第26話 疲れたいという欲望


人間というのは不思議なもので。


疲れたがる生き物です。


もっと頑張らないと、とか。

もう少し挑戦したい、とか。

これに命を燃やし尽くしたい、とか



こんなことを考えて生きているのは人間だけですよね。


他の動物たちは、口を開けていたら餌が降ってくるようになったら、そこから動こうとしないでしょう。

もう、寝っ転がって、完全に警戒心をなくして、かわいいぬいぐるみと化します。


でも、恐らく人間が同じような環境に置かれると、病みます。

間違いなく病む。

日光当てても、サーロインステーキを突っ込んでも、病む。



どうしてか、前に進みたがる生き物のようです。人間は。

そして、私もその一人。

というか、疲れ切っている状態に、憧れさえある人間でした。



私は今まで、何事においても「頑張り切れた」と思えた経験がありませんでした。

小学校も中学校も高校も大学も。

大した経験もなく、事件もなく、のんびりと過ごしました。


なので、たまに周りで聞く


「あれだけ頑張ったのは過去にない」とか

「相手に負けないように全精力を注いだ」とか

「頑張りすぎて病院運ばれたわw」とか

「今日三徹目やわぁ〜w」とか


そういうセリフに、憧れさえ抱いていました。


自分なら、どんなに必死になってても勝手に体がブレーキかけちゃうから倒れるまでできないな、とか

寝ちゃうから3徹とかできないな、とか


そういう気持ちになって、


自分は頑張っていないのでは……?

もっと本気になって戦うってことをしないと、人にはなれないのでは?


と、どこか自分が欠けた人間のように思ってしまっていたわけです。


もし読んでくださっていた方がいたらわかっていただけると思うのですが、

拙作「アオの音」のいちかちゃんの考えそのものですね。

実際、「アオの音」およびいちかちゃんは、このテーマに端を発して生まれた物語で、キャラクターだったりします。


いちかちゃんは、なりふり構わず戦った挙句、作中でぶっ倒れます。

あれは、私の願望です。


一度壊れるまで、なにかをやってみたい。


破滅願望とは違いますね。

自分が壊れないと、頑張ったとは言えないのではないか、と。

そういうある種の定義問題をシビアに考えてしまう性格のせいで、

欠けているところがいつまでも満たされないという、そういう消極的なやつです。


だから、壊れてみたい。壊してみたい。

そうしないと、私はいつまでも、自分を認められないから。


しかも、私、これで結構体が丈夫なのです。

そうそう倒れない。これが厄介だ。


なら、できるだけ寝ないようにしたらどうか。

ご飯をぬけばいいのでは。

ひたすら椅子に座り続けて仕事したら。


……そう考えて、気づきます。

これぞ、「手段と目的がひっくり返ってる」ってやつじゃん。


どうも、低体温で頭でっかちな私は、本気になる前にたくさんの安全装置が効いて、自然には倒れられないようです。


ならこれはこれで、いいのかもしれないと。

壊れるかどうかではなく、出力が同じかどうかだけ考えればいいじゃないかと。

ようやく最近思えるようになりました。


疲れたい欲望は、アオの音と一緒に、胸の奥にしまい込みたいなと思います。



十五分です。


オチがなくて申し訳ないので、懐かしい一言を言います。



















ケントデリカット






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