二回目の失敗、そして…… 4

 邸につくと、ニナが目を真っ赤に腫れさせていて、セレアは途端に罪悪感にさいなまれた。


「ニナ、えっと……ごめんなさい」


 自由になりたかったのは本当だが、泣くほどニナを心配させたと思うと心が痛い。

 ニナは小さく笑って、「ご無事ならそれでいいんです」と言ったが、その優しさにさらに胸が苦しくなった。

 セレアの部屋にティーセットが用意されて、ニナが下がると、部屋の中でジルベールと二人きりになってしまう。


(……気まずい)


 目の前のジルベールはびっくりするほど平然としていて、だからこそ彼が怒っているのかそうでないのかも判断つかなかった。


(いやでも、怒られるのは納得いかないわ。だってこいつはわたしを閉じ込めたやつよ。拉致監禁って犯罪なのよ。……貴族に適用されるかどうかはわからないけど)


 法は王族や貴族が制定したくせに、王族や貴族はある種の治外法権が認められている。原則としては王族や貴族であろうと法に則って裁かれるはずなのに、そこに権力と言うものが絡んでくるからややこしいことになるのだ。

 つまるところ、何かしらの罪を犯したとしても、それがとても重い罪でない限り、権力ですべてもみ消しねじ伏せてしまえるわけである。

 ましてや目の前の男は、王家に連なる公爵様だ。保有している権力は計り知れない。


「あの少年のことが心配なのか?」


 むっつりと黙り込んでいると、ジルベールは何を思ったのか、唐突にそんなことを言った。


「あの少年じゃなくてバジルよ。それにバジルは十八歳だからとっくに大人だわ」


 少年と呼ばれるような年でもないだろうにと言えば、ジルベールが薄く笑う。


「なるほどそれは失礼した」


 なんだろう、その言い方に含みを感じる。


「バジルと、いったいどこで知り合いになったの?」

「知り合いと言うほどではないが、君のことを調べているときに少しな」

「勝手にわたしのことを調べないで!」


 閉じ込めたばかりか過去まで暴く気かとセレアはムカッとしたが、ジルベールはどこ吹く風だ。


「結婚相手の身辺調査は基本だろう?」

「だから結婚しないってば!」

「ではデュフール男爵家に戻ってエドメ・ボランに嫁ぐか?」

「それは――」


 ジルベールはセレアの前で指を二本立てた。


「君の選択肢は二つだ。俺と結婚するか、デュフール男爵家に戻ってボランと結婚するか。君は自由が欲しいみたいだが、今日の件でわかっただろう? 君は自由にはなれない。どこに行っても、今日と同じように必ず君を探しにやってくる人間がいる。そのとき少年――バジルのような被害者が出ないと思うか?」

「……あんたなんか嫌いよ」

「嫌いでも、君は俺の妻になるんだ。デュフール男爵家に戻りたくないだろう? まあ、俺も君を手放すつもりはないがな」


 この口ぶりでは、セレアがデュフール男爵家でどういう扱いを受けていたのかも調査済みなのかもしれなかった。

 デュフール男爵家に戻るという選択を、セレアが絶対にしないと確信して言っている気がする。なんてずる賢い男だろう。


「悪い話じゃないはずだ。少なくとも俺は妻に不自由はさせない」

「現在進行形で不自由しているわ! 妻を……妻じゃないけど、とにかく監禁する男が、どの面下げて『不自由させない』なんて言えるわけ⁉」

「それは逃げようとする君が悪い。おとなしくしているなら俺だって多少の自由くらいは許してやれるさ。まあ、デュフール男爵に奪い返されては困るから、君を手に入れるための手続きを全部終えてからにはなるけどね」

(多少の自由って、それは自由って言わないのよ!)


 ジルベールのいう「自由」は、セレアが彼の妻になって貴族社会で生きることを前提としたものだ。セレアは貴族社会からおさらばしたいのだから、それは自由とは呼べない。


 でも――セレアだって、本当はわかっている。

 今日の件で、思い知らされたから。


 セレアは市井で暮らしていたときのような自由を取り戻したかったけれど、きっともう二度と、そんなものは手に入らないのだろう。

 うまく逃げられたとしても、逃亡先で追手が来ないかと怯えながら過ごすことになる。

 警戒して、大手を振って外を出歩けないかもしれない。


 それはもう、自由でも何でもないのだ。

 わかりたくなかったけれど、理解せざるを得なかった。


「『聖女』なんて……くそくらえ」

「君にとって聖女の力はそうなんだろう。だが、その力がないと、大勢の人が困るんだ」

「そしてその大勢の人を助けるために、聖女は犠牲になれって言いたいのね」


 思わず自嘲がこぼれた。

 自分の大切な人が瘴気溜まりや魔物の被害で困っていたら、セレアはもちろん助けるだろう。七年前にバジルを助けたように、躊躇わないと思う。

 しかし、顔も知らない、話したこともないその他大勢の他人を助けるために犠牲になれと言われて、「仕方がない」と思えるほどセレアは人間ができていなかった。関係ない他人より、自分が大事だ。他人のために犠牲になれなんて平然と言える目の前の男が憎くて仕方がない。


(所詮あんたも、自分の領地の瘴気溜まりを何とかしたいだけじゃない。大勢の人が、なんて言ってるけど、自分の利益のためにわたしに力を使わせたいだけなのよ)


 デュフール男爵と、何が違うと言うのだろう。


 一緒だ。

 全部、全員一緒。

 貴族なんて、くそくらえ。


 セレアが唇をかむと、ジルベールが対面のソファから隣に移動してきた。

 いつもなら「近づかないで」と言えるのに、今は悪態をつく元気もない。


「聖女の力を使うことが犠牲だと言うのならば、俺にはそうではないと否定してやることはできない。でも、それ以外で君を不自由させたりはしない。市井での暮らしは提供してやれないが、君を虐げたり、物のように扱ったりは絶対にしないと誓う」

「それで? あんたの言うところの、不自由させないっていったい何なのかしら?」


 心がささくれ立っているセレアは鼻で嗤った。


「高そうなドレスにアクセサリーでクローゼットの中を満たすこと? 贅沢な暮らしを約束すること? それのどこが、物のように扱っていないというわけ?」


 高いドレスにもアクセサリーにも、はっきり言って興味はない。美味しい食事は嬉しいけれど、それは、餌を与えられているペットと何が違うだろう。

 ジルベールは大きく目を見開いた。

 セレアは目の前に置かれた豪華なティーセットを睨んで言い捨てた。


「貴族なんて、くそくらえ」


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