第二章8 失ったものと、拾えたもの


「――次は何して遊ぼうかしら」


「・・そろそろ休みたいなぁ……なんて」


「駄目よ。まだ遊び足りないんだから」


 ラルズの恐る恐るの申し出も、きっぱりとノエルは一蹴する。


 時刻は窓の外から室内に入り込む陽光の色が橙色に染まりつつあり、夕刻近くであると光が教えてくれる。


 ――ノエルと出会い、大体数時間は経過しているだろう。邂逅を除いて、その後の時間は彼女の退屈凌ぎ、及び遊び相手として相手をさせられている現状。

 そこに、拒否権という退避の線は最初から存在していない。ラルズは問答無用で付き合わされており、絶賛疲労中である。


 療養という名目もあり、部屋で大人しく読書を続けようとしていた計画は、ノエルによって全て瓦解してしまっている。いや、瓦解された――という言い方の方が正しいだろう。


 彼女が満足するその時まで、ラルズは付き合わされる羽目となっている。未だに付き合わされていることからも、まだまだ遊び足りないご様子だ。底なしの体力であり、全くもって恐れ入る。


「遊び相手なら他にも、シェーレとレルがいるから、そっちの方が遊びの幅が広がるんじゃ……」


 寝台の上という限定的な場所で遊ぶより、健康児でもあるシェーレとレルの二人と一緒の方が、遊びの選択肢が増えると思うのだが、


「嫌よ。だってシェーレったら、ノエルの悪戯の件、まだ怒ってるみたいだし。そろそろ許してくれてもいいのに、頑固なんだから」


「頑固て……」


 あくまで非は自分に無いとして、尊大さを過大に見せつけるノエル。大半、初めて会った相手に悪戯などされたら、怒るのが妥当であろう。


 ちなみに尋ねたところ、挨拶をして握手をした際、小さな虫を掌の中に忍ばせたことが悪戯の初撃であり、それに対してシェーレは激怒したらしい。・・話を聞いても、ノエルが悪いという感想以外がでてこない。


 虫が特別苦手――というわけではないシェーレであるが、いきなりそんな失礼なことをされれば、必要以上に敵視してしまうのは必然とも言える。ノエル本人に言えば返り討ちに遭うので口には出さないが、関係悪化の方面を辿っているのは、間違いなく彼女の自業自得である。


「シェーレも、本気で嫌いになってるわけじゃないよ。ノエルが一言謝ったら、それで解決だよ、きっと」


「ノエル、悪くないもん」


「不貞腐れないでよ……」


 性格上の問題と、プライドの高さが傷か。あくまで自分は悪くないとそっぽを向くノエル。自分から頭を下げるのは、中々気乗りしないご様子だ。


「兄としてもさ、シェーレとレルとは仲良くして欲しいんだ。同い年の子と一緒にいる機会なんて、今まで無かったからさ。ノエルが最初の友達になってあげてくれると、俺としても助かるんだ」


 同年代の子らと遊んだり触れ合ったりすることなど、ラルズたち家族には覚えがない。家族間でのみで培われてきた情緒。事情が事情であるが、折角こうして同じ場所に身を寄せているのだから、仲良くしてくれるとラルズも安心なのだ。


「俺からも許してもらえるようにお願いしておくからさ。考えておいてくれないかな?」


「・・むー、わかったわよ……」


 頬を膨らませ、不満げが残る顔を見せているが、それでも耳は傾けてくれている。悪くないと口では言いつつも、どこかで反省はしているのかもしれない。


 ――と、シェーレとノエルの関係のほつれを解消しようとしていると、


「――ラルズ君、入っても大丈夫かい?」


 部屋の扉がノックされ、入室の許可を窺う訪問者。


「ミスウェルさん! はい、どうぞ」


 屋敷の主、ミスウェルの登場。恐らくは、夕刻に差し掛かったこともあり、前もって言っていた通り、ラルズの経過観察に参じたのだろう。


「失礼するよ」


 一言添えて、ミスウェルは扉を開く。扉を開いた彼は室内に入ると、部屋の様子を前にして微かに瞳が開かれた。


「ノエル、ラルズ君と一緒にいたのか。ずっと姿が見えないから、どこで遊んでいるのか不思議に思ってたけど……」


 屋敷中捜索しても見当たらなかった原因として、一室に入り浸っているとして解決に繋がる。二人の様子を代わる代わる確認すると、


「・・成程。随分と打ち解けたみたいだね」


 二人の態度から察せられたのか、ミスウェルは二人の仲が進展したみたいと、柔らかい言葉を送る。事実、この数時間の間に随分と距離感は縮まり、出会ったばかりとは思えないぐらいの仲にはなっていると思う。


