戦国で十字架を背負った交渉人 (時代小説新人賞最終選考落選歴あり)

牛馬走

第1話

   第一章


   一


 天草は明るい陽と海とともにある土地だ。空で日輪が眩しく眩しく眩しく輝き、それを海原が反射させて世界を光で満たそうとするかごとき景色が現れる。だが、そんな海辺に座り込む若者の姿があった。その者の周囲だけ翳っているような陰々滅々とした気配を総身にまとっている。

 天竺宗の門徒たる彼はメルショルという名を伴天連(バテレン)によって与えられている。

『神はきっと迷える子羊たる我らを救って下される』

 この場で死なせてしまった相手に、ちょうど“ここ”で告げた言葉がよみがえった。


 あれは、つい数か月前のことだ。

 海辺にメルショルは大戸宗麟の隠し子である女児とともに出てきていた。

 大友宗麟は大友の二階崩れという変によって、父によって家を継がされとようとしていた弟を失うことで屋形となった男だ。その宿世が呪うように大友家は内紛をくり返していた。

 織田家を例外として戦国大名家というのは土豪の連合体としての側面を持ち、主家というのは数ある武将たちの代表でしかない。そのため、武田信玄のようにうまく家臣を操縦できなければすぐに内紛を起こす。軍神として名高いあの上杉謙信ですら家中の争いに嫌気がさして出奔したほどにありふれた出来事ではある。

 大友家の場合はそこに、正室の実家が大友家で権力を握ろうとする動きや、切支丹大名として知られる宗麟と家臣を中心として仏門の者が衝突することでさらに助長されていた。

 そんななか、宗麟は生来の好色さを発揮して切支丹の者を孕ませてしまう。大友の御屋形様は憐れむべき境遇で育たれたが思慮が足りぬ部分がある――。

 そこに一際激しい内紛が起こり、こんな状況で右記の事実があきらかとなればさらに混迷は輪をかけて悪化する、子の命も危ないということで腹を膨らませた若い女性とともにメルショルは逃げてくれ、と宗麟、さらには伴天連(バテレン)に頼まれたのだ。

 それで天草までメルショルは遁走する。実は腹に子を宿した女人はメルショルと恋仲だった。それを宗麟に強姦同然に孕まされたのだ。女性(にょしょう)としては豊後における、いや鎮西においての相手は最大の庇護者、という意識があり逆らうなど思いもよらない。メルショルにしてみれば内心、宗麟に対し殺しても足りないほどの煮えたぎる思いを抱いた。だが、女性への彼の思いは本物だ、ゆえに宗麟をつけ狙う道ではなく彼女を連れて逃げる道を選んだのだ。

 したが、やはり子を宿した者に旅は過酷だった――。

 メルショルは後悔してもし切れない。もし、無理などさせなければという思いが幾度も脳裏をよぎった。だが、府内にとどまっていれば危険であったことも事実だ。暗殺の手が伸びた公算は高い。

 ではどうすればよかったのか、そんな考えが浮かぶがその答えが今さらになって見つかってもむなしい。

 せめて、この子だけでも無事に――そんな決意を胸にメルショルは生きている。

「どうしたの、父上?」

 すでに言葉を憶えるほどに育った女児が一心に自分を見つめるメルショルをいぶかしそうに見返した。切れ長の目がすでに愛らしさのなかに美しさの片鱗を見せている。メルショルの目には天使(アンジョ)と見紛う姿に映っていた。いや、誰が見てもそうに決まっている。

「なんでもない」

 メルショルは微笑を浮かべて首を左右にふる。しかし、その口もとは実は微妙にこわばっていた。

 父と呼ばれているがこの子はおのれの子ではない。

 罪にまみれた屋形の子だ、あの女性の血を引いてはいるが――。

 胸中は複雑だ。それでも絶対に守る肚づもりであった。門徒を守るためにメルショルは兵法者から兵法の手ほどきを受けている、たとえ刺客を向けられても退ける自信がある。

 刹那、轟音がメルショルの鼓膜を叩いた。もし、軍立場(いくさたてば)に立ったことのある武士や、透波であったなら火縄の焼ける臭いから襲撃を予知できたかもしれない。しかし、兵法の心得があっても所詮は戦に出たことのない人間だった。

 目の前で女児の胸が血と肉を飛び散らせる光景を前に呆然自失となる。

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