「エゴイスト」高山真

 もうみんな、ここにはいないのかあ。高山真氏著作「エゴイスト」。




 触れられたくないところへ汚い手を突っ込んでくるような地元の面々に見切りをつけ、東京に出てきた著者であり主人公の彼。


 そんな彼に奇跡が起きる。奇跡って言ったら失礼なのかもしれないけど。最初っからすごくいいな、と思っていた若い男の子、龍太くんと恋仲になれた。


 龍太くんが生まれながらのゲイだったかどうかは読み取れませんでした。でも彼をイイ、と思っていたのは本当でしょうね。じゃなきゃ真面目な顔で無駄遣いするな、なんて口に出して言えない。


 耳が痛いであろうことをあえて言いたくなるのは、相手に深く関わりたいという思いがあるから。そりゃなくてもペラペラ言えますが、それは自分が説教によって気持ちよくなりたいときで、それは言われた相手が少なくとも違和感を感じるものです。


 どこかのBL小説のような流れ。良かったじゃん、と思いながらも内心不穏なものを感じていた。みんな少しずつ無理をしているから。それをせざるを得ないのは、結局お金の問題。


 彼は毎月10万を龍太くんに援助する。龍太くんは夜の仕事を辞め、工事現場のアルバイトに就く。龍太くんは学業を諦めざるを得ず、学歴がないからです。お母さんが長患いをしていたから。


 龍太くんを支援している彼はお金持ちではなく、自炊する時間もなく、始まるカップ麺生活。


 みんな、無理をするはずです。お金がなければあとは死ぬだけですから。繰り返しやってくる冬のために蓄えがなければ死ぬ。太古の昔でいうとそういう危機から命を救ってくれるのが現代のお金です。


 私が富豪だったらあなた方に出してあげたかったよ、もっと休ませてやりたい、行政なにやってんだよ、という悔しい思いを感じながら見守っていた。最初に倒れたのは龍太くんのお母さんではなく、龍太くんでした。まだ20代。若かったのに。


 彼と龍太くん、龍太くんのお母さんの姿を想像すると、空も水も真っ黒になった海上で、肩から首のあたりまで水に浸からせて、三人手を繋いで必死に立っているような映像が浮かびます。


 情を排して言えばそれぞれが重荷である。しかしそれぞれが浮きでもある。手は絶対に離せない。心も身体も遭難してしまうから。


 彼らの人生の中にはいいこともある。真正の不幸ではない。むしろ出会えた幸福を噛み締めている。でも終始、そんなギリギリ感がありました。


 それでもいつか日は昇るはずで、陸にも着けるはずで、そのために彼らは頑張っていた。しかし途中で龍太くんが倒れ、残されたのは彼と龍太くんのお母さん。


 彼女は彼らの関係の中に途中参加した形だった。そんな彼女が彼の、浮きの役割を担っていたと思います。壊れてしまったその細い身体では立つのも精一杯なはずだけど、しっかりと彼の手を握り、生きろ生きろと言っていたように感じます。そうやって残された者同士、ゆっくり難所を乗り切った。




 あとがきを書いたのは俳優の鈴木亮平氏。鈴木さんは映画『エゴイスト』の主人公役に選ばれました。鈴木さんは彼にこんな印象を抱きます。


 ──その時の自分の心の動きを、なぜこんなにも客観的に批評できるのだろう。まるで自分を自分で常に分析する癖を持って生きてきた人のようだ。──


 生き辛いんですよね、こういうタイプ。本人に会って話さないとわからないことでしょうが、芸術家の宿命を持っていると私は思いました。


 視点がね、つい自分の方に向くんです。自分大好き人間か、と反射的に批判したくなる人もいるでしょうが、そもそも自分大好きなのは全人類に該当することですよ。


 対比として挙げるなら、人のためにばかり心を砕いている人になるでしょうが、あれも一種の癖であり快を求めた結果であり、精神が落ちると『こんなにしてあげてるのに』って方向に視点が行きます。


 彼も精神が安定しているときは、龍太の支えになれるようひたすら動いていました。外に視点を向けられている。そんな彼を失い、精神がドン底に行ったときの描写のきめ細かさに、自分の方へグッと視点が向いたことを感じ取りました。


 見たくないですよ。絶望なんて。なのに自分のカメラはそれを執拗に映そうとするんですよ。自分大好きなんてとんでもない。厳しい性格の持ち主です。おわかりいただけますか、この難しさ。生き辛さ。


 彼を演じる鈴木さんはもはや第三者とは言い切れず、しかし当人でもない、という絶妙な立場から最後にこの言葉であとがきを締めています。


 ──中学生の浩輔(主人公)のように自らのセクシャリティを理由に命を経つ選択を考えてしまうような少年少女が、この国から、この世界から一人もいなくなることを私は願います。──


 未だにいるでしょうね。これ、少数派たるものの宿命も絡んでくるから歯痒いところがありますね。


 日本人は、みんなと同じが好きってよく言われている。じゃあ外国人は違うのか? 案外そうじゃない。やはり多数派に引っ張られる傾向が出てくるようです。


 集団心理ってやつですね。ずっと集団で生きてきたからこその生存戦略なのでしょう。このほとんど本能と言えそうなものに打ち勝つには……理解を深めるしかないかなあ。


『理解』。広告業界がやるような印象操作、という見方をしてもいいでしょう。こんな考えのやつもおんねん、大した垣根はないねん所詮人間やから。ちなみにヤバい奴はどこにでもおんねんな、犯罪者もおれば聖人もおんねん(突然のアン◯カ節)。


 こういうのが昨今のLGBTQ当事者が伝えたいことの一部かなあと思います。


 結果的には『よくあること』『批判するとかダサい』という風潮を作る。そして、『嫌悪感あってもいいけどそれを態度に出すと途端にダサい』という、どうしても他者が気になってしまう癖のある人への、ある意味逃げ場になる風潮も必要でしょうね。


 私、BL小説書いてますけど啓蒙家ではないです。素人考えで恐縮です。ワタクシめが若い子たちになにかしら言うとすれば『あんたー! アホ共の鳴き声なんぞ無視や! 勉強せえ勉強! 身につけたことは誰にも奪えんぞ!』くらいです。



 それにつけても、文章のプロである彼の表現力が随所で光っている作品でした。あとちょっとのところで思い出せそうな記憶を、失くしたと思っていた本に例えているところとか。


 ページ同士がくっついている古本。無理に剥がせば読めなくなる。それを思い出す過程を、剥がれてくるのを待つ過程として描いている。素敵だなあ。いい人を神様に持っていかれちゃったなあ。


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