第5話 ゴブリンの誘拐事件-2

「サァテ嬢チャン! オ前ノオ仲間モ居ナクナッタナァ!」

「…………」


 ゴブリンたちがケラケラと笑うのをニニスは落ち着いて見ていた。


「シカシマサカ、聖女サマヲ人質ニ出来ルナンテ思ッテモ見ナカッタゼ。ヒッヒッヒ!」

「あのう、話したいことがあるんですけど」

「ン? ドウシマシタァ?」と大きなゴブリンはわざとらしくニヤつく。

「騙してしまってすみません。実は私は人質になるつもりは無いんです。私はただ、あなたたちがどうして誘拐なんてしたのか、話し合いがしたくてここに来ました」


 大きなゴブリンは眉をしかめた後で盛大に笑った。


「ブハハハハ! 何ヲ言ウカト思エバ! 話シ合イ? 人質ニナルツモリハ無イ? ヒッヒッヒ! 立場ヲ分カッテ無イノカ!?」

「……。シャーザ様は仰いました。人の声に耳を塞いでいては、平和の足音も聞こえない、と」

「ハァ? ナンノ話ダ?」

「私は根本的な解決を目指していきたいのです。話も聴かずに力で制圧するやり方は、結局のところ、面倒事に蓋をするようなやり方です。私の望むことではありません。きっとシャーザ様もお喜びになられないでしょう。だから理由を聞きたいんです」

「ホホウ! ソリャ良イ心掛ケダナ。ヒッヒッヒ! 世間知ラズノ嬢チャンダゼ」


 大きなゴブリンはその顔をニニスにグイッと近づけた。


「理由ナンテナァ! 人間ドモノ身グルミヲ剥グタメニ決マッテルダロ! モシカシテ慈善事業ダトデモ思ッタノカ? ヒッヒッハハハ!」

「……分かりました」

「オット、オ前ハモウ逃ゲラレナイゼ。オレガイイヤツダッタラ話シ合イデ解決デキタノニナァ」

「ええ、本当に……。あなたが良い方なのを信じていましたよ」


 ニニスは物悲しげに言うと、膝を上げてから脚を強く下方向に打ち付けた。

 大きなゴブリンが驚いているうちにドーン!という音が周囲の土の中で響く。ニニスの靴がすっぽりと地面に沈み込み、その穴からベキベキとヒビが地面を伝って広がっていった。

 さらに周囲からメシメシと軋むような音も聞こえてきて、大きなゴブリンは焦りつつ辺りを見渡した。


「オ、オ前! 何シヤガッタ!」


 ゴブリンたちはギャアギャアと喚きながら、だんだんと壁や天井に広がって行くヒビに恐怖を感じていた。軋むような音も次第に大きくなっていく。

 ニニスは穴から足を引き抜いた。


「平穏を脅かすと分かった以上はこうするしかありません。……すみません」

「マサカ……! テメエ! コノ洞窟ゴト……!」

「はい。あなたたちの魂の安らかな眠りを、私は祈っています」

「フザケンジャネエ!」


 大きなゴブリンは巨体を力強く動かして握り拳をニニスの頭上に振り下ろした。

 殺意のこもった拳だったがニニスは難なく片手で受け止めた。そしてゴブリンに優しく微笑みかける。


「ご安心ください。潰れる時は私も一緒です。あなたたちと……」

「ンナッ!」


 天井に広がったヒビとヒビが繋がって、とうとう広場全体をヒビが覆い尽くした時、上から土砂が押し寄せてその場所を呑み込んだ。


 ――――――


 ウィルは洞窟の前で待機していた。他の隊員は誘拐された人間を街に送っている最中で、ウィルのみが安全確認のために残っていた。


(ニニス様……。何を考えているんだ? あの人は。人を助ける気概は良いが、こりゃもっと一大事だぞ、おい……)


