第13話
「いやあ、面白いくらい上手くいったね!」
「どこも面白くはないんですけど……」
世莉さんは腰に手を当てて、わははと豪快に笑う。
こっそり倉庫の裏で観察するように指示したのも、動画を撮っておくように指示していたのも全てこのため。頭が良いとこんなことまで考えられるのかと思うと怖い。あんまり敵には回したくないタイプだ。
「いや…… やっぱり面白かったです」
「え?」
「私、あの人のこと、めーっちゃ嫌いだったんで。ありがとうございます」
私がお礼を言うところなのかは分からない。なんなら私がお礼を言われてもいいような気もするけど、世莉さんのおかげで心がすごくスッキリしている。
二日前からずっと心につっかえていたモヤモヤが、風と一緒に流れて晴れていくみたいに。
ああ、今年一番風が気持ちいいかもしれない。なんかもはや風になれそうだ。 ……いや、私、何言ってんだろ。スッキリしすぎておかしくなっているのかもしれない。
とにかく、もしこれからあの人に何かされるようなことがあったとしても、この動画があれば完全に黙らせられる。世莉さんが敵にさえならなければ、やりようはなんでもありそうだ。
「……なんか椿ちゃんって、可愛いね」
「なんですか、素直にお礼言ってるのに。撤回しますよ?」
「いやいやいや! 撤回しないで! どういたしまして、私の可愛い彼女さん?」
「はあ、勘弁してください」
「えー。あいつとも別れたし、本当に椿ちゃんと付き合ってあげてもいいよ?」
私をからかっているような笑顔がいつもの世莉さんだった。
あまり嫌な気持ちがしないのは、私が今、すごく良い気分になっているからだろう。
「冗談言わないでください。てか、本当に別れて良かったんですか?」
あんなやつとはいえ、一応彼氏だったのに、私のせいで別れるという選択をさせてしまって良かったのだろうか。
スッキリしたとはいえ、多少の罪悪感は拭えていなかった。
「ああ、いいのいいの。全く好きじゃなかったし」
「全く好きじゃない人とよく付き合えますね……」
「だってあいつ付き合ってくれってしつこかったんだもん。やっと別れられてちょうどいい機会だったよ」
そんな人とキスなんてよくできるもんだと思うけど、特大ブーメランで自分に帰ってくるので、言わないことにしておく。
「あと、その、ほっぺ…… 大丈夫ですか……?」
私は少し世莉さんに近づいて、頬を覗き込んだ。佐伯慶に叩かれたことで、世莉さんの
頬はまだ赤くなっている。
あいつ最低なやつだな、ほんと。人の顔を叩くなんて。顔は叩いちゃいけませんって幼稚園とか保育所で習わなかったのか? しかも相手は女子だよ?
「ん、これくらい大丈夫。それより椿ちゃん。もう慶と別れたし、キスしてもいいよね?」
「ええ……」
心配する私を他所に、世莉さんが圧を放ちながら、さらに顔を近づけてくる。
前まで感じていた抵抗感を今はもう感じない。
好きでもない人とキスをしようとしているのに抵抗感を感じないなんて、私の倫理観もバグっているなあと自嘲気味に笑いながら、世莉さんの顔を押し返す。
まあ交換条件なんて受け入れる時点で倫理観も何もないわけだけど。
「世莉さん、もしこれから新しく彼氏が出来ても、ここでキスしない方がいいですよ。保健室から丸見えですから」
「え、まじ……?」
「まじです」
世莉さんは面を食らったような顔で、半開きになった口に手を当てている。
いつも私をからかっている側の人である世莉さんが慌てている顔は面白い。
「……あははっ、ざまーみろってやつですね」
お腹から笑顔が溢れてくる。こんな晴れやかにざまーみろなんて思ったのは初めてだ。世莉さんだから余計にそう思うのかも。
緩やかに口角を下げながら、空を見上げる。
やっぱり風が心地よい。目ですぐに追えるくらいのスピードで雲が流れている。
もっと上の方ではここよりもずっと強い風が吹いてるんだろうなあ、なんて中身のないことを考えていると、空を見上げていた私の視界が急に暗くなった。
「ちょっ……」
目の前に長い睫毛。唇には柔らかい感触。
私は世莉さんを押し返して、自分の口元を押さえる。
「何するんですか…… ここ保健室から見えてるっていいましたよね?」
「なんか急にしたくなっちゃって…… ごめん」
謝られると、怒りにくいからやめて欲しい。
そんな不満を飲み込んで私は世莉さんに向き直る。
「とにかくこれからここには呼び出さないでくださいね」
「ん、分かった。じゃあ保健室行ってもう一回キスしよ」
「は? 嫌ですけど……」
「でも昨日と一昨日はキスしてないよね? だから穴埋めが必要だと思うんだけど」
「うっ……」
「よし、じゃあ行こう!」
結局私たちは保健室に移動して、いつもよりも長い時間、昨日と一昨日の二回分のキスをする羽目になってしまった。
やっぱりキスというのは一日一回が限界なのかもしれないなと、気づきたくもない気づきを得てしまった今日この頃である。
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