「悪戯の反応も新鮮で面白いし、ノエルに従順。何より、ノエルの可愛さをしっかりとわかってるあたり、ラルズのことが気に入ったわ」


 なぜだろう。気に入られている、好意的に思われているのは嬉しい筈なのに、どこか釈然としない。仲が深まるのは当然ラルズとしても嬉しい部類に当たる訳だが、不名誉な褒められ方をされている気がしてしまい、素直に喜べないでいる。


「ノエルがこんなに懐くなんて、よっぽど気に入られたんだね、ラルズ君」


「ちょっとミスウェル! ノエルのこと、犬や猫みたいに言わないでよね!」


(あながち間違いでも無いんじゃ……?)


 心の内を悟らせないように苦笑いで誤魔化す。感情の起伏が分かり易く、コロコロと機嫌が上下する様もあり、例えとして挙げられた二つは的確なのではと、ラルズは静かに同意した。


「まぁでも、仲良くなってくれて一安心だよ。その調子で、シェーレ君との仲も友好的に進んでくれると助かるんだけど……結構先の話になりそうかな?」


 シェーレの名前が出た途端、ノエルは顔を背けて無視を決め込む。その動作を前に、ミスウェルは「やれやれ」と言わんばかりの露骨な表情を浮かばせた。


 ほとほと困りながらも、どこか慈愛が含まれる視線と、仕方ないといった親心に近い関心。ミスウェルがノエルに向ける感情の類は、どこか我が子を見守るような印象を抱く。


 ――特別、そう強く感じてしまうのは、ラルズがシェーレとレルに向けている代物と近いからだろうか。両者の関係性はノエル本人から広言されている通り、実の親子には相当しないにしても、二人を繋いでいる関係は、紛れもなく本物と大差ない。


「――さて、と」


 二人のやり取りに微笑ましいものを感じていたラルズであるが、ミスウェルが軽く咳払いをしたところで現実に引き戻される。


「傷の具合は平気そうだけど、油断は禁物だからね。伝えていた通り、少し身体の状態を調べようか」


 ラルズの身体の検査。別れる前に取り付けていた、ラルズの治療、及び経過調べだ。


「お願いします」


「傷の治療ならノエルだってできるんだから、ノエルがしてあげるわよ」


「え、そうなの?」


「当たり前じゃない。ノエルは水魔法の使い手なんだから」


 腰に手を当て、意気揚々とした顔つきを見せつけるノエル。当たり前と言われても、今聞いたのが初出であるし、それよりも――、


「水魔法?」


 魔法という単語はミスウェルにも話した通り知識の断片は備えている。が、水魔法というのは耳に馴染みがない。響き的に魔法の種類の一つであるのはわかるが、理解はそこ止まりだ。


「魔法にはそれぞれ異なる分野があって、分かり易く属性という名称で隔てられている。人々の傷を癒したり治したりする魔法が、水魔法の代表的な力だ」


「他にはどんなものが?」


「代表的なのは四つで、火、水、風、雷の四属性。この四つが、基本的に魔法の種類として知られている魔法学よ。常識だってのに、ラルズったら知識が残念なのね」


「言い方……。まぁ、常識が人より劣ってる部分があるのは事実だけど」


 痛いところを突かれたが、事実その通りでしかないから反論できないのが歯痒い。世間一般の人々が知っている事柄を、ラルズは過ごしてきた環境の影響もあってか乏しさが目立つ。


 常人よりも知識の狭さが際立っており、ノエルの残念という意見は、言葉こそ辛いが最もであり、受け止めるしかない悲しい問題だ。


「常識や知識に関しては、今後知っていけばいいだけだから、そこまで重く受け止める必要は無いさ。逆に、知らないことを知らないと素直に言えることの方が、俺は偉いと思うよ」


 虚勢を張ろうと、いずれはボロが出る。知ったかぶりをして、いざ知りませんともなれば、後にも先にも恥をかくのは己自身であろう。それならば、他人に無知を晒してでも、正しい情報を吸収する方が遥かにマシである。


「魔法なら、ノエルが実演してあげるわよ。無知蒙昧で哀れなラルズに、ノエルの崇高で素晴らしくて気高い魔法を、ねっ」


 嘲りと自己肯定の二つを織り交ぜた一文。隙あらばノエル自身を自らが褒めるあたりが流石と言うべきか。本人がこうして上機嫌なこともあり、興味も重なって実演して欲しいと口にしようとしたが――、


