「わたしは鍋の精。お主の願いをみっつ叶えよう。わたしが叶えられる願いは水炊き・チゲ鍋・きりたんぽ鍋」

たかぱし かげる

ある一人の男が砂漠で遭難していました。

「わたしは鍋の精。お主の願いをみっつ叶えよう。わたしが叶えられる願いは水炊き・チゲ鍋・きりたんぽ鍋」


 ふんぞり返って言う自称鍋の精。

 それに向かって男は叫んだ。


「ここ砂漠だが!?!?」


 ことのいきさつは、10分ほど前にさかのぼる。


 ***


 ところは真昼の砂漠。

 遮るもののない日差しが一面の砂をぎちぎちと熱している。


 息を吸うのも痛いような灼熱の空気のなかで、男はとうとう膝をついた。


 もはや限界だった。

 水もラクダもなにもかも失い、微かな希望にすがって砂丘を登ってきたが。

 男の前にはただひたすら砂の大地だけが広がっている。

 それはただ男の死を意味していた。


 ぱたりと砂に倒れようとした男は、砂中に埋もれた固いものに当たって目をしばたいた。

 なんだろうか。

 からっからに乾いた体を動かしてそれを掘り出してみると、それは平たい丸形の焼き物だった。

 土鍋である。

 東にある男の故郷ではしごく一般的な調理道具だ。この調理道具をそのまま名前として持つ料理さえある。


 なぜこんなところに鍋が?

 鍋といえば冬の料理の代名詞。どう考えても砂漠には相応しくない。


 死ぬ間際の幻だろうか。

 そう思った男は無意識に鍋をなでた。


 釉薬のかかった土鍋は触り心地つるつるしていて幻などではなく、とたんに蓋の小さな蒸気穴からしゅーしゅーと白い湯気が立ち上る。


 しかも驚いてそれを見上げれば、しゅーしゅーと人の形になっていく。

 真っ白な顔で、大きくて、故郷の古めかしい服を纏っている。


 なんというか、“奉行”とか呼びたくなる感じ。


 上から睥睨して、なんだか偉そうには言った。


「わたしは鍋の精」


 男はポカンとして湯気の魔人(鍋の精?)を見上げる。


「お主の願いをみっつ叶えよう」


 ああ、なんだか西の国にこんな説話があると聞いたことあるな、と男は思った。


 そして、願いを叶えるという言葉の意味が脳に到達する。


「っっっどんな願いも叶えてくれるのか!?」


 鍋にすがりつく。命が助かるかもしれない。


「……どんな願いも、というわけにはいかないが」


 湯気がちょっと小さくなった。でも男は気にしなかった。

 知っている。願いの数を増やすとか死者を蘇らせるとか、そういうのはできないと言うのだろう。


「どんな願いなら叶えてくれる?!」


 水が欲しい。砂漠を出たい。助けて欲しい。

 たぶんこれで男は助かるだろう。


「うむ。わたしは鍋の精。お主の願いをみっつ叶えよう。叶えられる願いは、水炊き・チゲ鍋・きりたんぽ鍋」


「……は?」


 ちょっと意味が分からなかった。


「叶えられる願いはみっつ。水炊き・チゲ鍋・きりたんぽ鍋」


 鍋の精が繰り返した。男はやっぱり「は?」と言った。


「詳しい説明が欲しいのか? ではサービスで教えよう。


 水炊きは、この鍋いっぱいの水炊きを食べるという願いを叶えるもの。


 チゲ鍋は、この鍋いっぱいのチゲ鍋を食べるという願いを叶えるもの。


 きりたんぽ鍋はこの鍋いっぱいのきりたんぽ鍋を食べるという願いを叶えるものだ」


 男は呆然としつつ問うた。


「……そのみっつだけか……?」


「そのみっつだ」


「なぜだ!? みっつの願いを叶えると言いながら、なぜそのみっつだけなんだ!?」


 鍋の精は小さく首をかしぐ。


「人の好みはそれぞれだからな。みっつの願いと言っても、必ずこのみっつでなければならないわけではない。人によって願うのは、水炊き・水炊き・チゲ鍋だったり、チゲ鍋・チゲ鍋・チゲ鍋のこともあるそうだ」


