第38話  ヨハンネスの覚悟

 ヴァーメルダム伯爵家は聖女の末裔と言われているのだが、聖女がこの地を訪れたのは千年近くも昔のこととなるらしい。


 聖女には必ず、聖女を守る役目を負った守り人が現れる。その守り人と聖女は、ごく稀に、生まれ変わる前の記憶を持っていることがあるらしい。悲恋の記憶を残していることが多く、悔やんで死ぬ場合が多いのだと話には聞いていた。


 千年にも渡って脈々と血を繋ぎ続けて来たのは、ヨハンネスの一族が貢献したところも大きいだろう。聖女の血が時と共に薄くなっていったとしても、ある時、血色の濃い者が生まれ出る。特殊な能力を持つ者は特にその身を狙われるため、守り人が守りきれない場合が多い。故に悲恋の物語が増えていく、ヨハンネスはそう話に聞いていた。


「お嬢様、また沢山の魔力を使ったのですね」


 幼い時から伯爵家に仕えるヨハンネスは三代に渡って伯爵家に生まれ出た聖女の血筋をその目に見てきたが、マルーシュカほど悲惨な日々を送った者は居ないだろう。


 苛烈な暴力を振るうカリス夫人から虐待を受けたマルーシュカの面倒を見るのはヨハンネスの役目。聖女の杖を持つようになったマルーシュカは自分の力で傷を癒すようになったものの、魔力を使い過ぎると昏睡状態に陥ってしまうのだった。


 魔力の乱れを治すのが、代々ヴァーメルダム伯爵家に仕えて来たヨハンネスの一族の役目となる。


 ベッドで横になるマルーシュカの状態が安定したのを確認したヨハンネスは、寝ずに対応に当たる公爵夫妻へ、王城へと登城する許可を願い出ることにしたのだった。


「今は緊急事態でございます。小公子様はマルーシュカ様を身近に置きたいと願うでしょうが、大きな力を前に抗えないこともございましょう。うちのお嬢様がこの地より離れることを望むのであれば、私も否はないのですが、お嬢様はきっと、この地に残ることを望まれます。であるのなら、私はお嬢様がここに残れるようにするために、足掻いて、足掻いて、足掻いてみたいと思うのです」


 マルーシュカに聖女の力があるとするのなら、ガブリエル枢機卿はどんな手を使ってでもマルーシュカを手に入れたいと考えるだろう。


 あの蝋人形のように表情が動かなかったアレックスに表情を取り戻したマルーシュカ。あれほど堅物だった息子が、生涯望むのはただ一人だけ、マルーシュカが居なくなってしまえば息子は一生結婚をしないだろう。


「せっかく結婚すると決めたのだもの、マルちゃんが王国に残れるようにするためなら何でもするわ!」

「そうだな!愛は守らなければならぬものだからな!」


 突然のヨハンネスの申し出に嫌な顔一つ見せなかった公爵夫妻は、公爵からの使いの者という形でヨハンネスをアレックスの元へ潜り込ませてくれたのだ。


 アレックスは、おそらく国王までも叩き起こした上で自身とマルーシュカの結婚証明書を用意したのだろう。だけど、それだけでは弱過ぎる。ガブリエル枢機卿を迎え入れた王宮の応接室で、使用人として控えていたヨハンネスは高級のベロア生地で包まれた一つの箱を持って前へと進み出た。


「高貴なる皆様方の前へ自ら申し出る不敬をお許しください」


 箱を持ったヨハンネスが恭しく辞儀をすると、

「その者の発言を許す」

 と、エルンスト王子が許可をくださった。


「我が一族は千年近くに渡り、聖女様の血筋を守り、調整役を担ってきた一族にございます。我が名はヨハンネス、調整役として聖女様について、まずは説明をさせて頂きたく思います」


