第51話 ずるい人
透哉さんが唸る。
「うーん、それが伊織のいい所でもあるからな。俺はそういうところに惹かれたわけだし。伊織だけじゃなくて、あの子に簡単に落ちた男どもも悪かったし。でもまあ、伊織自身を守るために、もっとわがままで強くなってもいいとは思うよ。伊織はまっすぐで人を信じやすいから、心配にはなる。でも伊織が言うように、前より絶対変わってきてるから、自信もって」
笑ってそう言ってくれた透哉さんに、私も微笑み返す。
「ありがとうございます。もっと頑張ります! やっぱり、周りの人に守ってもらってばかりじゃだめだなと思いました。これからは、私が守ってあげられるようになりたい」
今回は散々なことばかりだったけれど、こうして透哉さんと付き合えたし、同僚のみんなも信じてくれたし、久保田さんは前よりもっと信頼できるようになったし、悪いことばかりじゃなかったとは思う。
いろんな人に支えられていると、実感できた。
「これからはもっともっと強くなりたいです! やっぱり久保田さんぐらいじゃないと」
「久保田さん? ああ、あの子は確かに強いよなあ。俺、最近思ったんだよね。ほら、昔は女は怖い生き物だって怯えてたわけだけど」
「あは、怯えてた」
「伊織は違うなあって思って好きになったけどさ。久保田さんもいい子だなあって痛感したよ。いつも伊織の味方だったし、上手くアシストしてくれるしさ。俺もまだまだ視野が狭いなって」
しみじみとそう言ったのを聞いて、一瞬嬉しく思った。それは久保田さんがいい人だと褒められた喜びだったが、同時にすぐにもやもやした気分になったのだ。
森さんを家に泊めてしまった時、久保田さんを呼んでくれたことで、透哉さんが彼女をとても信頼しているということは分かっていたけれど、やっぱりかなり信頼を置いているらしい。
それは当然のことで私も凄く嬉しいこと。だけどーー
「伊織? どうした?」
「い、いえ、あの……久保田さんじゃ勝ち目がないと思って」
「へ?」
「つ、つまらない嫉妬です、ごめんなさい」
顔が真っ赤になって頭を下げた。どこに嫉妬しているんだ私は。でもだって、久保田さんは私にとっても大好きな人だからこそ、敵わないと思ってしまう。
しばらくぽかんとしていた透哉さんだが、すぐに手で顔を覆い、天井を仰いだ。呆れられてしまった、と慌てる。
「ごめんなさい、ほんと、何言ってるんだって感じですね!? あの、久保田さんも透哉さんも凄く大事な人で、だからこそ複雑になってしまったと言いますか、もうほんと情けない」
「こら」
短く言うと、ずいっと私に顔を近づけた。整った綺麗な顔立ちが目の前にきて、さらに緊張度が上がってしまう。薄めの唇が見えて、そういえばこの口と前はキスしたんだっけ、と思い出し、自分がそんな思考に飛んでしまったことに恥ずかしくなった。
「そんな可愛いこと言って何? 煽ってるの?」
「あ、煽ってなんか」
言いかけたところで、キスで言葉を止められる。
何を言おうとしていたのかさえ頭から吹っ飛んで忘れてしまうくらい、そのキスに翻弄された。そろそろ心臓が破裂してしまいそう。それぐらい、彼とのキスには力がある。
心地いいけど胸は苦しい。そんな矛盾が生じてしまう熱いキス。
しばらくして離れた透哉さんが、どこか嬉しそうに言った。
「人間として久保田さんを尊敬してる、って話。俺はずーっと伊織に片思いしてきたんだから、今更気持ちを疑われると傷つくよ?」
「あ、ああ、す、すみません」
「あと、久保田さんに改めてお礼を言ったらなんていわれたと思う?」
「え……男前の久保田さんですから! 気にするな、みたいな感じでしょうか」
「今度、めちゃくちゃいい男紹介してくださいね、って言われた」
「あはは!」
つい声を上げて笑ってしまうと、透哉さんも一緒になって笑う。二人の笑い声が部屋内に響いた。
透哉さんは笑っている私を目を細めて眺めると、テーブルの上にあった資料たちを簡単にまとめる。
「よし、続きは明日また相談しよう」
「え? あ、はい」
「伊織にも煽られ、俺はもう限界だから、今から手を出すわ」
「あ、は……え!?」
頷きそうになって止まった。彼はにやりと口角を上げる。
