第19話 自信を持って

「……はい、おかげで、今思えば、落ち込んでる暇なんてなかったです」


 微笑んで答える。うん、本当にそうだ。柚木さんにどんなお弁当を作ろうだとか、食事に行くのは緊張しちゃうとか、そういうことで忙しかった。三田さんへの失恋は悲しかったけど、気がまぎれていたのは事実だ。


 柚木さんが頷く。


「それはよかった。ところで名前、また柚木になってる」


「あっ! と、透哉さん!」


「その調子。これ美味しいよ、食べてみて」


 柚木さんが勧めてくれるお刺身を、私もようやく食べてみる。和食は好物なので、つい頬を緩めてしまった。


「すっごく美味しいです!」


「でしょ? ここ結構美味いんだよね。俺好きでたまに来てる。好きな物、教えて。趣味とかある?」


「うーん、読書ですかねえ……」


「へえ、イメージ通りだ。好きな作家は?」


「道野英雄が」


「あー俺も好きだよ、あれ読んだことある? ひまわりの」


「あ! 一番好きです!」


 聞き上手な柚木さんのおかげで、思ったより話が盛り上がりを見せてくる。同じ本が好きだったり、同じ食べ物が好きだったり、案外共通点が多くて驚いた。


 今まで謎に包まれていた柚木さんの姿も、少しずつ見えてきた。休みの日は案外、家でだらだら過ごすのが好きだとか、最近料理を始めたことだとか、猫より犬派だとか。仕事をしている時には知ることが出来なかった、プライベートな顔。少し近寄りがたいタイプだと思っていた彼は、話してみればずっと話しやすくて面白い。


 私はお酒をどんどん飲み進め、楽しい時間に身を任せていた。




「三田のどこがよかったの」


 だいぶアルコールが回ってきたところで、柚木さんが尋ねてきた。顔が熱くなっている自分は、ふわふわとした感覚に陥っている。雲に乗っているような、水の中にいるような、そんな心地いい感じだ。酔っている自覚はある。


 初めは緊張から、そして途中からは、柚木さんとの食事が楽しくて、ついついお酒が進んでしまった。料理も美味しいし、明日が休みだという安心感もありどんどん飲んでしまっている。ここ最近の疲れもあるからか、回りも普段より早い気がした。


「そうですね……明るくて、話しやすいです。優しいし、一緒にいると楽しくて」


「確か指導係だったっけ」


「はい。優しく色々教えてもらいました」


 ぼんやりと思いを馳せる。右も左も分からない新入社員だったころ、三田さんは私に色々教えてくれた。失敗しても責めず、最後まで一緒に動いてくれた。その優しいところに、いつの間にか惹かれていた。


 柚木さんは何杯目か分からないウーロンハイを飲みつつ、続ける。


「二人は息の合ったコンビだったしね」


「そんなたいそうなものじゃないです。とにかく役に立ちたくて頑張ってただけで……結局、ただの後輩としてしか見られていないのは分かりましたし」


 両手でグラスを握る。目の前がぼんやりしているのは、涙のせいなのか、アルコールのせいなのか。鈍った頭では分からない。


 三田さんとコンビだとか呼ばれていたのは確かだけど、そこに特別な感情があったのは自分だけだったことを思い知った。二年以上、片思いして実らなかったのだから、もう望みはないだろう。


「諦める?」


 柚木さんが、私の顔を覗き込んだ。


 フィルターがかかったような脳で彼の言葉を聞き、私は苦笑いして頷いた。


「ここで『絶対諦めません!』って言えるほど、残念ながら強くなれないみたいです。付き合いだしたのが森さんじゃなかったら、まだそう言えてたかもしれないけど……私にはないものをたくさん持ってるから……全然タイプが違うから。あの時だって」


 大学の時も、私が好きな人は結局彼女を選んだ。二度も続いたのだ、あの子にかなうわけがないと、思い知っている。


 無理やり笑顔を作って言った。


「正直まだ未練たらたらですけど、頑張って諦めようと思っています」


 そう言った途端、ぼやけていた視界がさらに滲んだ。ぶわっと涙が出てきたのだ。


 慌てて隠すように俯いた。こんな風に泣いてしまっては、柚木さんを困らせてしまう。ただでさえ、色々と迷惑を掛けているというのに。


 そんな私を気遣うように、彼は穏やかな口調で言う。


「それでいいと思う。三田に伊織は勿体ない」


 予想外の言葉に顔を上げる。まつ毛を濡らした私を、彼は迷惑がることもなく温かな目で見ていた。


「森さんにない物を、伊織もいっぱい持ってるよ。伊織は、誰かに甘い声で頼ることや、自然と男に触れるようなことは出来ないけど、真面目で周りから信頼があって、何より優しい。こんな展開になっても、君の口から悪口を聞いたことはない。それは凄いことだと思うし、自分を卑下することはない。もっと自分に自信を持てばいい」


 まっすぐそう言われ、出ていた涙もひっこんだ。そして涙のかわりに恥ずかしさがこみ上げてきて、顔が熱くなる。あの柚木さんからこんな風に褒められるなんて。


 ああでも、違う。彼はいつだって、誰のことも平等に尊重していた。私の仕事ぶりをしっかり褒めてくれていた。思い返せば、後輩の私にさえ、頭を下げてお礼を言っていた。


……凄い人だなあ。改めてそう思う。


 あんなに仕事が出来て誰よりも期待されているのに、天狗にならずにいられるなんて。


 じんわりと胸が温かくなった。もしかして自分は、ずっと誰かにこうやって言われたかったのかもしれない。選ばれなくても、私という人間が役立っていると。そのままでいいんだと、励まされたかったのかもしれない。


 私は頭を下げる。


「ありがとうございます……ゆ、透哉さんにそう言ってもらえたら、なんか自信が出てきた気がします」


「そう、それでいい。少なくとも俺は、森さんより君を信頼してるから。仕事は丁寧でミスも少ないし、気が利く。これからも伊織の力を借りたいことがたくさんある」


「……はい!」


 彼の言葉で、頑張ってきたのは無駄じゃなかったんだと思った。恋愛面ではだめだけど、仕事上はちゃんと報われてるし信頼を得ている。それは今の私にとってとても重要なことだった。


 好きな人には選ばれなかったけど、でも一緒に働く人から頼りにされているんだ。女としては森さんにかなわないけど、職場の先輩としては負けたくない。


 これからも頑張ろう。みんなの役に立てるように。


「ありがとうございます……本当、今の私には嬉しい言葉で……」


「別に……だから……いつも手伝……あれ?」


 柚木さんの声が、やけに遠く感じた。目の前がふわりと揺れて、ぼやける。


 心配そうにこちらを見てくる柚木さんの顔を最後に、私は重い瞼を閉じてしまった。









 



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