第2話 己の立場:1

 廊下の奥からこちらに向かって来る足音を聞きながら、リョウは最初に何て言ってやろうかと考えを巡らせた。やっぱりガツンと「訴えてやる」から入るべきか?それともすました顔で「こんな茶番の何が面白いのかね」と格好をつけてみるか?それとも、素直に「服をよこせ」って言うべきか?第一声を決めかねていると視界に男が現れた。


 不思議な格好をした小太りの男だった。その男は綺麗とは言い難い、何だか中世ヨーロッパっぽいと感じるシンプルな服を着ていた。サンダルにズボン、長袖のチュニックは腰の上を紐でくくられていて頭にはベレー帽のような物が乗っている。服はどれも元の色が何だったのか分からないくらいに色あせて汚れており、袖には継ぎ接ぎやシミが目立った。右手には見たところ長さ1メートル程度で先端が鉄で覆われている木の棒を持っており、左肩からは布の袋を下げている。


 テレビ局のスタッフがする格好じゃないし、コスプレにしても随分と汚い、とリョウは思った。ベレー帽の下から伸びる脂っこい髪の毛や無精ひげ、生気の無い目も良い印象を与えていない。これがアニメや映画だったら典型的な監獄の番人と言う印象だ。自分が思っていたよりも凝っている番組なのかな?そんなことでこちらが気圧されると思ったら大間違いだ。リョウは毅然とした態度で自分をここから出して責任者を呼ぶように言おうとしたが咳き込んだ。あれだけ叫んだら喉を傷めない訳がない。そうでなくても言葉を発する度に妙な痛みがあった。まるで声帯が不慣れな音を絞り出しているかのように。


 リョウが片手を鉄格子に当てて、咳き込んでいるうちに、男は目の前までやってきた。松明を背負っているのも相まって、男は表情が読み取れない顔でリョウを見渡してから口を開いた。


「後ろを向いて壁まで下がれ」


 意味は分かるのに聞いた事のない言葉であることにリョウは衝撃を受けた。自分だけが何かされてまともに喋れないでいる訳ではなかった。目の前の男も口から出る言葉とこちらに伝わる意味が合致していない。思考が停止し、陸の上に上がった魚よろしくリョウが口をパクパクさせていると、目の前の男がいきなり手にした棒の先端を鉄格子の間から彼の腹に突き立てた。


「がっ、かっ……」


 鳩尾みぞおちに一撃をお見舞いされたリョウは膝から崩れ落ち、必死に空気を吸い込もうとあがいた。両腕で腹を抱え込んで床の上に丸まる。うずくまる彼を見下ろしながら男は再び口を開いた。


「立て。壁まで下がれ。後ろを向け」


 そこに悪意はなく、ただ単にこの状況を面倒だとしか感じていないのが喋り方から伝わるとリョウはいよいよ怖くなってきた。いきなり人を殴って言う事を聞かせようとするとか、いくらテレビでもありえない。本当にここは牢獄か何かと思えてくる。それでも、この状況に対する怒りもまだ消え去っていないリョウは、立てと言われたからって飛び上がって言われた通りにするつもりは無かった。やっと呼吸もできる所まで回復してきたのでゆっくりと、相手を睨みながら立ち上がる。これがドッキリじゃない可能性なんて考えたくもない。今はこの男もコスプレしているスタッフだと思って接しよう。そう決めたリョウは鳩尾をカバーするように腕を胸の前で組みなおして咳払いをする。


