第3話

「転校した方がいいんじゃない?」


 のぞみさんが不登校生を軽蔑しているという話を聞いてから、僕がそれであることを隠し切ると決意し、図書館を出たあと、体が冷える中、家に帰ってきて一番最初に僕は母親に切実そうにこう言われた。

 これ以上青色の絵の具を注ぎ込んでも、何も変わらないくらいブルーな気分なのに、家に帰ってもその絵の具は投下されて続けた。

泣きっ面に蜂って、こういう事かな。

 何度目だろうか、この質問は。

 もちろんこの問い、もとい提案は停滞する現状を打破するには一番手っ取り早いカードであることも明白だし、そもそも学校に行けないのは誰のせいでもなく、僕が悪いから、母がそう言うのももっともでもあった。

 しかし僕はこの示唆が嫌いだった。

 僕はこの高校に中学時代、はてしない努力ととてつもない時間を捧げて入ることができたのだ。

 すなわち、この提案に対し首を縦に振ると言うことはすなわち過去の自分への否定であり、侮辱であり、冒涜であるとしか言いようがないもの。

 そして何より、母に昔の自分を消されてしまったようで単純に悲しかった。

 もちろんこの思考は、常識的には赤点だと知っている。

 でも。

 僕はいつもこの話を長い時間聞かされてから床につく。

 母の長時間続くこの言動はさながら洗脳のようなもので、この話は僕にとっては苦痛だった。

 だから僕はこの家に帰りたくないのだ。

 以前までは父親がこの話を遮る壁となってくれていたのだが、現在、単身赴任中。

 この家は、心が落ち着く場所ではなくなっていた。

 とはいえ、帰らないと言う選択肢を取ることはできない。

 そもそも僕は家族の扶養に入る立場である以上、お金もない。

 そんな状況で親の助けなしに生きていけるほど世渡りが上手いわけではないのだ。

 それだけ上手かったら今頃友達だっていると思うし、僕の居場所は図書館ではなかっただろう。

 僕はバックグラウンドでずっと喋り続けている母の声を黙殺し、二階へ登った。

 ご飯も食べず歯も磨かないまま、すぐに寝床につくと、僕は考えた。

 多分、僕は邪魔者なんだろうなと思う。

 僕を抜いて偶数になるクラスだし、もうすでに友人関係のグループは成立しているだろうし、運動神経も群を抜いていいわけじゃない僕を、学校は別に欲していない。

 母も僕に行きもしない高校に学費がかかるとか、食い扶持も自分で稼げないくせに働かないで住みやがってとか思っているのだろう。

 でも僕には、だから僕には、結局彼女のことが頭から離れない。

 優しく、明るい声を僕は思い出す。

 不登校生というバイアスを持たれていない会話をしたのはいつぶりだっただろうか。

 もっと、もっと自由に話したい。

 明日も行ってみようかな。

たとえ明日も来なくても、それはそれで勉強が捗るし。

 僕はそう思って寝床についた。


 教室に入るとぴたりと空気が止まった気がした。

 さっきまで響いていたはずの喧騒は静寂へと変わり、視線は僕ただ一人に集中していた。

 嫌な汗が全身から吹き出る。

 僕は席を確認するために、教卓に置いてある座席表を見に行く。

 背中から、まるでハリウッドスターのようにみんなの注目を集めていたことを感じた。

 ああ、だからこんなところには行きたくなかったのに。

 廊下側の三列目に席はあり、老朽化した壁と目を合わせるように着席した。

 きっと今頃、僕がいない間にとっくに完成しきった、友人同士のグループ内では、僕に関する話題でもちきりだろう。

 ああなんて僕は人気者なんだ。

 さて、もうガタガタと揺れる机に顔を突っ伏せて寝ようか。

 起きていても誰かと話すことなんてないんだから。


 はぁ、夢か。

 僕は飛び出すようにバサッと起き上がった。

時計を見ると午前九時。

 最近良く見るようになった昼ドラのような生々しい悪夢を払いのけようと、モゾモゾとベッドから出ると、勉強机の右隣にあるカーテンを開けた。

 どうやら今日は晴天らしい。

 一気に心の雲も消えていく。

 路面凍結によるスリップの心配はなさそうなので、自転車で図書館まで向かうことにする。

 僕は朝ご飯も食べず、黒のズボンと白のシャツ、その上にジージャンと、父のお下がりである精一杯のおしゃれ衣装に着替えて消え去るように家を出ると、強い追い風の中、目一杯飛ばして向かった。

 今日はのぞみさんが来ていることを祈って。

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