第7羽 世界の終わりのはじまり

 そうしていつの間にか杏奈の星の書朗読は終わった。


「こうして彦星、アルタイルの生まれ変わりであり救世主である銀杏ノ宮銀杏いちょうのみやぎんなんの誕生によって、我ら人類は神様から永遠の寵愛を授かったのです。以上、『星の瞬きの章』第六節でした」


 パタンと黒くて分厚い星の書を閉じてから、杏奈はマイクに静かな声を入れる。


「続きまして星酒式に移りたいと思います。星娘たちによって、みなさんの元に星酒が配られますのでしばらくお待ちください」


 星娘とは銀杏ノ宮のご息女たちである。

 星型をしたちっとも実用的ではない透明なグラスに星酒せいしゅという名の安酒の赤ワインの入ったものを娘たちが配膳する。もちろん子沢山とはいえ星娘たちだけで配るのは時間がかかるので、他の教会員も協力していた。

 僕が座っているのは礼拝堂の後方のほうなので星酒が届くまですこし時間がかかった。

 このまま届かないでもいいのだが……。

 というのも今までにも未成年ながら何度かこうして星酒を飲む機会があったが、星酒は舌が痺れるほど不味いから嫌いだった。パンが腐ったような味がするのだ。ダイアと一緒に飲むふりをして親の目を盗んで近くにあった高額な壺に入れたこともある。

 そもそも未成年に飲酒をさせるというのは法律的にいかがなものだろう。まあ教会自体が法律的にグレーな存在なのだから今さら感がすごいけど。


「まあしょうがないよな」


 僕が嘆息を漏らしていると白い和服を着た星娘が星酒の載ったトレイを運んでくる。

 白髪のショートカットに丸い麻呂眉が特徴的だった。頭頂部からピョコンと二本の触覚のようなくせっ毛が生えている。白いうなじは反射率が高くまるで蛍光灯のようにうっすらと光っているように見えるほどだ。モンシロチョウのつがいのような長いまつげが上品に羽ばたいていた。


 その女の子は僕と同年代であり銀杏ノ宮家の末娘である。

 ちょっと変わっていると教会内でも有名だった。その代表的な例としては首から緑色の編み目の虫かごを提げていた。その中には葉っぱが敷き詰められており、よく見れば白い幼虫が蠢いていた。

 銀杏ノ宮繭葉いちょうのみやまゆは

 僕の彼女に対しての第一印象は――キャラ作りがひどいだった。

 教会の意向でやらされているのかもしれない。

 ともあれ僕と両親はスターグラスをマユハから受け取った。

 その去り際にマユハは一言もの申す。


「わたしは警告」

「ん?」


 思わず僕は聞き返した。

 それを無視して脈絡もなく無表情のマユハは続ける。


まゆの抜け殻を探して」


 それだけ言ってマユハは僕の空いたほうの手に何か薄っぺらいものを握らせた。それから何事もなかったかのように次の人の元へ星酒を渡しに向かった。


「ちょ、ちょっと……」


 まさかお金?

 かと思って僕は手のひらをゆっくり広げると、そこには一枚の葉っぱがあった。

 なんか薬物的なヤバい葉か?

 とも思ったが、僕は彼女の首から提げている虫かごの中で蠢いている白い幼虫を見てピンとくる。


「……桑の葉か」


 ひょっとして僕のこと蚕だと思ってる?


「変な子ね。まあ山で拾われた捨て子だから仕方ないのかもね」


 母のいうとおりマユハは七年前、教会の敷地内に墜ちた流れ星の中からギンナンが拾った。

 ――という設定であるが、実は隠し子という噂だ。

 その特異な見た目からギンナンに見初められ引き取られたとか。

 よりにもよって天の川教会と関わってしまうとは……。

 同情も後押ししたのか、僕は桑の葉を学ランのポケットに突っ込んだ。


「これで全員に星酒が行き届きましたね」


 杏奈はつつがなく進行する。


「それでは待ちに待った星酒式を始めたいと思いますが、乾杯の音頭をこの方にとっていただきたいと思います。我らが星父せいふ、スターファーザーの銀杏ノ宮銀杏です。みなさん、大きな拍手でお出迎えしましょう」