「ゴホン。あんた、いったい何の真似だ?言っておくが俺はこの事を……」


 しゃがれた声でリョウが言い終わる前に再び男が無言で突いてきた。だが、今度は警戒していたので、とっさに身を引いたリョウの胸元を押し込む形にしかならなかった。


「何なんだ、いったい!俺が何をしたって言うんだ!?」


 リョウは棒の届かなさそうなところに飛びのきながら苛立ちを男にぶつける。


「してないから殴った。次は後ろを向け」


 つまらなさそうに言い放つこの男は妙に状況に合っている。リョウにはそう感じられた。松明の炎が揺らめいて鉄格子の影が踊る床。じめっとした冷たい空気。異臭を放つ茣蓙ござ。小汚いなりの暴力男。素っ裸でさっきまで叫び散らしていた自分でさえ。全てに異様なロジックを感じる。男の喋り方からも目の前の状況が日常茶飯事にちじょうさはんじである事が伺える。下手に逆らっても何も良い事はなさそうだ。状況の把握とズキズキする頭の傷の手当て、出来れば衣服も貰って、とそこまで考えたリョウは苦笑いを浮かべた。無い物ねだりを始めたなら1億円と美女5人組が歌を歌いながらマッサージしてくれる超高級スパへの招待券まであっという間だ。この中で浮いているのは自分だ、今はこの謎の暴力男に従おうと決めてリョウは棒を警戒しながらゆっくりと壁の方を向いた。


 壁に向き終わると足元に男が肩から下げていた袋が投げ込まれた。


「服を着ろ。終わったら壁を向いたまま待て」


 ぶっきらぼうに指示されるのには苛立ちを覚えたが、早速服が手に入ると知ってリョウの心は一瞬踊った。虚勢を張っても裸でいる人間は不安を抱えているもの。自分があまりに無防備過ぎて怖いのだ。


 袋の中に入っていたのは男が身に着けているようなぼろいズボンと袖なしのチュニック。靴も下着もない。ズボンには紐がついており、それでずり落ちないようにするらしい。ブランド物はと言い難い服でも、それを身にまとった瞬間にリョウの口から安堵のため息がもれた。メチャクチャな状況だし、声もおかしいし、いきなり棒で突かれるし、これからどうなるのか分からないのに布切れ一枚で自分が人間になった気がする。こんな事を仕組んだ奴が分かったらただじゃおかないと、更にそう決意を固めてリョウは成り行きを見守る事にした。見守ると言っても言われたことをやるだけだが。


 リョウが服を着終わるのを待っていたのか、男は何やら操作したのだろう、鉄格子が耳をつんざく甲高い音を立て始めた。天井に吸い込まれるように動いているようだ。


「手を後ろに回せ」


 リョウが言われた通りにすると部屋の中に入ってきた男は、どこから出したのか、紐を手早く手首に巻き付けてぐっと締め上げた。


「痛っ、ちょ、そんな締めなくても」


 文句を垂れるリョウにはお構いなしに男が自分でまきつけた紐を掴んで引っ張った。男はそのまま倒れまいと後ろ向きに小走りになったリョウを鉄格子の一部が上がって開いた穴から廊下に押し出す。当然立ってはいられずに尻もちをついたが、何か言う前に今度は髪の毛を引っ張られて立ち上がらされた。殴ったり引っ張ったりと暴力を楽しんでいる野郎だな。絶対に忘れないと、そう心に誓いながらリョウは押されるままに廊下を歩いた。


 等間隔にある松明の炎だけが廊下を照らしていたので詳細は何も見えないが、自分が居たのと同じような部屋が左右に続いているのは分かった。人の気配はしない。自分が閉じ込められていた部屋からすぐの所にあった半開きの扉を抜けると、その先にはらせん状の上り階段が続いた。段の一つ一つは大した高さじゃなかったが、急がせられると何とも歩きにくい。そう感じながら登り終えると突然外に出た。


 真昼なのか、太陽が真上から照り付けていた。地下の松明の後で日の光は眩しく、リョウは思わず顔をしかめて横を向いた。即座に後ろから押されて前のめりに倒れる。後ろ手に縛られているので咄嗟とっさに手が出ず、顔から泥の中に突っ込んでしまった。何とか体を起こし、口に入った泥をぺっぺと吐き出すと、ここまで連れてきた男の体つきに似合わない甲高い笑い声が聞こえてきた。余程面白いらしい。


「旨いか?はひっはひっ、泥が、はひ、泥が旨いか?はっ、はひひひひ」


 笑い声にもイラつくが、言っている事も意味不明すぎる。コイツの上司に会ったら即刻首にしてもらうまで引き下がらない。殴られたり、押されたり。とんでもない人の扱い方をしてくる男の文句を頭の中で吐いていたリョウを横目に男は笑い続ける。少しして笑い過ぎて出た涙を拭くと、男はリョウを引っ張り上げて立たせた。


「2等級審問官様がお待ちだ、泥喰い。待たせるんじゃない」


 そう言いながら男は手にした棒で先の方を指した。

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