学び

中川 樹

抱擁

 夏は暑い。冬は寒い。日本に住むなら当然のことだ。なら、春は温かい。秋は涼しいのか。否、全くそんなことはないのである。秋は暑いし、春は寒い。過ごしやすくなったと思ったら、途端に雨が降る。そんなものだ。

「はたらけはたらけはたらけ……」

 無職の一日の始まりは、「働こう」という意思の表明だ。でも、今日は雨だ。家にいたい。

 雨の日は寒くて目が覚める。築二〇年のアパートは隙間風の通りがいい。

「寒いな」

 人より寒さに強い。その分、暑さに弱い。上着を着て、「そういえば今日はゴミの日だった」と思い出した。ゴミを集めてゴミ捨て場へ向かうとしよう。

 ゴミ捨て場は静かだ。前に、俺はここで一晩、寝ようとしたことがある。「ゴミってあったかそうだ」と思ってのことだった。寝心地は悪くなかった。「これなら問題なく朝まで寝られる」と思った。あの人に見つからなければ。

「おはようございます! 尾井さん!」

「あ、え?」

 声をかけてきたのは、お隣のお隣さん。あの時、ゴミ捨て場で寝ていた俺を起こした人だ。

「今日はゴミ捨て場で寝てないんですね! 良かったです!」

「……うるせえ」

 声がでかい。近所迷惑だ。と、言いたいことは頭に百は浮かんだが、口下手な俺には一言しか言えなかった。「近寄んじゃねえよ」と突き放すような俺の態度にひるんだのか、お隣のお隣さんは申し訳なさそうに、

「あ……」

 と俯いてしまった。

 しまった。傷つけてしまったか。気まずいな。

「わたし、また失礼なことを言ってしまいました」

 お隣のお隣さんが頭を下げた。俺はなんと返してよいかわからず、

「あ、そうなんだ……」

 とだけ、できる限り優しく言った。

 ゴミを捨てて、さっさと部屋に戻ろう。どうやら、この人が謝った今なら、この場から離れることができそうだ。

ゴミを捨てようと一歩進んだ時、お隣のお隣さんのゴミ袋が足に当たった。

「うわあ」

 俺はゴミの山に飛び込んだ。ゴミの山は俺を柔らかく受け止めてくれた。それに、なんだかとても、

「あったけえ……」

 無職の俺に優しさが沁みた。

「大丈夫ですか⁉」

 お隣のお隣さんが引っ張って起こしてくれた。ゴミと引き離され非常に残念だが、お礼をしなればいけなかった。

「ありがとう」

 俺は今日、大事なことを知った。どんなに苦しい状況でも、一歩踏み出す勇気があれば、必ず世界は変えられるのだと。

 俺はもう逃げない。そして、

「今日はちょっと寒いね」

 と、俺は笑って話しかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る