第32話 暴走するフェルナン

 ユーリスの囁きが聞き取れなかったフェルナンは、思わず眉をひそめた。

 

 発音からして共和国語だろう。意味は分からないが、なんとなく悪口を言われたような気がする。


「お前、今なにを言った!?」


「お見受けしたところ殿下は酔っておられるご様子。もう遅いですし、お休みになられた方がよろしいかと。それでは、これにて」


 こちらの質問には一切答えず、ユーリスが淡々と部屋のドアを閉めようとするが、フェルナンはとっさに扉の隙間につま先を入れて阻んだ。


「イテテテッ!! 痛い! 開けろ、そこを退け! 俺はベアトリスに用があるんだ!」


 立ちはだかって譲らないユーリスにイライラしていると、部屋の奥から「お通しして」というベアトリスの声が聞こえてきた。


「どけ!」

 

 部屋に押し入ったフェルナンは、すぐさま驚きのあまり言葉を失い立ち止まった。

 

 なぜなら、あの気丈なベアトリスが両目からぽろぽろと涙を流し、まるで親の仇のように自分を睨み付けていたからだ。


「だましたわね……」


「だっ、だました? なんのことだ?」

 

 こちらをご覧ください、とユーリスに手渡されたのは今日の夕刊だった。

 

 新聞の一面を飾る【バレリー元伯爵失踪】の大見出しを見て、フェルナンは絶句する。

 


【呪具に関与した罪で処罰されたバレリー元伯爵が、監獄への護送中に失踪していたことが判明。同行していた騎士一名の遺体が見つかった。なお、元伯爵とその他の騎士の消息は、依然として不明である】


 

「これは……」


「お父様の話を出すたび、殿下が言葉を濁していた理由がやっと分かりましたわ」


「ベアトリス、それは……」


「明日の夜会まで時間をください。今日のところはお引き取りを」

 

 そう言ってベアトリスは顔を背けた。


 なにも言えずに立ち尽くしていると、ユーリスは丁寧でありつつも有無を言わせぬ力強さでフェルナンを追い出し、無慈悲に部屋の扉を閉ざした。


 

 ☩ ☩ ☩


 

 翌日、ベアトリスは部屋に引きこもってしまい、フェルナンは焦った。


 議会後の宴にひとりで出席すれば、敵対派閥の貴族から陰口を叩かれ、王太子としての威厳が失墜するのは火を見るより明らかだ。

 

 なんとしてでもベアトリスを部屋から引きずり出さねば……と、夜会のことばかり気にしていたフェルナンだったが、真に心配すべきは議会の方であった。

 

 バレリー卿の件が議題に上り、貴族会議は今まさに荒れに荒れている。

 

「護送中の罪人が失踪したとの報道は本当ですか? であれば、これは由々しき事態ですぞ!」


 貴族の糾弾に、ヘインズ公爵は淡々と説明した。

 

「ええ、残念ながら報道は全て事実。我が領でこのような事になり、誠に遺憾に思っております。わたくしは大々的な捜査をと進言しましたが、王室の方々が『国民の混乱を招かぬよう、事実を伏せよ』とおっしゃいまして……」


「では、王室が事実の隠蔽をしたと? フェルナン殿下、そうなのですか!?」

 

「後日改めて声明を出し、説明責任を果たす。しばし待たれよ」


 フェルナンがそう言うと貴族らは一斉に顔をしかめ、尚もしつこく追求してくる。


(ああ、もううんざりだ! これ以上、付き合い切れん!)


「今日の会議はこれにて終了だ!」


 無理やり終わりにして席を立とうとしたその時、誰かの呟きが聞こえてしまった。


「あーあ。アラン殿下であれば、こんな時もきちんと対応してくださるのにな……」

 

「…………おい、今なんと言った!」


 逆上したフェルナンの怒鳴り声に、ざわついていた会場が水を打ったかのように静まりかえる。


「今アランの名前を出した者は、前に出よ!!」


 火山が噴火するかのごとく、それまで押さえ込んでいた怒りが一気に噴出した。


「その首、不敬罪で刎ね落としてやる!!」


 両手で机を叩いて叫ぶと、人々が「ヒッ」と青ざめた。


「俺は王太子であり次期国王であるぞ! 王位継承権を放棄した異母弟アランと比べて侮辱する不敬、到底許されることではない!」


 フェルナンは背後に立つ衛兵から剣を奪い取り、鞘から刀身を引き抜いた。


「その罪、死をもって償え!」


 辺りが一瞬にして騒然となり、護衛がフェルナンを止めるべく叫ぶ。


「殿下ッ! どうか、剣をお収めくださいませ!」


「うるさい、黙れ! 言葉を発した奴は誰だ! さっさと出てこい! さもなくば、ここにいる全員、残らず切り伏せてやるッ!」


「殿下がご乱心なされた……」


 怯えと呆れの混ざった囁きが聞こえてくる。

 

(俺は次期王だ。アランには負けられない!)


 感情まかせに剣を振り回したその時、ふと脳裏にベアトリスの声が響いた。

 

 

 ──『別に、勝たなくてもいいんじゃない?』

 

 

 フェルナンは剣を持ったまま、立ちすくむ。

 自分は本当にこのままで良いのだろうか……?


(もし隣にベアトリスがいてくれたら……止めてくれたのに……)


 途方に暮れていると、ふいに会議場の扉が開き、ひとりの女性が入ってきた。

 

 緩やかに巻かれた赤毛の長髪に大きな瞳、控えめに微笑む彼女は──。


(ベアトリス……来てくれたのか……!)

 

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