 教卓の前に教祖ギンナンは立った。服装は青色を基調とした和装であり、星の模様が彩られていた。ギンナンは黄金の冠を被っておりその頭頂部はヘリポートのように禿げあがっていた。


「30年前、わしは星を見た。そのときアルタイルを通して神はわしにこう言った。サタンによって堕落した世界を救え、と」


 ギンナンが何を言っているのかわからなかったので僕はまだ正気を保っているようで安心した。


「しかし、わしは滅相もありませんと答えた。すると神は立て続けにこうおっしゃられた。おぬしにしかできぬ、と。こういうとき皆様ならどうしますか?」


 礼拝堂は静まりかえった。

 それから一拍置いてギンナンは言う。


「神から天啓を授かったわしは世界平和を目指そうと思うた。アルタイルの生まれ変わりであるわしが唯一神と対話できるのだから、わしがやらねばならなかった。生めよ増やせよ。星に満ちよ。そしてわしもいつか星に帰る」


 あんたはかぐや姫か。

 僕は心の中でツッコんだ。

 だったら今すぐ帰れ。


「しかし人類の原罪をあがなうまでは帰れないのです」


 ただの口実だろう。


「その原罪とは彦星と織姫が光の速さの実を食べてしまったことである。そのせいで人類は光の速さを超えられなくなってしまった。それにより彦星と織姫は何十光年も離れた天の川に引き裂かれ、一年に一度しか会えなくなってしまった」


 棺桶の中からアインシュタインが舌を出しそうな話だ。


「一年に一度の七夕の日、引き裂かれた彦星と織姫の間の天の川には、カササギの橋が架けられた。このカササギの橋とは何かね?」


 何でもいいよ。


「そうです。通貨紙幣である。最近は高額献金が各所で問題になっておる。がしかし! カササギの橋を作り彦星と織姫が一年に一回出会うためには、皆様の気持ちばかりの献金が欠かせないのである!」


 支離滅裂なことをよくまあつらつらとくだが回るものだ。

 献金よりもみかじめ料のほうがもっと良心的だ。

 教祖には信者の顔が札束にしか見えていないのだろう。


「そして来たるべき日、超巨大質量のブラックホールが太陽系に現れる。わかりますか? 一刻も早く原罪を償い、光の速さを超えなければ人類はブラックホールに吸い込まれて地獄に落ちることになるのだ」


 そんな馬鹿な。太陽系にブラックホールができるほどの天体はないし、光の速さを超えることは不可能なのでブラックホールに吸い込まれた時点でジ・エンドだ。


「要するに星とは精子であり、天の川銀河は精液である。宇宙は神のヴァギナでありその子供である彦星と織姫から生まれた人類は孫なのである。そのとき溢れ出た処女の血がこの星酒に血分けされておる」


 気持ち悪いこと言ってるな。

 さっきからずっと。

 厨二病と宗教家は紙一重だ。

 ギンナンは陰謀論のように何でもかんでも宗教に結びつけてしまう。彼の頭頂部がUFOでも不時着したように綺麗に耕されていることも宇宙と関係あるのだろうか。まるでミステリーサークルみたいだ。これはフランシスコ・ザビエルをリスペクトしているわけではなく、ナチュラルボーンらしい。高級育毛剤でもどうにもならないとか。悪趣味なかんむりを被るからバチが当たったのだ。

 木目調で温かみのある礼拝堂内のステンドグラスがカラフルな光も相まってその輝く冠を見つめながら、僕は在りし日の情景がフラッシュバックした。


 そういえば昔、神社でUFOを目撃したっけ。

 たしかダイアとハアトも一緒だったはずだ。

 和風な神社と違う文明の集大成ともいえるUFOの組み合わせ。

 それが脳味噌の海馬に鮮烈に今でも残っている。

 別に僕は放課後に遊びたいわけでも勉強したいわけでもない。何もしたくない。お金もいらない。

 ただ自由になりたいのだ。

 これは思春期特有の嗜好と傾向も含まれているのだろうが、きっとそれだけではない。

 この場所にいたくないのだ。

 その想いが日に日に強くなっている。反抗期なのだろうか。僕の両親はそう言うかもしれない。

 たとえ反抗期だとすれば、僕は親でも社会でもなく、きっと神に反抗しているのだろう。

 しかしいるのかどうかもわからないものにどうやって反抗すればいいのだ?

 わからない。

 真っ当に生きるのがどうしてこうも難しい?


