第17話 来なくていいから



 来る金曜日。


 私はいつも通り仕事をこなし、淡々と時間を過ごしていた。柚木さんと付き合っている宣言をしてから早五日。この五日で、私は彼の凄さを目の当たりにしてきた。


 道行く人にちらちら見られ、注目を浴びた。これまであまり話したことがない人から、『柚木さんとどうやって付き合うことになったのか』など興奮気味に尋ねられ困り果てた。初めに柚木さんが簡単に付き合うきっかけの設定を考えてくれていたので、そのまま話して何とかくぐり抜けてきた。


 だが、彼の話だと『柚木さんから告白をしてきた』という設定だったので、自分で言うのはなんだか畏れ多いし恥ずかしかった。でも、私が恥ずかしそうにしているのは、相手にとっては別の意味で受け取られたらしく、『ラブラブなんだねえ』と言って人は去っていった。結果オーライである。


 そんな忙しい時間を過ごしながら金曜日を迎え、柚木さんとの食事の時間が近づいてきている。事前に店の予約も終えたと報告があったので、忘れられていることはなさそうだ。


 彼と食事に行くことが決まってから、そわそわと落ち着かない時間を過ごしていた。まず、男性と二人きりで食事に行くなんて、大学生以来なのに、さらにはその相手が柚木さんだなんて。緊張するなという方が無理なのだ。


 仕事を切り上げ、時計を見上げる。今日は予定もあったので、残業しないように必死にやってきたので、何とか上がれそうだった。


「伊織ちゃん、終わるー?」


「終わります、久保田さんはどうですか?」


「終わり―! もしよかったら、また飲みにでも行かない?」


 笑顔で誘ってくれたが、うっと言葉に詰まる。そんな私の様子を見て、久保田さんがすぐに何かを察したようだ。にやにやしながら追及してくる。


「あれー? 金曜の夜に、お出かけかあー。素敵な彼氏さんとー?」


「く、久保田さん……」


「いいねいいねえー今度は私ともまたご飯行こうね!」


 そう嬉しそうに言った彼女が帰りの身支度をし始める。と、丁度そこへ柚木さんの声がした。


「終わった?」


 振り返ると、私の後ろで柚木さんが立って待っている。慌てて立ち上がり、カバンを手に持った。


「あ、は、はい!」


「よかった、じゃあ行こうか。久保田さん、お疲れさま」


「はあーい! 二人とも楽しんでくださいねー!」


 久保田さんがやけに大きな声で言った。恐らく、私と柚木さんが順調に付き合っていますというアピールなのだろうが、理由がわかっていてもなんだか恥ずかしい。


 そのまま柚木さんと出ようとした時、私たちを追ってくる足音が聞こえた。


「柚木さーん!」


 ハッとして振り返る。森さんが小走りにこちらへ近寄ってくる姿が見えたので、つい身構えてしまう。何で体を固まらせているのだ、自分は。


 森さんは私たちに追いつくと、柚木さんを見上げながら笑顔で言った。


「今からお二人で食事に行くって本当ですか?」


「そうだけど」


「あの! 私、入って間もなくて色々悩みがあって……先輩たち二人に聞いてもらえたらなあって思うんです。ちょこっとだけ、ほんの三十分でいいから、参加させてもらえませんか?」


 上目遣いで柚木さんにお願いしているのを見て、私は何も言えなかった。新入社員ならではの悩みがあるという気持ちはわかる。でも、三人で食事に行くとしたら気まずくてたまらない。森さんには申し訳ないけれど、まだ彼女と向かい合って食事が取れるほど、自分の気持ちは落ち着いていないのだ。


 柚木さんが少しだけ首を傾げて言った。


「悩み? そういうのは指導係にした方がいい」


「それもそうだと思います……ただ、ずっと憧れてる岩坂先輩と、営業部エースの柚木さんに聞いてもらいたいって思うのも、当然の気持ちだと思いませんか? お二人の邪魔にならないように、三十分だけで帰りますから! 岩坂先輩、いいですよね? お願いします……」


 泣きそうな顔で言われ、言葉に詰まる。私に憧れているというセリフはともかく、やり手の柚木さん相手に相談したいことがあるのは、おかしい話じゃない。むしろ、勉強させてもらうといえば、彼が一番適任なのだ。


 困ってしまって、視線を泳がせる。そんな私を見てOKだと思ったのか、森さんは柚木さんの腕にそっと触れながら笑顔を見せた。


「先輩は大丈夫みたいです! 岩坂先輩は優しいから……そんな先輩でよかったあ。カバン持ってきますね」


「いや、来なくていいから」


 森さんの言葉にかぶせるように、柚木さんが発言したため、森さんが固まった。私もつい、隣を唖然として見上げてしまう。


 柚木さんは表情一つ変えず、凛としたあの様子で淡々と言った。


「相談を聞くのはいいけど、仕事中にしてもらえるかな? プライベートで聞いてほしいっていうなら、それは俺じゃなくて三田の仕事」


「え、で、でも」


「悪いけど俺、この日を楽しみに待ってたから、気を利かしてもらえる?」


 そう断られたのを、森さんは信じられないとばかりに目を見開いて聞いている。彼女の手をさらりと払い、柚木さんは私に声を掛けた。


「じゃあ行こうか」


「あ、え、は、はい……」


 この状況にどうしていいか分からず戸惑っていると、一部始終を見ていた久保田さんが大きな声を上げる。


「三田さーん出番ですってー」


 それを聞いた三田さんが、慌てた様子で立ち上がり、森さんのそばに寄る。森さんはそんな三田さんに見向きもせず、なぜか強い目で私たちをじっと見ていた。


 柚木さんは森さんをちらりとも見ず、私の手を引いてその場から立ち去ってしまった。


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