第26話 言わないと

  ***


 お祭りの当日は、おじいさん達の願いが通じたのか爽やかな秋晴れになった。


 私達の隣のブースは、近くのカフェとパン屋が共同で出店していた。隣で準備していた女性が、私を見て会釈してにっこり笑う。


「おはようございます。昨日はありがとうございました」


「いえいえ」


 こちらも手を横に振って会釈する。

 前日、会場の公園にパイプ式のテントを設営したが、私は手際の良さに感心された。昔、ガールスカウトにいたので、こういう作業は得意である。うまく立てられずに困っていた隣のテントも手伝ってあげて、いたく感謝されていた。


「私の魅力って、こういうところにあるのかもしれない」


「花音さん、まだ落ち込んでいますね?」


 腕組みして呟く私の肩に、綾菜ちゃんが手を置く。


「別に落ち込んでいないってば」


「それならいいですけど」


 今日は会社からは、私と綾菜ちゃん、それにあと二人駆り出されていた。

 コリントゲームを作った吉居さんも見に来たがっていたが、お子さんの習い事関係の用事とかち合ってしまったそうだ。とても残念がっていた。


 大体の準備が終わったので、綾菜ちゃんと会場を見て回ることにした。


 公園は広く、芝生のエリアと、ネットの柵に囲まれた砂のグラウンドのエリアに分かれている。食べ物系と私達のようなゲーム系は芝生エリアで、かけっこ教室や、バスケのシュート体験などはグラウンドの方で行われる。