ぼぼっと自分の顔が赤くなってしまった。それってつまり、そういう意味だろうか。いや、付き合った男女が泊まるというのに、そういう意味じゃない方がおかしい。
透哉さんは私の顔を覗き込む。
「まさか今晩も手を繋いで寝るだけじゃ、さすがに俺も無理だよ」
肩をすくめてそう言った。
今日泊まっていく、となってから、私も覚悟は決めていた。この前泊まった時は、本当に手を繋いで寝るだけだったけど、さすがに今回はそれで終わらないだろう、と。むしろ、いい大人の男女がそれで終わってしまっては、不思議なぐらいだ。
透哉さんがにこりと笑う。
「さすがに伊織も心の準備は出来たかなあ、と」
「……は、はい、さすがに、多分、大丈夫かと。ああ、でもあの、お腹を引き締めるとかそういう準備は追いついてないですが」
「あはは!」
「あとそそそそれと、私そんなに経験が多くないし、久しぶりなので、お手柔らかにお願い出来ますと」
俯いたままごにょごにょと言葉を並べる私の頬を、透哉さんが両手で挟む。彼は眉を片方釣り上げて言う。
「俺、過去にも嫉妬するタイプみたいだから、久しぶりとかあんまり言わなくていいよ」
「は、はあ」
「あと俺も久しぶりだし」
「でも透哉さんは絶対私とは経験値が違います!」
「えー? あー」
思い当たる節があるのか、天井を見上げて言葉を濁らせる。その様子を見て、今度は私がむっとする番だ。どうしてだろう、そんなの分かってたはずなのに。一時期は普通に恋愛していた、って聞いてたから、モテまくる彼が、経験値が低いわけがないのに。
「やっぱりそうなんだ……」
「あれ? 伊織?」
「多分、透哉さんは綺麗な女性にばかり言い寄られてたと思いますけど、私で大丈夫でしょうか……かなり平凡なタイプなんですが」
「もう食わない、って絶食を宣言してた俺を変えたのに、本当に平凡だと思ってんの?」
透哉さんはそう言うと、そのまままた私の唇にキスを落とした。何度も何度も、それはまさに食べて味わうかのように、彼は繰り返す。
不思議だな、と思う。
今年の誕生日の日、私は全く違う男性と結ばれることを心待ちにしていたというのに、今はもう透哉さんしか見えない。この人だけはこれから先もずっと信じて行こうと思っている。
隣にいても恥ずかしくないくらい、これからもっともっと成長していきたいと思える、そんな人。
そっと離れて見えた彼の顔は、完全にスイッチが入った顔になっていた。初めて見るその表情に、ぐっと自分の中の何かがあふれ出る。
透哉さんが立ちあがり、近くにあるベッドまで行き腰かける。
「おいで」
彼に呼ばれ、私は小さく頷く。まだ半分以上残ったお酒もそのままに、ゆっくりと移動し彼の正面に立つ。そんな私の右手を、透哉さんは優しく握った。
そしてその手を引かれ、ベッドに倒れこんだ。
見上げると、どこか嬉しそうに私を見下ろす彼がいる。私の乱れた前髪をそっと撫でつつ、思い出したように言った。
「明日も休みでよかったね」
「そ、そうですね」
「明日あのケーキ屋でケーキでも買って食べない?」
「いいですね!」
「それから物件も見てみて」
「はい」
「つかやっぱり借りる部屋一つでよくない?」
「そうで……じゃないです! それは断ったはずです!」
危うくイエスと言いそうになった自分を慌てて止めた。透哉さんは目を細めて笑う。
「引っ掛かんなかったか」
「勘弁してください、やっと付き合いだしたところですよ!」
「だっていずれ絶対そうなるのに、金も勿体ないじゃん」
「ぜ、絶対そうなるって……」
何があるか分からないのに? そう思って不安げに彼を見ると、にやりと笑われた。
「これだけ手を尽くしてようやく手に入った物を、俺は一生手放す気はないからね」
そう言って、彼は愛しそうに私に口づけた。
ずるい。そんな言い方をされたら……
分かりました、って言ってしまいそうになる。
でも、そんなことすら言う余裕がなくなる。私は目を閉じて身を任せた。
とりあえず、後で考えればいいや。
今はあなたの熱い愛に包まれて、その幸せに浸らせて。
おわり
↓番外編
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