第39話 こぼしたミルクを嘆いて舐める


 円卓の間を破壊してくれたのうちカミロとケイスと他一名は、王城の執務室に集められていた。

 廊下のほうでは円卓の間の修復のために集められた工兵部隊の魔法使いたちが騒いでおり、そのせいで終始カミロとケイスは申し訳なさそうな顔をしていた。


 執務室には三つのイスが用意されている。イエルカは机のイスを前に持ち出し、はじめにカミロから事の経緯いきさつを聞いた。


「そうか……君は蘇生鏡で生き返り、オデットは戦死したと」

「はい」

「ご苦労だった。ゆっくり休め」


 カミロはずっしりとした足取りで部屋を出ていく。


「で、その赤子は?」


 イエルカが次に目を向けたのは、ケイスの腕の中で眠っている一人の赤子。


「それが私にもよくわからなくて。銀色の魔族が運んできたんですけど、その魔族は死んじゃって……一応、持ってきたって感じです」

「銀色の……」

「それで……その……」

「?」

「名前が……オデットなんです、この子」


 ケイスは自信なさげに、赤子の首に巻いてあったプレートの文字を見せてきた。

 そこにはオデット・ハーディンガーというフルネームが刻まれていて、どうやらあの透明の騎士オデットと同じ存在のようだった。


「あ~…………」


 イエルカは薄目で納得した。その名前もプレートの形も知っている。


 大まかな道のりはこうだ。

 まず戦死したオデットの死体とフルネームがニコトスのもとへ渡り、いつの間にかニコトスが能力で新しくオデットを生み出した

 そしてニコトス戦の際、行方不明となった一人の乳児オデットは、どこかに隠れていた黒騎士こと銀色の生物にさらわれ、イエルカとワルフラの目をかいくぐって地上に脱出し、ケイスたちのもとへ現れたのだ。


「……その子はおそらくニコトスの生んだ人間だ。とはいえ普通の人間と変わらない」


 これくらいなら隠すこともない。どうせ扱い方は決まっている。


「こちらで預かろう。将来円卓騎士になるのなら養子になれる」

「あのっ!」


 急にケイスが立ち上がった。


「この子は私が育てます。きっと、オデットと同じ性格には育たないかもだけど、同じような人に育ってほしい……から」


 そう言って赤子を優しく抱き締める。

 彼女の母親ぶった様を前に、イエルカはわずかに悩んだ。


(けっこう重いんだよなコイツも……)


 ケイスやオデットは表面上は社交的な兵士だが、たまに心の闇が垣間見える。先天的な能力によって選ばれる円卓騎士には、一般兵にない苦悩や弱さがあるのだ。


「……だ、ダメですか?」

「ケイス……君は今までオデットに頼りきりだったな。正直言って君は騎士ではなく単なる武器だった。今まではオデットの精神衛生のためだと見過ごしていたが……君もわかるだろう」


 イエルカの説教気味な言葉が、ケイスをどんよりとうつむかせる。


 事実、身の回りの世話とまではいかないが、ケイスは書類から何までオデットに肩代わりしてもらっていた。オデット亡き今、ケイスには一人立ちしてもらわねばならない。

 ということで、イエルカは教育的に譲歩する。


「赤子の世話は軍事学の勉強と両立すること。それが条件だ」


 すぐにケイスは顔を上げて目を輝かせた。


「…………!」

「……乳母うばは雇えよ。それ以外は君の自由だ」


 そう言い残し、イエルカは先に部屋を出ていった。




 日没の近い時間帯。イエルカは王城内にある侍女用の私室にいた。

 この部屋に入ってから、イエルカの手は常にの手と繋がれている。


 騎士王の側近サモナ。ベッドの上で仰向けになり、血の気のない肌で幸せそうな顔をしている。

 サモナは三日以内に死ぬ。見えた死の手前で、立つことすら難しい中で、それでもサモナはイエルカに会えたことが嬉しかった。


「――そんな事もありましたね。当時の私はずっとお腹が空いていましたから、何でも美味しかったんですよ」

「今となってはわがままなお嬢様だがな」

「ふふ、私ってそんなですか?」

「私の前では、君は素直すぎる」

「……でも私、最初に出会った頃から変わってない気がするんです。距離感とか、性格とか」

「変わっているさ。君も成長した。あの泥だらけの少女が、城の中で王と手を握るほどに」

「そう言われると……なんだか誇らしいです」


 サモナは死にゆく者とは思えない顔で微笑んだ。


「…………」


 それに反してイエルカは悔しかった。

 サモナは魔界で魔族に捕らえられていたし、完全免疫にかかるのも不思議ではない。ただ、そんなものに先を越される事が悔しかった。


「イエルカ様」


 その時、サモナの顔色が少し沈み、手を握る力が強くなる。


「私……やっとわかったんです」


 なおも、さざ波のような声で言葉をつむいで。


「みんな、生きたかったんだなって」


 とてつもない当たり前を震わせていく。


「生まれた時から戦いがあって、争うことが普通だと思ってて……大変だけど、そういう世の中なんだって。でも今は……どうしようもなく、死ぬのが嫌なんです……なんで戦争なんてしてたんだろう……」

「…………」

「今になってやっと……私はバカだってわかったんです……!」


 サモナは少しずつ涙を落とす。


「みんな生きたいはずなのに……死ぬことが当たり前になってて、人を物みたいに数でまとめて……一人一人に人生があるのに、私はそんな事をまるで知らずに……死体として一緒くたにしてきた……!」

「サモナ」

「私たちは間違え続けてる……! 全部! 何もかも!」

「サモナ!」


 イエルカは錯乱しかけたサモナをさえぎり、サモナの涙を指の背で拭う。


「君の私の側近であり、秘書であり、親友であった。言いたいことはわかっている」


 これは本心だ。サモナほど優秀な補佐役はいない。魔法使いとしても天才的で、人に好かれる才能もある。そんな彼女のことをイエルカは信頼していた。


「よかった……」


 サモナは目を細めた。


「私、ずっと……イエルカ様のことがわからなかった。理解したかったのに、奥にあるものがわからなかったんです……」

「……そうか」

「ずっと見ていたんですよ? 表情も、言葉も……憧れてたから……」

「…………」


 イエルカは静かに表情を無くしていく。心の浅いところに黒い塊が浮き上がってきた。


 そう、サモナは見ていた。一秒にも満たない変化を、グランノットでの狂喜、ナワルビン島での笑顔を。

 生みの親ニコトスの洗脳教育が作り出した疑念も畏怖も抱かない狂信者サモナは、ただただんだ信仰で全てを黙認していたのだ。


「それでもイエルカ様は、人のためになってくれる。そこが好きなんです。だから生まれ変わっても、私は好きでいたい」


 サモナは気分が良かった。


「私を殺してください、イエルカ様」


 だからどんな事でも、信じて受け入れられる。

 対するイエルカは微動だにせず「知っていたのか」と呟く。


「…………ほんの少し」

「……驚いたな」

「ふふ、愛ですよ」


 サモナは純粋に、魔族よりも崇拝対象に殺されたかったし、崇拝対象の隠し事を知った自身の死を望んでいた。

 そんな曇りのない瞳を信じ、イエルカはそっと握られていた手を解く。


「サモナ、君を魔族にやらせはしない」


 サモナの顔の上に顔を重ね、近づけていく。

 もしかしたら、サモナは密約において味方になってくれたのかもしれない。彼女を失うことが今さら惜しくさえある。


「最期は…………今日からは、私の娘として」


 だからせめて、夕暮れの光の下では、



 まだ、死なせない。


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