第30話

 世莉さんから解放された私は、晴れてぼっちの身となった。


 日和以外に友達がいないわけではないけど、なんとなく「ちょっと私も一緒にいていいかな?」とはなかなか聞けない。


 となると、残された選択肢はぼっちしかないわけで、私はとりあえず教室に戻ることにした。


 教室のドアを開けると、数人が溜まってわいわいと話をしていた。けどまあ、その溜まりに入っていく勇気も興味もないので、自分の席に着席し、顔を伏せた。


 日和はどれくらいしたら戻ってくるだろうか。もしかしたら今日はもう戻ってこないかもしれない。


 別に今生の別れってわけでもないのに、日和がすごく遠くにいってしまった気がする。


 一応日和に彼氏ができたという現実を受け止めたつもりではいるけど、まだ辛い。だけど、早く別れればいいのにとも思えず、気持ちの行き場が見当たらない。


 世莉さんとのキスに慣れてきたように、こんな毎日にも慣れていって、いつか自然と日和を諦められる日が来るんだろうか。


 そんな日が来て欲しいような、来て欲しくないような。


 やっぱりまだ分からない。


「椿ちゃん」


 私は名前を呼ばれ、伏せていた顔をあげる。


「あ、琥珀ちゃん」

「椿ちゃんも今、暇なの?」

「うん。日和が別の人と回ってて。『も』ってことは琥珀ちゃんも?」

「そそ。友達がこれから体育館でやる吹奏楽の演奏に行っちゃって」

「あー、なるほどね」


 ちょうど良かった。琥珀ちゃんとなら、あまり気兼ねなく話せそうだ。


「劇、明日が本番だね。大丈夫そう?」


 途中から演者組は体育館に行って練習を始めたので、裏方小道具組の私は劇の出来がどうなっているかをあまり知らない。


「バッチリ! 世界で一番のいじわるな継母だから見ててよね!」

「ふふっ。うん、楽しみにしてる。でも琥珀ちゃんならシンデレラでも似合いそうだったのに」


 シンデレラと言えば、やっぱり可愛いとか綺麗だというイメージが強いのではないだろうか。


 日和ももちろん可愛いが、琥珀ちゃんには可愛さにプラスして部活持込みの演技力というものがついている。中学の頃も演劇部だったみたいだし。


「んーん。私はシンデレラって柄じゃないから。ほら、日和ちゃんの方が断然可愛いし」


 そう言う琥珀ちゃんの笑顔が少し悲しげなのは気のせいだろうか。


 そりゃ私にはきっと恋愛感情のせいで日和にキラキラフィルターがついてるんだろうから、日和と琥珀ちゃんを比べることなんてできないけど。


「琥珀ちゃんは可愛いよ」

「…………ふふ、ありがとう」


 ……これは私のこと信じてないな。


 あんまり私なんかが踏み込むようなことではないんだろうけど。だけど、しんに可愛い人間は自分の可愛さをしっかりと自覚すべきなのである。


 私はぐいっと琥珀ちゃんに顔を近づけて、目を覗き込んだ。


「琥珀ちゃん、私の目を見て」

「え?」

「琥珀ちゃんは可愛い」

「へ……」

「いい? 琥珀ちゃんは可愛いの。顔が小さくて目が大きいって、可愛い人間である証拠なの」

「い、いや……!?」

「何より琥珀ちゃんは人間性がほんと神。優しさが雰囲気から滲み出てて、それで可愛さが倍増してるの」

「ひょえ……!?」

「顔が可愛い人なんて世の中にいっぱいいるけど、琥珀ちゃんはそこに人間としての素晴らしさが──」

「も、もう分かったから……!」

「むぐっ……」


 琥珀ちゃんに口を塞がれてしまった。


 しかし、琥珀ちゃんが可愛いという事実を認めさせることができたのではないだろうか。


 ふふん。私の勝利である。


「どう? 理解した?」

「り、理解しまひた……」

「そんな照れなくても」


 琥珀ちゃんなら言われ慣れてると思うんだけど。最初、私が可愛いって言ったときのかわし方が言われ慣れてる人のかわし方だったし。


「そんな真っ直ぐ言われると誰だって照れるよお……」

「あ、水嶋さん! 琥珀!」


 琥珀ちゃんが顔を隠して照れているのをどうしたものかと眺めていると、元気で低い声が私たちを呼んだ。


「皆藤くん」


 私たちを見つけた皆藤心は私の前の席に座り始める。


「一通り文化祭回り終わったかんじ?」

「うん、まあそんなかんじ」


 この男には「世莉さんからラインを教える許可は降りなかった」としっかり言ったのだが、持ち前の面倒くささを発揮して、何度か私に「もう一回聞いてきてくれ!」と、食い下がってきた。


 しかしまあ、そのやりとりを五回ほど繰り返しても全く世莉さんのラインは得られず、ようやく諦めてくれたのか、世莉さんのラインについて聞かれることはなくなった。


 その代わり、謎に仲良くなってしまったけど。


「てことは、琥珀も?」

「う、うん」


 琥珀ちゃんが平常心を取り戻すかのように、にこりと笑って言った。


 二人は小学生からの幼なじみらしく、二人とも下の名前で呼びあっている。なんともまあ良い関係だ。


「明日の劇、頑張ってね。皆藤くん王子様でしょ?」

「ああ、うん、頑張るよ。ところで相楽さんは見に来てくれそう……?」

「さあ…… もしかしたら司会をしてるかもだから、運が良ければ見てることになるんじゃない?」

「まじ? よっしゃ、頑張ろ」


 皆藤心が嬉しそうに両手でガッツポーズをしていると、琥珀ちゃんが私の耳元でひそひそと話しかけてきた。


「え、心くんって日和ちゃんのことが好きなの?」

「違う違う。日和のお姉ちゃんの方」

「あ、そういうことか……」


 私がもしも世莉さんとこんなふうに関わらなければ、「高嶺の花だよね〜」なんて笑っていられたけど、今は「やめといた方がいいよ……」と忠告してあげたいくらいだ。言っても信じないだろうけど。


「琥珀は明日大丈夫そう?」

「あ、うん。心くんよりは大した役じゃないからね」

「でも、琥珀はシンデレラ役がやりたかったんじゃない?」

「…………そんなことないよ」

「でも……」

「ほんとにもう大丈夫だから。心配しないで」

「……そっか。ならいいんだけど」


 …………んー、なんだ、この意味深なやりとりは。あれか? 過去に何かあった系か?


 そんな妙に重たげな空気を出されると、何も知らない私でも少しは感じ取ることくらいできてしまう。


 まあ何も知らない私は何も知らない私らしく、スルーしてあげるのがいいんだろう。


「まっ、とにかく、明日は二人とも頑張ってね。客席の方から応援してるから」

「あ、うん! 頑張るね!」


 ついに明日が待ちに待った日和のシンデレラが披露される日。


 出番も何もない私は「日和、絶対可愛いだろうな」と、窓の外を眺めながら呑気に頬杖をついていた。

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