「そんなことは聞いてない!」


 しかもなぜ伝聞形なのか。


「ここ砂漠だが!? 鍋なんか食ってられるか!!」


「うーむ、鍋の精を呼び出した主人が鍋嫌いというのは想定していないのだ。鍋嫌いとか、聞いたことないし。

 とりあえず、なんでもいいから水炊きかチゲ鍋かきりたんぽ鍋か、願ってくれ」


 めちゃくちゃである。

 もはや男の頭は暑さと脱水でくらくらしている。

 こんなわけの分からないものに付きあっていられる状態ではない。


 せめて、せめて水があれば。


「水炊き! 水炊きを頼む!」


 たぶん一番水に近い気がした。


「うむ。お主の願いを叶えよう」


 鍋の精がそう言った瞬間、男の手の中にあった鍋があつあつの水炊きで満たされた。


「あああっつ、あっち!」


 思わず取り落とす。

 水炊きの半分ぐらいがこぼれて乾いた砂に染み込んでいった。


 灼熱の砂漠であつあつの鍋(半分ぶちまけ)。

 新たな地獄が生まれた瞬間だった。


「………………」


 ともかく鍋を覗き込んでみるが、砂漠の空気の熱なのか、鍋から立ち上る熱なのか、男には分からない。

 やっぱり水のかわりになどなりそうもないのは分かる。


「水炊きを願ったお主には、ふたつめとして別の願いを願うことができる」


 鍋の精がなんか言っている。


「なんだ!? お冷やでも出してくれるのか?!」


「うむ、いや。醤油・ポン酢・ごまだれだ」


 そんなことだろうと思った。


「ポン酢!」


 やけくそだった。醤油・ポン酢・ごまだれのみっつなら、ポン酢が一番薄い味な気がしたのだ。


「うむ。ポン酢だな」


 ふたつめの願いが叶い、目の前にポン酢の入った小皿が現れる。


 しかし、これを飲んだりしたら。

 水分補給になるどころか、死までの苦しみが増すだけなのは間違いない。


 せめて水炊きが冷めてくれれば。その汁で口の乾きだけは癒せるかもしれない。

 しかし灼熱の空気のなかで鍋は少しも冷める気配がない。

 あつあつ食べ頃(※砂漠でなければ!)だ。


「さあ、遠慮せずに。水炊きを食べてくれ」


 自信満々に鍋を勧めてくる鍋の精。

 殺意があるのではないかと思える。


 死ぬほど追い詰められた男は朦朧とする頭で懸命に考えた。

 なんとか助かる方法はないのか。

 砂漠であつあつの鍋を前にして死ぬなんて。切なすぎる。


 死を目前にして奇跡のごとく男に妙案が浮かぶ。

 一か八かで男は勝負に出た。


「鍋の精!」


「うむ、なんだ?」


「お前は俺の願いを叶えると言って水炊きを出した!」


「うむ、そうだ。しかし、なぜ食べない?」


「こんな暑いところで、熱い水炊きをおいしく楽しむことなどできないからだ! こんな水炊きを楽しめない状況のままで、お前は本当に俺の水炊きという願いを叶えたなどと言えるのか!?」


 男の必死の訴えに、鍋の精は非常に困惑した顔になる。

 男と水炊きの状況を見下ろし、ふうむと考える。


「……確かに、それは一理ある」


「俺の水炊きの願いを叶えると言うのなら、水炊きをおいしく食べられる涼しい場所へ連れていくべきではないか!?」


 しばし沈思黙考した鍋の精は、やがて大きくひとつ頷いた。


「分かった。特例ではあるが、みっつめの願いとして水炊きを楽しめる状況までお前を連れていこう」


 男は、勝負に勝った。


 鍋の精が「いちにのさんで飛ぶぞ」と言う。


「はい、いちにのさん」


 その移動はあたかも景色がしゅるしゅるっと畳まれて、新たな景色が広げられるかのようだった。


 驚く男の回りの空気が、一瞬で灼熱からひんやり冷えたものに取り変わる。


 目をまたたいた男の前には氷の世界が広がっていた。


「さあ、ここなら存分に熱い水炊きを楽しめるだろう」


 寒風に曝されて、男は今度は凍りつく。

 吐く息も凍る、真っ白な世界。ここは、どこなのだろう。


「冷める前に楽しむことだ」


 鍋の精は仕事をやりきった顔で満足げに男をみやる。


「では、わたしはみっつの願いを叶えた。さらばだ。よい鍋を」


 跡形もなく消えた。


 氷の大地に男は水炊きの鍋とポン酢の器と残された。


「……箸が、ない」

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