開け、天蓋オープン・ザ・ドーム


 ギンナンが命令すると、礼拝堂のドームの天蓋は桃が割れるようにパカッと開いた。


 この苦痛の時間はいつまで続くんだ。

 とかく二世は制限と制約が多すぎる。男女交際はもちろん婚前交渉などもってのほかだ。一夫一妻制を推奨している当該教団では同性愛は否定されている。それもよくわからない。

 織姫と彦星が同性じゃないと誰が決めのだ。

 生まれたときは男性でも性転換して戸籍上は女性になった信者はどうなるのだ?


 せっかく芽生えた恋心に罪悪感を植え付けられる。その罪の種はやがて悪の花を咲かせる。

 恋罪れんざいの罰として業火の火あぶりの刑に処される。

 こんな気持ちは自然に消滅してしまえばいい。どうせ叶わぬ恋だ。

 それがこの世の理。適者生存。

 僕みたいな異端な存在は遺伝子を残せずどこにも居場所はなく生きてはいけない。

 どうせ僕はここで生きていく気もないが。


 子供のできない家庭は信仰心が足りないと説教される。しかし物理的に受精できない場合は失敗した家庭として目の敵にされる。そして教団内の別の夫婦に産ませた二世を養子として迎え入れさせるのだ。

 子供をなんだと思っているんだ。

 子供は一世のアクセサリーでも信仰心の証でもないぞ。

 ギンナンは乾杯の音頭を続ける。


「さあ、兄弟姉妹も星酒をいただけることを神に感謝して、酒前の祈りを捧げましょう」


 僕の祈りはただひとつだけだ。

 この時間が一秒でも早く終わりますように。アーザス。

 アーザスとは祈りの締めの言葉である。

 元はアーメンだったのにコンプラの影響なのか途中でアーザスと変更になり、またたく間に天の川教会内で統一された。

 信者たちが目を閉じて祈りを捧げるなか、僕ひとりだけが目を開ける。

 僕にとって祈祷の際は毎回決まって祈るふりをする時間。

 みんなが何を祈っているのかを考える時間。

 本当に信仰心がある人がどれほどいるのだろうかと思う時間。

 まるで人狼ゲームでもしているような感覚だ。

 ダイアがまだこの場にいたらこの祈祷の時間に毎回変顔して僕を笑わせようとしてくるんだけどな。

 今日は平日だけどいつもは日曜日にこのような礼拝を生まれてから14年間、毎週通ってるんだから、常人ならとっくに気が狂うよね。


 しかし、そんな永遠とも感じる生き地獄の時間は唐突に終わりを告げた。


 異変に一番初めに気づいたのは僕だったように思う。

 なぜなら他の人たちは目を閉じて神に祈っていたのだから。

 祈りを捧げる信者たちからオーブのような白い光が放出していた。そのオーブは礼拝堂の開いた天蓋を突き抜けて夜空に昇っていく。天蓋からのぞく星々の光と見分けが付かなくなったその光は蛍のように寄り集まり出した。かと思えば徐々に発光するように白いセミの顔を形成した。

 いや、あれはセミの顔というよりは……。


「骨盤……?」


 その巨大な骨盤からハルキゲニアのようにとげとげした背骨が伸びる。丸い頭蓋骨を支えると胸部の左右から十二本の肋骨が生えて中心部で接合した。同時に下半身の大腿骨も生え揃うと、膝の関節を経て下腿骨、そして足の指の骨へと続いていた。

 一見その骨組みは人体の骨格と似ていたが明らかに違う点がある。

 それは頭蓋骨から骨の翼が生えていることだ。さらに頭上には天使のような輪っかも浮かんでいた。

 加えて、その骸骨がいこつ天使は白衣のような清潔な布を纏っている。なんと落ちくぼんだ両目には丸眼鏡をかけていた。レンズの大きさで言えばイギリスのビッグベンの大時計のようである。実際に見たことはないけど。

 そして、これまた巨大な骨だけの傘を差しており、傘下には星ヶ丘の町を覆っていた。

 こうして全長50メートルはあろうかという、骸骨天使は星ヶ丘の町にカラカラと降り立った。


 そのときたしかに何かが変わり始めたんだ。

 変化の赦されなかった僕の日常が大きな音を立てて壊れた。

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