 地域の自治会が、ポップコーンや焼き鳥の準備をしている。キッチンカーも数台止まっていた。芝生の中央付近では、野球チームによる、ストラックアウトの準備もされていた。


 グラウンドの方に向かう途中で、小笠原さんに会った。

 手を軽く振ると、小笠原さんも私に気づいた。


「お疲れ様です。晴れてよかったですね」


 パーカーにジョガーパンツという身軽な恰好だった。長い髪はポニーテールにしている。


「本当に」


「ちょっとこれから本部に行かないといけなくて。また後で」


 申し訳なさげに頭を下げて、芝生を走っていく。その後ろ姿を目で追いながら、綾菜ちゃんがぽつりと言う。


「今の子、すごい可愛いですね」


「でしょう。あれが、例の子だよ」


「ああ、なるほど」


 綾菜ちゃんが大きく頷く。彼女には、大体の状況を話していた。


「確かにすごいエンチャント。でも、花音さんを見誤っているんじゃないかなあ」


「何それ?」


「何でもないですよ。さ、行きましょう」


 芝生エリアの隅にある木に、おじいさんがイベント名を書いた垂れ幕をかけていた。垂れ幕はよく見れば手作りで、文字は切り抜いたカラフルな布が縫われている。


「これ、どうしたんですか。すごい」


 思わず、設置していたおじいさんに尋ねる。山内さんだった。混乱する事務局で唯一、頼りになった人だ。


「山内さんじゃないですか」


「これは、作ったんだよ」


「奥さんが?」


「違うよ。俺が作ったんだ」


 山内さんは照れくさそうに言った。


「すごい、上手ですね」


「そんなことないけどさあ。こういう針を使った細かい作業、好きなんだよね」


 手芸好きなおじいさんとは珍しい。


「こんな端っこじゃなくて、もっと目立つところにかければいいじゃないですか」 


 会場の奥に位置しているし、前にテントもあるので見えづらい。気づかない人も多そうな場所だった。


「それが、立てるためのポールを手配し忘れちゃって。木の位置がちょうどいいの、ここくらいだった。いいんだ。もし来年も祭りがあったら、次はちゃんとするよ」


「SNSにあげればいいのに。イベントのアカウントあったはずですよね?」


「俺は担当じゃないし、そういうのよく分かんないから」


 山内さんは恥ずかしそうに手を前で振る。

 折角なので、記念に何枚か写真を撮らせてもらった。山内さんは嬉しそうにしていた。


 九時ごろから、ぽつぽつと人が来始める。

 ステージで何かの会長らしい人が挨拶をして祭りは始まった。

 コリントゲームは、最初は、来場者から遠巻きに見られていたが、そのうち、物怖じしないタイプの子どもが飛び込んできた。


「これ何? 遊べるの?」


 彼がはしゃいで楽しそうに遊び出すと、だんだん客が増えていった。列ができると余計に人が呼びこまれるようで、途切れずに人がやって来た。


 お客に、大きな綿菓子を持っている子どもが多かった。

 綿菓子を最近食べていない。テントから覗く薄い水色の空には羊雲が浮かんでいた。べたついた軽い甘さが急に恋しくなった。


「綿菓子、食べたいなあ」


 私の呟きを聞いていた綾菜ちゃんが、客が途切れた時を見計らって買いに行ってくれた。しばらくして、ポップコーンを両手に抱えて戻ってくる。


「無理でした。綿菓子はすごい行列になっています」


「そんなに人気なの?」


「綿菓子を出しているのは地域の自治会のテントだけなんですけど、機械は一つしかなくて、作っているおじさんの作業が丁寧だけど遅いんです。一人一人に大きな綿菓子を作って値段が百円なので、人気が集中して行列のできる人気店みたいになってる」


「すごい価格破壊」


「情熱価格です」


 ポップコーンをつまむと、キャラメルの風味が香ばしくて美味しかった。


 お昼をまたぎ、波はあるものの子どもたちはやってくる。うまくできなくて泣いてしまう子、兄弟に負けて地団駄踏んで悔しがる子など、様々である。

 昼休憩は交代で取ったのだが、私は一番最後で二時近くになっていた。さすがにお腹が減っている。

 綿菓子の機械の前には誰もいなかった。一応聞いてみたが、やはり売り切れてしまっていた。

 とりあえず、地元の居酒屋のテントで焼きそばと唐揚げを買った。他に何かないかふらふらしていたら、小笠原さんと出くわした。 


「こんにちは」


 私を見てにっこりと笑顔になる。やはり休憩中のようだ。


「今、かけっこ教室のニ回目が終わったところなんです。草野さんの方はどうですか?」


「うちの方も、思ったよりも子どもが来てくれています。閑古鳥が鳴いていたらどうしようかと思っていたんで、良かったです」


「できればそちらも見に行きたいですけど、中々身動きが取れなくて」


「そうですよね」


「そうだ、私、草野さんに言わなくちゃいけないことがあって」


 小笠原さんが、頬を染めて目を輝かせた。


「私、雪間さんと付き合うことになったんです」


 あらかた予想がついていたはずなのに、意外なほどに身に堪えた。


「それは、雪間くんも幸せ者ですね」


 小笠原さんは口角を上げて黙っている。


「じゃあ、また」


「草野さん」


 立ち去ろうとしたのを、呼び止められた。


「突然なんですけど、投資って興味ありません?」


「え?」


「とっても良い先生がいるんです。もし興味があれば、紹介の動画とかをお送りしたいなあって思って。草野さんにはお世話になったし、何かお返しをしたくって。会社のメールアドレスしか知らないので、連絡先を交換しません?」


「いや……私はいいですかね」


「そうですか? 勿体ない。本当に、ためになる話なんですよ?」


 小笠原さんは可愛らしく小首を傾げる。


 いきなり投資の話が出てきたので面食らった。正直、今はそんなことをとても考えられない。


「死んだおばあちゃんの遺言で、株と賭事と、お金を返さない男には手を出すなって言われていて。だから、すみません」


 逃げるようにその場を離れた。

 自分の足元だけ見ながら歩いていて、気がついたら、工務店のテントの前にいた。壁の漆喰塗り体験をやっているが、お客さんが誰もいない。


「やりますか?」


 目が合った職人らしき若い男性に声をかけられた。気がついたら、パテの乗った紙皿を左手に、こてを右手に持ってベニヤ板に漆喰を塗っていた。


「上手ですね。初めてとは思えない。とても筋がいいですよ! お姉さん、職人になったらどうですか」


 職人に大層感心されて、駄菓子をもらってテントを出たところで、ようやく私は何をやっているのかと我に返った。


 しっかりしないといけない。

 ポケットに入れていたスマホを取り出し、雪間くん宛にメッセージを打つ。

 聞いたよ 良かったね お達者で、お幸せに……と書いたところで、急に馬鹿らしくなり、やっぱり送らずにスマホをポケットに戻した。


 それ以上何も買わずにテントに戻ることにした。

 隣でお菓子とパンを販売していたテントは早々と完売となり、今は「完売しました」との張り紙だけあって、誰もいなくなっていた。

 正面から、鉄砲玉みたいな男の子が二人走ってきた。彼等をよけるために横にずれたら、隣のテントの脚にぶつかった。そのまま脚がぐらりと傾ぐ。

 白い天幕が私に向かって落ちてきた。

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