「こら、ノエル。お遊戯感覚で魔法を使うのとは違くて、今回はれっきとした治療名目で魔法を行使するんだから、別の機会に頼むよ」


 口調は優しくも、それでも毅然とした含みを孕んだ注意。それを受けたノエルは露骨に顔をしかめていた。


「何よその言い方。人に教えたり説教できるほど、ミスウェルったら魔法は下手くそな癖に。絶対ノエルの方が上手に魔法を扱えるんだから、いいじゃない!」


「魔法の練度が俺の方が下なのは認めるけど、気心と向き合い方が違う。遊びとして捉えているノエルじゃ、治療の類は任せられないんだ」


 「人の命に関わるんだからね」と最後に一言付け加え、ノエルは「む―……っ」と不満を隠さずに声をもって反感を示す。が、ミスウェルに言われた点を理解しているからか、不満こそあるものの、渋々了承といった形に。


 ノエルの魔法の披露宴は後日へと回される。治療という大きな医療行為の役目は当初の予定通り、そのままミスウェルに担い手が続き、彼はラルズに近付いて右手の掌を差し向ける。


「治療と言っても、大部分の傷の手当は済んでいる。そこまで時間はかからないし、ラルズ君はジッとしているだけで大丈夫だよ」


「わかりました、お願いします」


 魔法の行使。それは、治療を開始する合図である。水魔法による治療は、先に説明された通りであれば、父さんのものと同じものなはずだ。


「・・・・・・」


 ミスウェルは目を瞑る。掌に意識を集中しているのか、無言のまま黙り込む。すると、


 ――淡い光。薄くラルズに充てられた掌の先から、優しい光が生み出される。ほんのり温かくて、どこか安心する力の波動。


 疲れ切った身体を迎えるような、安らかな抱擁感。眠気が全身を支配して、まどろみの中でゆっくりと意識が溶け落ちていくような、気怠さと心地良さが混在している癒しの一時。


 倦怠感は抜け切れておらず、自重がやけに重く感じてしまう不思議な現象。その実、怠さとも違う、心地よい疲労感が全身を回る感触。その感触に、溺れてしまうような夢見心地を覚えてしまい、身体を委ねてしまいたい欲に駆られる。


 ――なんだか、懐かしい……。


 忘れていた熱。その熱の正体が、朧気な意識の先に浮かび上がる。


(・・父さん)


 軽傷を初めて治療してくれたときも、今と同じような感慨を思い浮かべていた気がする。・・いや、気のせいでも錯覚でもなく、同じことを抱いたのだろう。肉体が、意識よりも先に覚えている。


「・・・・よし」


 懐かしい記憶と感覚に陥りながら耽っていると、徐々にその熱が穏やかに鎮静化されていく。


「うん、身体に異常は確認されないし、魔力も良好。依然として、問題はないみたいで安心だよ」


 治療を終えたとして、ミスウェルの掌がラルズの身体を離れる。包まれていた安堵感や無気力感といった類が霧散していき、意識はじんわりと覚醒運動を始めていく。


「・・えっと、今ので治療は完了ですか?」


「体内を少し診ただけで、実際に治した訳とは違うから、実感は薄いかもだけど……今日の分はこれで終了かな」


 光が生じた先からの感覚はラルズの感想でしかないが、気付いたら終わっていた――というのが正直なところだ。明確に傷を治癒するのと違って、検診のような形での魔法行使であったためか、その程度の認識で片付いてしまう。


「何も異常がないってことは、順調に回復しているってことでいいんですか?」


「うん。肉体は今の時点で完治に近いし、細胞関連の痛覚模様も、時間が解決してくれる。後遺症なんかも見られないし、回復傾向そのものだよ」


 診断者でもあるミスウェルがそう答えてくれるのだ。事実、ラルズ自身も痛み以外は違和感を覚えていないことからも、良好に違いないだろう。


 唯一、気になるとすれば――、


「ラルズの目はどうなのよ? ずっと包帯ぐるぐる巻きじゃない」


「・・・・・・」


 その旨を口にしようとした矢先、引き継ぐようにしてノエルがミスウェルに尋ねる。内容は、今も暗闇が支配している左目の件。言葉に誘われるように、ラルズはそっと左手で包帯に触れる。


 ――シェーレとレルを魔獣の攻撃から庇い、その結果として刻み付けられた傷。振るわれた爪の一撃は、顔に裂傷を与えて灼熱の痛みをラルズに味わわせていた。


 しかし、攻撃の軌跡である斜めの爪傷は、現在では影も痕跡も見えない。綺麗さっぱりに顔面から裂傷の後は拭い去られており、スカーフェイスから産まれたままの顔面へと元通りとなっている。・・先に質問された左目部分の傷に目を瞑れば、であるが。


