

 多分、私と二人で会って小笠原さんに変な誤解を与えたくないのだろう。それならそうと言ってくれればいいのに。ほとほと切なくなってくる。

 急に疲れを感じ、駅のホームにある自動販売機にもたれた。しばらくそうしていたが、そのうちに段々、腹が立ってきた。

 発作的に雪間くんに電話をかける。どうせ出ないだろうと予想していた。

 しかし、しばらくコール音が繰り返された後、意外なことに人の声がした。


『何ですか』


 冷静な声を聞いて我に返った。勢いで電話して、言うことを何も考えていなかった。


「えーっと……仕事、忙しいの? しばらく会えないって」


『……まあ、そんな感じです』


 困ったように言葉を濁すのが電話ごしでも分かった。


「……あのさあ、彼女ができそうなんだったら教えてね? そしたら私だって、色々、遠慮するから」


『何ですか、突然』 


「何でもないよ。小笠原さんと今日ちょっと話したんだけど。あ、余計なことは何も言っていないから、安心して。困っていることがあるんだって。雪間くんに相談したいって言っていたよ」


『え……』


「それだけ。じゃあ、邪魔してごめんね」


 電話を切り、ため息をついた。自動販売機は私を優しく支えてくれていた。


 

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