 彼はそう一人で考えていると、その時、洞窟内から急速にヒビが伸びてきた。「なんだっ!?」とウィルは慌てて剣のグリップを握る。

 その次の瞬間には洞窟の中から轟音と共に強大な風が吹いてきた。濁流のような土煙を乗せた風に吹かれるもののウィルは踏ん張って持ちこたえる。

 踏ん張りながらさらに大きくなる轟音でウィルは気づいた。洞窟が崩壊していってるのではないか、と。


「まさかっ!」


 そう呟いたのと同時に、暗がりの奥の方から迫るように土砂が振り落ちて道が塞がり、ついには入口までもが消滅してしまった。

 ウィルはわけも分からず呆然として膝から崩れ落ちた。


「な……、な……っ、何が……!」


 言葉ではそれしか出てこなかったが、ウィルの頭の中では様々なことが巡って混乱していた。特に聖女が生き埋めになったという事実は彼の顔を青く染めた。


「洞窟が……く、崩れたのか……?」


 急な事態に涙さえも出てこない。彼は立ち上がってとぼとぼと歩いて洞窟の入口があったはずの場所の前に立った。


「わ、私が……止めていれば、必死で止めていれば、ニニス様は……た、助かった、かもしれない……。わ、私のせいなのか……―――ん?」


 ウィルはある音の存在に気づいた。壁の中からドドドドドという揺れるような音が微かに聞こえてくるのだ。

 その音はまるでウィルへと向かって来るように急速に大きくなっていく―――

 ウィルがそう思った瞬間、崩れた土の壁がボコッと盛り上がった。


「うわっ!」


 ウィルの身体が反応出来ない間に、その盛り上がった土の壁から土まみれのニニスが飛び出してきた。


「ひぇっ!?」とニニス。


 お互いの目が合う。どちらも目を丸くしていた。ニニスもまたウィル同様に反応しきれず、ニニスは抱きつく形でウィルにぶつかった。

 抱き合った二人はニニスの勢いのままウィルの背中から後ろに倒れ込んだ。慌てて立ち上がったニニスは頭を下げる。


「ウィルさん! すみません!! いるって思わなくて! 大丈夫ですか!?」

「……大丈夫か聞きたいのは私の方ですよ」


 ウィルは飄々と立ち上がってニニスを見た。


「何があったんですか?」

「いやぁ、こうするしかないと思ったので。帰り道は覚えてますし」

「……まさかニニス様! 自分で洞窟を崩して、そのまま地面を掘って出てきたんですか!?」

「はい、まぁ……」


 ウィルは目眩がしそうだった。見かけではなんの変哲も無い女性のどこにそんな力があるのか分からなかったからだ。

 彼の戸惑いも知らずにニニスは自身のドレスをざっと見た。さらに自分の黒髪を撫でて土のザラザラとした感覚を確かめる。


「あちゃ〜。ドレスも髪もこんなに汚したし、クラリスさんに怒られちゃうな。あははは」


 ニニスはそう言ってウィルに笑いかける。

 有り得ない芸当ができる力を持っていながら、怒られることを気にして笑ったニニスの土にまみれた笑顔に、ウィルは少し胸の高鳴りを感じた。


 ――――――


 ウィルとニニスが街に帰ってくると、もう既に事態が解決したような雰囲気が漂っていた。夕暮れの街の中を歩きながらウィルは違和感を覚える。


「……変ですね」

「どうしました?」

「ゴブリンが倒されたなんてまだ伝わっていないはずなのに、まるで全てが終わったかのような喜び方ですよ」

「あぁ、言われてみれば。でも別にいいじゃないですか?」とニニスは楽観して微笑んだ。


 屋敷に戻ってきたウィルとニニスは、大広間でハルトンと話すハーティを目撃した。


「おお、お帰り。ウィル。ニニス様。……大丈夫?」


 ハルトンがニニスの汚れを心配した。ハーティはニニスに気がつくと近づいて嫌味たらしく言う。


「あら♪ ずいぶんと泥だらけですが、お外で遊んできたのですか?」

「あははは……」


 ニニスが困ったように微笑む。するとウィルの視線の鋭さがより一層強くなり、彼はその蒼眼をハーティに向ける。


「ハーティ様。その言い方は少し無礼かと」

「あら……。分かりました♪ お騒がせ致しましたね。失礼します」


 ハーティはにっこりと笑って部屋を後にした。


「お父様。ハーティ様がなぜこちらに?」

「ああ、ハーティ様が街に神の加護をもたらしたいって提案されたんだ。願ってもない話だったよ。それで彼女が加護をかけた後に、攫われた人たちが帰ってきたもんだから、街のみんなはようやくゴブリンから解放されたって喜んでいるのさ。それもこれもハーティ様のおかげだな! 彼女が来て良かったってみんな口を揃えて言ってるんだ」


 ハルトンは大変嬉しそうに語った。

 ニニスは頷きながら微笑んで話を聞いていたが、納得の行かないウィルはしかめた顔をしていた。


「事態の解決に大きく貢献したのはニニス様です。ハーティ様が全部解決したように言うのは違うのではないですか?」

「おお、それもそうだ。ニニス様にも協力してくださって感謝するよ」

「そうではなく―――!」


 ウィルが強く言おうとした時、ニニスは彼の纏う鎧を軽く引っ張って制止させた。


「ニニス様……?」

「いいんですよ。気持ちは嬉しいんですけど、私は名声のためにやったのではありませんから。皆さんが救われたのならそれ以上は望んでいません」

「…………」


 ニニスから向けられる温かい笑顔でウィルは落ち着いてきた。それと同時にどこか物悲しい気持ちも湧いてくるのだった。

 話が終わって部屋を出たニニスとウィルは、扉の傍にいたクラリスを発見した。クラリスは土汚れに覆われたニニスに気づくとドレスや髪をじっと見つめる。ニニスはビクッと肩を震わせた。


「あっ! クラリスさん! その、違くて! これにはワケがありましてって感じで!」

「……ドレスの替えを持ってきておいて良かったです。別に怒りませんから」とクラリスはぶっきらぼうに言った。

「そう……? 怒らない?」

「無事に帰ってきただけでも良かったですよ。早速着替えましょう」

「うん」とニニスは気まずそうに頷いた。そしてウィルに向き直す。「ウィルさん。今日はありがとうございました。またいつか会いましょうね!」

「あ、はい……」


 最後に笑顔で手を振ってから前を向いたニニス。

 クラリスに先導されるニニスの後ろ姿を見ながら、ウィルの頭の中では彼女の最後の言葉と笑顔が反芻されていった。

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