第49話 理解し合えない人間
それでも透哉さんは厳しい言葉を掛け続ける。
「気づくのが遅すぎだろう。帰りに伊織を待ち伏せしたり、陥れようとしたり。自分さえよければそれでいいのか? お前そんなやつだったっけ」
「……自分でも、よく分からない」
三田さんが苦しそうな声を出す。
「さわこが来なければ、今頃岩坂と付き合ってたのは俺だったのかって思うと、後悔してもしきれないというか……どうにかして道を戻せないかなって、ただ必死になってた」
「もし伊織と付き合えてたとしても、森さんみたいなのに誘われたらお前はどうせ揺らいでたよ。遅かれ早かれ、駄目になってる。お前は伊織にふさわしくない、ただそれだけのことなんだよ」
容赦ない透哉さんの言葉に、三田さんが拳を握りしめ、項垂れた。そこに森さんの悲鳴ともいえる叫び声が響いた。
「そもそもなんで私のせいでこの女と付き合えなかった、みたいになってるわけ? 誘われた時はあんなに嬉しそうにしてたくせに! あんたなんて用がないから別れた後、この女に言い寄ってるのは都合がいいと思ってほっといたけど、その言い方はなによ!」
「酒の勢いもあったから……でもさっきお前が言ってた過去の男たちの話と同じだよ。顔はいいから一時の感情に流されたけど、付き合うなら岩坂がいいってずっと思ってたんだから。あんな後悔したことはない」
「ふざけんなよ!」
もはや三田さんに掴みかかった森さんに慌てて声を掛けようとしたとき、すっかり人だかりになってしまった奥から、上司の声が聞こえた。透哉さんがあらかじめ呼んでおくと言っていた人だ。
森さんが犯した罪をしっかり裁くには、一人が上司に申告するより、周りの人に見てもらって騒ぎにしておいた方がいい、と言ったのは透哉さんだ。騒ぎになればなるほど、会社は生半可な判断は出来なくなる。もし万が一、適当な対処をされたら困るから、と。だから彼はこれだけの人を引き連れて、私と森さんの会話を聞かせたのだろう。
上司がやってきて、森さんを引き離した。彼女ずっと黙って私を睨んでいたし、三田さんは俯いていた。
二人は上司に連れられ、すぐにその場からいなくなってしまった。
騒ぎがなくなり、しんと静けさが流れる。張っていた緊張感も解け、どっと疲れが押し寄せた。
残されたのは、私と透哉さん、それから多くの仲間たち。すっかり注目の的になってしまい、私は今更気まずさを感じて謝った。
「あの、お騒がせして本当に申し訳ありませ」
「伊織ちゃーん! 頑張ったねえ!!」
明るい声がしたと同時に、久保田さんがどこからか駆け寄ってくる。そのまま私を抱きしめるように腕を回した。強い力で、ぐえっと変な声が漏れそうなくらいだ。
実は久保田さんにさえ、今回のことは詳しく伝えられていなかった。休みを挟んでいたし、透哉さんと今後について相談するので手一杯だったからだ。ただ、三田さんへの伝言だけは頼んだ。彼女は驚きつつも、ちゃんと言った通り伝えてくれたみたいだ。
何も知らなかった久保田さんから見て、この展開は驚きだっただろう。
でも、きっと温かく見守ってくれていたのだ。久保田さんの性格なら、途中で森さんたちに怒鳴り込んだだろうに、きっとあえてぐっとこらえ、私たちを見守ってくれていたに違いない。
「久保田さん……! 伝言、ありがとうございました」
「何があったのかとびっくりしたよもう! でも柚木さんがいてくれたし、下手に口をはさむのもどうかと思ってさあ! あースカッとした、あの女! ついに盗みまでやるとはね」
騒がしくそう言った久保田さんをきっかけに、わっと同僚たちが私たちに声を掛けてきた。みんな心配そうにしている。
「私もびっくりしたよー! 怖かったでしょ?」
「スマホとられたってまじ?」
「三田までなんかやらかしてたの? 俺そこは気づかなかったわ」
口々に言ってくれる人たちに、なんだか嬉しくなって深々と頭を下げた。森さんが私を悪者にしようとしたとき、信じてくれたのが嬉しかったのだ。
「お騒がせしてすみませんでした! あの、色々あったんですけど、とにかくみなさんがフォローしてくれたのが嬉しかったです。ありがとうございました」
急に泣き出しそうになってしまった。安心感が訪れたのかもしれない。
そんな私に、透哉さんが優しく肩に手を置いてくれる。防犯カメラのことを思い出したのも、ここに人を呼んで証人を作り、騒ぎにした方がいいと助言をくれたのも、透哉さんだった。
「頑張ったね」
優しくそう言ってくれたので、首を振る。私は特に何もしてないんだけどなあ、全部透哉さんに言われた通り森さんを誘導しただけだし、あとは勝手に向こうが色々やってくれたし。
和やかなムードが流れたと同時に、誰かが声を上げた。
「あーヤバイ、仕事しないと!」
「ああ、こんな時間じゃん!」
「岩坂さんも柚木も、今度詳しく何があったか教えろよ!」
慌ただしく去り始める。今日という一日はこんな波乱なスタートになってしまったが、仕事が待ってくれるわけでもない。私たちは今からやるべきことが山のようにある。
落ち着いたら、みんなにもう一度しっかりお礼を言おう。
そう心に決めると同時に、思ったより自分の気持ちが晴れていないことに気が付いた。透哉さんも感づいたのか、私に尋ねてくる。
「まだなんかあった?」
「いえ……森さんのしたことが明らかになったのはよかったですし、三田さんも謝ってくれましたけど……やっぱりすっきりした、とは言えなくて」
私の言葉に、透哉さんが静かにうなずく。
「そりゃあ、そうだな。俺たちの邪魔をしたがってたのは分かってたけど、まさか人の物を盗むようなことをする人間がそばにいたなんて、予想を超えていた。でも、きっとああいう『自分が良ければ他の人間がどう不幸になろうと構わない』っていう人間は、案外多くいるんだよきっと。人としての感覚もマヒしてて、罪悪感なんて覚えない。俺たちからすればそんなこと? っていう理由でも、執着しだしたら止まらないんだろう」
分からない、と心臓が冷えた。
あの子が言いたかったこともやりたかったことも、私は何一つ理解できなかった。
「理解し合えない人間は一定数いるんだよ」
透哉さんが苦々しく呟いた。
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