 問われたミスウェルは沈黙を続けており、その長さが答えの不穏さを助長していると言っても過言ではない。時間が経てば経つほどに、沈黙の場が長引けば長引くほどに、各々がそれぞれ予感を抱く。そして、


「いずれは言おうとはしていたけれど……ね」


 ミスウェルの言葉を受け、ラルズは左手を目元から下ろす。彼の発言を受けて、ラルズは直ぐに答えを察した。


「戻らない、ですよね?」


 確信を突いた発言を受け、ミスウェルは一度両目を瞑ってから口を開く。


「・・グラムにも診てもらったが、彼の腕でも光は取り戻せないとのことだ」


 ――元々、覚悟していたことではある。


 左目の傷は致命傷だったみたく、失明という二文字がラルズに突きつけられる。包帯で覆い被さる視界の是非は、残酷な事実。永劫なる暗闇の世界が、ラルズの世界の半分を生涯に渡って奪い去るといった、魔獣からの置き土産。


 命を救ってもらって、シェーレとレルも無事で、幸せなことが続いていたからか、いつしか楽観的に物事を考えていた。傷を貰った時点で、最悪の可能性は頭に過っていたのに対して、残酷な宣告を受けたこの瞬間、ラルズは確かなショックを覚えた。


「言い訳にしか聞こえないが、子供の身で酷な事実を伝える勇気が灯らなかった。早く教えてあげるべきだと決意しても、心が拒否し続けていて……。黙っていて、本当にすまない」


 力及ばず。非力である己を許して欲しいと、ミスウェルは頭を深々と下げる。だが、それは違う。


「そんな、ミスウェルさんが謝ることなんてありませんよっ。誰も悪くありませんし、何度も言ってる通り、俺は……俺たちは、命を救って貰ってるんです」


「ラルズ君……」


「ミスウェルさんの気持ちは、十分に理解できてます。逆の立場だったら、俺もきっと今のミスウェルさんと、同じ悩みを抱いていたはずです」


 ミスウェルの考えを、ラルズは理解できる。それはきっと、彼とラルズの思考回路が似ているからかもしれない。


 相手に対しての気持ちを考慮すればするほどに、事実と向き合わせるのを先延ばしにしてしまう。内容が重ければ重いほどに、相手を考えれば考えるほどに、良心と良心が互いに葛藤を行って深みにハマっていき、抜け場所を見失う。


「けど、受け止めるにはあまりにも……」


「・・確かにショックです。目との向き合い方も変わりますし、完全に受け入れたり、気持ちを切り替えるのに時間は頂くかもしれないです」


 左目の喪失。誰に聞かせても重傷と答えるだろうし、実際その通りだ。視力、聴力、嗅覚、味覚、触覚。今回は視力に当たるが、五感と呼ばれる身体機能のどれをとっても、その存在感は生命を大きく支えており、無くしては困るどころの騒ぎではない。


 一部とはいえ、身体機能が消失したと知れば、誰だってへこみもするし落ち込みもする。悲壮感に煽られて、気が気じゃなくなるかもしれない。でも――、


「――でも、こうして命は繋がっています」


 死ぬこと以外かすり傷、という言葉を聞いたことがある。読んで字のごとくとは異なり、どんな困難も死ぬほどのことではないという意味であり、失敗や困難を糧として受け入れ、前に進むことが大切だと謳った、激励の言葉と記憶している。


 なので、厳密には捉え方を履き違えているとわかっているが、今回は字面通りの意味を採用させてもらう。今のラルズの状態は、正にそれなのだ。


「命は、他の何物にも変えられません。自分はまだ、目と命をわけて物事を考えらえる人間ですから、そう思えるだけかもしれませんが」


 視力の断絶。味覚の消失。聴覚の根絶。これらの五感の崩落は、中には命を奪われることと同義の者たちもいるだろう。


 画家や料理人、音楽家のような絶感を世に知らしめる天職の方々の中には、五感を命として捉えて活動する方々も多いことからも、大袈裟であると揶揄することなどできない。


 ――ことラルズは、何者でもないただの子供だ。狭い価値観の上から私情を挟み込んで物申せば、「目」と「命」の二つを別個として価値を再考する。


「俺は――命があって万々歳です。目という犠牲を支払った代わりに、命が紡がれるならば、俺はそれで満足です」


 取捨選択、その掛け値として失ったものと、手に入れたもの。今回で言えば前者が左目であり、後者が命にそれぞれ適応される。


 失った代価は、決して安くはない。安いだなと、軽々しく言えないのは分かっているし、取り戻せるなら取り戻したい。だけど、それはもう叶わない願いなのだ。過ぎたことを、終わったことを嘆いても、現実は巻き戻せない。


