超高速若年層

水野紀元前

boy

またすぐ朝が始まる


アラームを止めて布団から這い出る。

着替えながら湯を沸かす。

3日前からのティーパックにもう一度新しいお湯を注ぐ。

洗面台で顔を洗い、薄汚れた鏡を見ながら髪を整える。

軋む椅子に座り、昨晩の残りものを食べる。

薄く温い紅茶にたっぷりの砂糖とミルクを注ぎ、

本を読みながらゴクゴクと飲み干すと、

本を閉じ立ち上がりせっせと皿を片付けた。

汚い革のカバンに本と仕事道具をぶち込むと

軋むドアを開け、仕事に向かった。



彼の名は林檎。

彼の生まれた家は昔から貧しかった。

余裕のない無責任な親は、困窮の末彼を街に捨てた。

煌々と輝く街に沢山の人が通る中、幼子が一人石のタイルに膝まづいた。

それを見たお爺さんは彼を拾い、生かした。

名前をつけ、住む所を与え、学校に通わせ、色々なことを教えた。

名前や境遇からか学校ではいじめられていて、毎日泣いて家に帰った。

唯一の友達は生物学の本だった。

生き物をこよなく愛するお爺さんから沢山貰った本たちだった。

どんなときも肌身離さず持ち歩いた。


いつものようにいじめられて泣きながら家に帰った林檎は、机に置かれた手紙見る。

するとあの時のように崩れ落ちた。


「林檎へ

素直で可愛らしい貴方はいつも好奇心に溢れていて、若さなんて物差しじゃ測れない生命力を感じさせてくれました。そばにいさせてくれてありがとう。

ですがお別れの時が来たようです。

私はあなたをずっとそばで見守っていたい。

ですが別れを持って人は人と成るのです。

逞しく生きてください。いつでも知恵と私は貴方の味方です。

私を忘れないでください。いつかまたこっちに来たら会いましょう。」

また一人になって泣きじゃくる彼に、太陽は地平線からぬるっと這い上がり、無慈悲に彼を照らした。

葉の上の露を蒸発せんとばかりに照らした。

太陽と共に迫る現実に林檎は涙を拭き腹を括った。

泥臭く逞しく、生きて生きて生き続けた。

何度も挫け、その都度立て直した。

やがて彼は青年になった。



彼はいつもの時刻のバスに乗り、仕事場に着いた。

8:50 a.m.

白衣を纏い、仲のいい同僚たちと仕事を始めた。

彼は生物学者として功績を収めていた。

今は「心の中」を研究している。


1:08 a.m.

「林檎、もう今日は寝ようよ。これさ、やってることマッドサイエンティストだぜ。たしかになんかしらの意味はあると思うよ。でもそこまでしてやる大義?ってなんだ?」

同じ研究室員の木下は神妙な顔をしながら近づく。

「確かに今思えばマッドサイエンティストだな。でも夢があると思わないか?生物学の真髄な気がしてるんだ。なんかこう、心理学とか曖昧なのじゃなくてさ

今後は脳科学分野と協力して進めていきたい。

ほら、青葉だっけ?いるよなお前が仲いいヤツ。」

林檎は作業をしながら笑って話した。

「心理学バカにすんなよな。

彼奴らは彼奴らなりに、、まあ頑張ってるはずだよ。

青葉はA棟にいるよ。明日の朝連れてってやる。

その代わり今日はもう寝ろ。」

「わーったよ。そこの寝袋とってくれ」

林檎は続けて「研究室暮らしが始まるのかぁ。

ここC棟ってさA棟B棟に比べて古くねえか?」

「たしかにな。しかも生物学科と薬学科と食堂しかない。でも設備は一級品だから許せる。」

「そうだな。」

ここは郊外の緑に富んだ大型研究機関。

まさに生物学にはぴったしの立地だ。


これから彼はどんなふうになってゆくのだろう。




┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

彼は子供心を忘れていなかった。

小さい頃から憧れていた「心の中」。

きっと彼は内心すごく寂しいんだ。

小さい頃からずっと心に日が入らない。

ようやっと職に就いて忙しいが、未だ日は

入らず、かと言って影にもいない。

なにかこうLEDの常夜灯のような、気持ちの悪い明るさの虚空に一人彷徨っているようだ。

それを少年の野心の中だとか、可能性そのものだとかと言えば聞こえはいいが、

先が見えない恐ろしさを感じとれる今となってはそれは無限に広い独房に過ぎない。

意外と道を強制される方が楽なのだと逆説的にいわれているようだ。

僕(筆者)は、いや僕に限らずみんな自由を求めている。だから皮肉にも刺さるこの言葉に、

死にてぇ とすら思ってしまっている。



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