 ヨハンネスは自分の胃に激痛が走るのを感じていた。

 代々、ヨハンネスの一族は聖女の血を引くヴァーメルダム家に仕えてきたが、何故、今なんだ、何故、自分の代でなんだと、神様に向かって文句を言いたい。


 しかし、機会はやって来たのだから、説明をしなければならないのは間違いのない事実。

「こちらをご覧ください」

 ヨハンネスはベロアの箱をテーブルの上に置くと、厳かな手つきで箱の蓋を開けた。



 箱の中から出したのは銀色の聖杯であり、艶やかな光を放つ杯を見下ろしたガブリエルは思わず息を飲み込んだ。


「聖女様が創生神様から預言を賜った際に、神より頂いた祝杯とも言われるものですが、聖都ダウラギリの大聖堂に祀られていた聖遺物はいつしか、帝国の大聖堂の奥深くに祀られるようになったと話には聞いております。聖杯についての逸話は経典に幾つも残されておりますし、そこで語られる聖杯と、こちらの聖杯は、間違いなく同一のものであると思われます」


 ヨハンネスに枢機卿を黙らせる隠し玉があるという話は聞いていたが、まさかここで『聖杯』が出てくるとは思いもしない。

 部屋の中に居た一同が驚きに目を見開くと、ヨハンネスは説明を続けた。


「この聖杯が先代のヴァーメルダム女伯爵の目の前に現れたのは、帝国の後押しを受けたメイティラが聖都ダウラギリに攻め込んだのと同じ日となります。先代さまは契約が破られたため、聖杯がこちらに移動して来たのだろうと仰っておりました」


 聖都ダウラギリは聖女の生誕地ともされて居るため、帝国や聖宗教の裏切りはそのまま聖遺物に影響を与えることとなったのだろう。


「ヴァーメルダム伯爵家は女系の一族であったので、次の当主はアンシェリーナ様が継ぐはずだったのです。ですが、アンシェリーナ様は事故でお亡くなりになり、弟のジェロン様が次の当主と決まったところだったのです。その為、先代さまは私に聖杯は隠せとお申しつけになられたのでございます」


 突然、聖遺物が現れることがあるのだろうか?これは本当に、本物の聖杯となるのだろうか?思わず疑問に思いながら皆がテーブルの上の聖杯を眺めていると、外が俄かにうるさくなってきた。


 不思議に思ってドアの方に皆が視線を向けると、扉が開き、拘束したヘンドリックを抱えたテオドール・デートメルス公爵が入ってきた。


「間に合ったか?」

「ええ、十分に間に合いました」


 公爵に大きく頷いて見せると、王宮の侍女が用意したピッチャーの水をヨハンネスは聖杯に注いだ。そうして聖杯に注がれた水を再びピッチャーに戻してしまうと、それをコップに注いでヨハンネスは公爵に渡した。


 そのコップの水を公爵は捕まえていたヘンドリックに無理やり飲ませると、ヘンドリックの体から黒い霞のようなものが溢れ出す。


「聖宗教が施す洗脳は呪術の一種であり、その呪術は聖杯に注いだ水を薄めて飲ませれば治ります」


「グァアアアアアアッ!」

 叫び声を上げたヘンドリックはそのまま失神してしまったが、それでも顔色はとても良いように見えるので、本当に洗脳(呪術)から解放されたのかもしれない。


「ここに集まった方は全員、聖杯仕立ての水をお飲みください。呪術にかかっている者が紛れ込んでいるととんでもない話になりますからね」


 侍女が用意したコップにヨハンネスは次から次へとピッチャーの水を注いでいくと、皆がコップを受け取って、その場で一気に飲み干すこととなったわけだ。


 幸いにもヘンドリック以外に洗脳を受けている者はいなかったようだが、コップを運んできた侍女にまで水を飲ませる徹底ぶりをヨハンネスは見せた後、最後に彼はその場に跪いて言い出した。


「人々の心を集めるためにも『聖女』の存在が不可欠とお考えかと思いますが、聖女様のお心はそこにはないのです。聖地には聖女様の代わりにこの『聖杯』を枢機卿様にお渡しいたしましょう。人々を正しき道に導くためには、これほど貴重な『聖遺物』はないのですから」


 これほど貴重な『聖遺物』はないのですから、と言って居るけれど、リンドルフ王家の意思が置き去りにされてはいないだろうか?と、エルンスト王子が思わない訳はなかったのだが・・

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