「命あっての物種、です。贅沢は言いませんし、言うつもりもありません。――今の俺にあるのは、助けて頂いた感謝だけです」


 ラルズは右目でミスウェルの黒瞳を射抜く。それから笑顔を作ると、


「それに、まだこうして右目は健在ですから」


 完全なる全盲――完全な世界の消失と比べれば、片方だけでも世界と繋がれている事実は、心の平静を保つには十分足り得るかもしれない。


「ミスウェルさんが負い目を感じる必要なんてないですよ。本当に、今こうして命があるのは、他でもないミスウェルさんのおかげなんですから」


 彼がいなければ、ラルズは今こうして話せてもいない。シェーレとレルと死別してしまい、最愛の二人に家族を失う喪失感を味わわせることになっていた。ラルズたち家族が繋がれているのは、命の恩人であるこの人がいてくれたおかげなんだから。


「だから、顔を上げて下さい。恩人に頭を下げられるのは、ちょっと複雑で……。頭を下げるのは、俺の方なんですから」


 失ったものもあるが、得られたものだって沢山ある。その中には、最愛の二人の命もあるのだ。それだけでラルズは救われるし、前向きに捉えて切り替えていける。


「ありがとうございます、ミスウェルさん」


「・・ありがとう、ラルズ君」


 両者、最後に挨拶をして締め括る。――左目の件は、これで終わりだ。


 以前のように景色を見れないのは残念ではあるが、過去を嘆いても変わらない。名誉の負傷、勲章ということで自身を励まし、未来の武勇伝として花を咲かせよう。


 一つ、頭に過ることとしては――、


「・・一つだけ聞きたいんですけど、シェーレとレルは、このことをもう知ってたりしますか?」


「いや、今この場で話したのが初めてだよ」


「じゃあ、引き続き打ち明けないでもらっていいですか? 自分の口から、二人には伝えたいので」


 懸念点としてラルズが頭に浮かべたのは、シェーレとレルの存在。二人がこの傷について知ってしまったら、激しく自分たちを責めてしまうのではと考えている。


 庇う過程で魔獣の攻撃を浴び、結果として視力の半分を失った。この事実を遅かれ早かれ耳に入れれば、罪悪感を抱いてしまうのではないかと、そこが心配だ。


 二人とも、兄思いの優しい女の子だ。この傷は二人のせいではないのに、自分たちのせいだと誤認して、自責の念に苦しんでしまうかもしれない。だからこそ、もしそうなった場合には正面から否定して、シェーレとレルの心を支えてあげないといけない。


「わかった。君がそう願うなら、その願いに沿うよ」


「ありがとうございます」


 我が儘に了承してもらい、ラルズは頭を下げる。


 あまり遅くなりすぎるのも、間延びさせすぎるのも心に負担が大きくなるだろう。悪い知らせとは言え、いずれは耳に入る内容だ。二人の辛い顔を見るのはラルズとしても心苦しいが、早目に伝えるのが一番だろう。


「そういうことだから、ノエルにもお願いしたいかな」


「・・うん」


「――?」


 一緒に居合わせている者として、ノエルにも同じ内容を頼む。しかし、飲み込んでくれたものの、彼女の反応とは思っていたものとは異なり、その様子を前にラルズは困惑の眼差しを向ける。


「じゃあ治療も済んだし、一旦俺はこれで。そろそろお腹も空いてきた頃だろうし、時間になったらまた部屋を訪れたいんだが、いいかな?」


「は、はい」


 違和感を覚えたラルズを余所に、ミスウェルは再び部屋を後にしようと足を動かす。時刻は夜を迎えようとしており、窓の外から差し込んでくる橙色の陽光の加減が、心なしか薄まっているように感じる。


「じゃあまた後でね。ノエルも、仲良くするのは嬉しいけど、あんまりラルズ君に無茶させないようにね。怪我人なんだから」


「・・わかってる、わよ」


 静かに扉を閉め、部屋を後にするミスウェル。そうして、室内にはラルズとノエルの二人が取り残される。――が、


(ノエル、どうしたんだろう……?)


 あれほど騒がしかった彼女。それが、今では見る影もないほどに意気消沈してしまっており、良い意味でも悪い意味でも強制的に賑やかにさせる個性が蓋をしてしまっている。


 ――影が及んだ詳細がわからず、ラルズはただ静かに視線だけを送っていた。


 


 


 


 




 




 


 

 


 


 


 


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