第6話 もしもの話

 人通りもまばらな住宅地に、薄く霧がかかっていた。

 そんな中を一人の中年女性が歩いている。


――と、その後ろからのっそりと大きなが忍び寄っていた。

 そのは熊のようの輪郭をしていたが、本物の熊とは違い、その体は影を身にまとったように真っ黒だった。


 もし、誰かがこの姿を目にしたらこう叫ぶだろう。

 エニグマが出た、と。


 そのエニグマらしきモノの右手には、きらりと光る鋭い爪があった。

 そいつは左手で女性の肩をトントンと軽く叩くと、驚いて後ろを振り返った彼女の喉元を右の爪で裂き、


――ということには、ならなかった。


 エニグマらしきモノが女性に手を伸ばした瞬間、その腕に白い糸がグルグルと巻き付いたのだ。同時に糸は物凄い力で、そいつを身体ごと後ろへ引き倒した。

 さらにそこへ、次から次へと追加の糸が絡みつき、自由を奪っていく。


 そのとき、サッーと霧が晴れていった。

 次の瞬間、周りに潜んでいた警官たちがバッと飛び出していく。


 そして、霧が完全に晴れたとき、警官たちが目にしたのは、エニグマとは似ても似つかない痩躯の若い男だった。彼は糸でがんじがらめになっていて、その近くの地面には切れ味の鋭そうなナイフが一本落ちていた。



 シンの推測通り、メイセイの都を騒がせた連続殺人事件はエニグマの犯行ではなかった。

 犯人は奇石使いの若い男で、『こまどり亭』という都の北西地区にある酒場で、殺しの依頼を受けていた。


 殺し屋の男が標的に手にかけるとき、依頼者たちは自らの完璧なアリバイを用意していた。

 そうすれば、被害者殺害の動機がある依頼者たちも捜査の目から逃れられる。


 また、殺し屋の男は犯行の際、エニグマにふんしていた。

 それを可能にしたのが、彼の持つ奇石の能力だ。その奇石は、霧を発生させ、その中にいる者に幻覚を見せることができた。

 この力を悪用するために、男は標的殺害に際して、わざと目撃者がいるような状況を作っていた。それで、エニグマが被害者を襲ったと誤認させたのである。


 今回の事件解決は、警察隊と守護者の共同捜査の成果だ。

 そして、警察隊に協力した守護者というのは、あらかじめ事件を担当していた二番隊ではなく、ユイトを含む近衛隊の若干名だった。


 間違っても二番隊に手柄を横取りされないよう、シンが聖女の権限を使って手を回し、警察隊への近衛隊の正式な捜査協力という段取りを整えたのだった。


 無事、事件が解決して警察隊も守護者も万々歳だが、唯一心穏やかでないのは二番隊だ。

 隊長会議でシンの進言があったにもかかわらず、彼らは事件がエニグマの犯行という捜査方針を改めなった。


 しかし、蓋を開けてみれば犯人は奇石使いであり、それを逮捕したのは部外者たちという結果……。

 二番隊の面目丸つぶれだった。




「二番隊隊長は相当荒れたらしいですよ」


 意地の悪い笑顔で、近衛隊長のカイルが言う。

 これまで、散々酷い扱いを受けてきたシンも、カズラに一矢報いることができ、胸のすく思いだった。


 また、今回の件をきっかけに、シンに対する各隊の隊長たちの態度は少し変わってきていた。少なくとも、「現場を知らない小娘」と侮られることはなくなった。


――だが、もう遅い。


 シンは苦笑する。


 いくら守護者内でのシンの評価が高まろうと、今から彼らと信頼関係を構築し、カンナギ家に対抗する力を持つには時間がなかった。その前に、カンナギ家はシンを始末しようとするだろう。


 この国から『逃げる』という選択肢はもはや変わらない。

 すでに水面下で、シンは逃走経路や資金の確保を始めていた。



 さて、今回の成功は、ユイトの功績に因るところが大きいだろう。

 いくら、シンの推測が正しくとも、それを信じて自ら行動してくれる者がいなければ、この連続殺人事件は解決しなかった。


 だから、シンはこう思う。


――ユイトともう少し早く出会っていれば、未来は変わっていたんじゃないだろうか。


 彼女のような存在が傍にいたら、守護者での己の立ち位置も今とは変わっていたのではないか。ともすれば、カンナギ家に対抗する手段を手に入れることもできたのでは……?


 そんな意味のない「もしもの話」が、珍しくシンの頭をよぎった。



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