第48話 奈落へ


【人類】



 王城での騒ぎは慎重に、やにわに広がる。


 朝から廊下を小走りするのは警察大臣のシェーラ。

 未曾有の緊急事態に叩き起こされ、王城とその周辺を探し回っていた。


「陛下は見つかったか」


 息を荒げつつ、シェーラは首を横に振る部下を見て頭を抱えた。


「大事な今日という日に姿が見えないとは……嫌な予感がしてしまうな」

「……あ、そういえば、陛下から晩餐会の招待状をもらったと言う女が今朝方、王城に出向いてきまして……」


 部下が自信なさげに封筒を見せる。


「晩餐会だと? いつの話だ」


 シェーラの眉間にシワが寄った。


「招待状によると昨日開催とのことでしたが」

「昨日……そんな予定はないぞ」

「ええ、我々もそう言って追い返したのですが、アネス様が関わっているとか何とか」

「新手の詐欺だろう。アネス様はまだ任命式を行っていないから顔が知られていない」


 シェーラは封筒を受け取り、そこから取り出した招待状を確認する。

 きめ細かい紙質と書かれていた文面は確かに公式のものと同じだが、一つ大きなミスがあった。それは開催地だ。


「『ダクーニャにて粗餐そさんを』……? はっ、あんな田舎で開催するわけないだろうに。そんなものに騙される人間がよく今まで生きてきたものだ」


 シェーラは招待状を雑に手放す。

 宮殿も館もない土地で王が晩餐会を開くわけがない。信じるほうがバカな話だ。


「水路を探すぞ。人を集めてこい」


 はてさて、行く先の見えない状況だった。何しろ手がかりがない。

 予想できるものとしては侵入者に襲われたか夜逃げの可能性くらいだが、その形跡が見当たらないし、そもそもイエルカがそんな状況になるとは思えない。


 別に腹の底からイエルカに仕えているシェーラではなかったが、今回ばかりは本心から焦っていた。

 政治の関わる人類の生活圏ほぼ全てに情報網を敷き、謀略、諜報、何でも操るあのシェーラがだ。


(あー、ちくしょー。こんな事は初めてだ。私の経験則が意味をなさない。何なんだこの事件は。魔族との決戦が待っているというのに、今あなたが消えたら士気も戦力も過去最低になる。敗北確定で人類絶滅だ)


 王城の外に出たシェーラとその部下が城門を背にした時、シェーラは人気ひとけがないのを見て、ある一人の部下に早口で話す。


「いいか、死亡か逃亡の線が浮上したらすぐに印刷屋にビラを発注しろ。次期騎士王はカミロだ。クロミッタとかケイスはあり得んからな。人類が敗戦する前に決めんとならんし、反政府派が調子に乗るのも避けたい。カミロを褒め称える見出しは……」


 その時、ほんの少し、虫が視界を横切るように一瞬、見間違いかと思える影が上空を通り過ぎた。

 彼らには見えなかったことだが、その影は細長く、竜のように巨大だった。

 確認しようと顔を上げた時には既に何も無く、探すべき正体は後ろにいた。


「……!」


 いつからだろうか、彼らの背後にイエルカが粛々とたたずんでいた。しかし近寄りがたい、妙な雰囲気だ。


「陛下……!? 無事でしたか? 何かあったのですか?」


 シェーラが恐縮しながら振り返り、声をかけた。


「ああ……心配をかけたな。ネズミ退治に手間取ってしまった」


 今のイエルカは孤高でいて妖艶。普段の威厳ある姿とは少し離れていて、シェーラとその部下はポカンとした。


 朝から酒でも飲んだのか? そんな考察を捻らせるシェーラを置き去りに、イエルカは背を向けて呟く。


「ペルフェリアへ行こうか」




 *




「伝令です魔王様!」


 魔王軍将校がワルフラのもとへ駆け込んできた。


「アークガルダとナワルビン上空にあったトンネルが塞がれ、ファナゴイウスのトアディットに新たなトンネルが出現。太陽位置ではペルフェリア西部、カウマンノールに相当します」


 固有名詞が多いが、要は魔界と地上を繋ぐトンネルが新たに作られてしまったということだ。太陽位置とは魔界の直上にあたる地上の位置のこと。


「そ、それと…………」


 将校が弱々しく目線をらす。


「交渉がしたいと」


 それは魔族と人間の間に無いはずの、セオリーから外れた手段。

 ワルフラは「交渉だと?」と聞き返す。


「はい。既にイエルカ、カミロ、ネヴィが席についており、応じなければ即座に魔界に進軍するとのことです」


 魔王軍の事情を見透かした脅し文句だった。魔王軍は魔界側の防衛を固めている最中のため、今攻められたらピンチになる。


 ワルフラは予定を後回しにして副官と共に地上へ向かった。

 青空の下、野外に用意された樫のテーブルで人間軍の3名の重鎮が茶を飲んでいた。イエルカはあまり口を開かなかったが、交渉はすんなりと終わった。


 魔王軍は可能な限り人間軍残党を地上へ送り、人間軍は期日まで戦闘を仕掛けない。それだけの交渉。

 ワルフラとしても魔界に人間が居座るのは嫌だったのだ。一般人に被害が出かねない。


 魔王軍と人間軍の両陣営は新造のトンネルの周辺に監視をつけ、互いに交渉内容の完結を見守る。

 今後、トンネルから人間軍の残党が出てきたらそれを確保し、検査に回す。互いに何か怪しい動きをとったら即座に戦闘が始まるだろう。


 そしてペルフェリア司令官であるカミロを残し、イエルカとネヴィは王都への帰路についた。


 馬車のカゴの中でネヴィは窓の外に目をやりながら、向かい側に座るイエルカに気怠げな言葉を向ける。


「あなた、女っぽくしすぎよ。もう少し足の間を広くして。あと笑い方が違う。表情が硬いのは仕方ないけど、笑顔は要練習ね」

「……はい」


 イエルカはかしこまっていた。

 本来、ネヴィとイエルカは幼馴染という旧知の間柄なのにだ。




 だいたい一週間ぶりの王都。王城に帰り、一人で円卓の間へ歩いていく中、イエルカは徐々に退化する。


「はぁ……」


 早まった鼓動を無理やり静めると、痛みやストレスが胸を襲う。騎士王の職務の忙しさと重圧に自分の覚悟が追いつかない。


 この人間はイエルカであってイエルカではないから。

 本物はどこかで眠っている。しかし眠らせたままでは人類の存亡に関わるため、こうやってアネスがイエルカの外見を摸倣してイエルカとして振る舞っているのだ。


 アネスは円卓の間の扉を開け、束の間の休息に浸る。

 円卓の間に置かれた花は枯れ始め、沈む太陽は最期かのような光を放っていた。


「人、減ったね」


 ケイスがテーブルに伏せている。疲れの溜まった顔をしていて、今にも眠ってしまいそうだ。


 イエルカが座るべき席にはアネスがいて、その手には紐のブレスレットのような物が握られていた。


「…………おぇ」


 ケイスは義務的に気持ち悪いフリをした。

 ブレスレットはただの赤い毛髪だった。イエルカに変身するための道具だ。


「……言わないでくださいよ。私だって気味悪いのはわかってますし、聞き飽きてます」


 アネスは目を合わせない。摸倣コピー能力の発動には他人の一部の摂取が必要だが、胃に落とさずとも発動はできるため毛髪が減ることはない。


「それ、いつまで続けんの?」

「次の戦いが終わるまでは……必要な事です」

「大して持つとは思えないけどね。皆からの信用も、君の精神も」


 指揮官の経験すらない人間が、次の日から突然トップになって組織を支えることなど不可能だ。年齢や経験の浅さが近しいケイスだからこそ、度を越えているのはわかっていた。


「それでも、これが私の責任です」


 アネスは自分に言い聞かせる。最近はいつもそうだ。上を向く自信が消えかけていたとしても、ここで止まるわけにはいかない。


 この秘密を知っているのはグリフトフとゼナーユ、円卓騎士のカミロとケイス、それから魔術団総司令のネヴィだけ。

 彼らが持っている共通認識が口から出ることは決してない。

 それはイエルカが、キヴェールがいなければならない事態だということ。そして何より、


 アネスは完全にタイミングを間違った、と。


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