第15話 Bring it!(4)

「たぶん一番暇だし、それくらいいいかなって」


「本当に良かったの?」


「うん。皆部活があるんだし、佐藤さんも、バイトあるし」


「でもそんなのはさ、私のバイトなんかもそうだけど、自分で好きでやってるんだから――」


「でも実際、手が空いてるのは僕だからさ。班長なんて、やれる人がやったらいいんだよ」


 愛美は、息を呑んだ。


 あぁ、この人は、私とは全然違う。


 それどころか、私が付き合って来たどの人とも違う。


 絹のような男の子。


「幸谷君って、優しいんだね」


「普通だよ」


「普通じゃないよぉ!」


 愛美は笑いながら言った。


 正孝は何となく、愛美のその笑顔が、皆の前で愛美が見せている笑顔と、少し違うような気がした。しかし正孝は、その『違い』について、考えるのはよそうと思った。その推測の行きつく先の不毛さを、正孝は知っていた。


 微笑みを残したまま、愛美がアイスコーヒーを飲む。


 その様子を見た時、正孝の脳裏に、映像が浮かんだ。今朝見たか、それともさっき見たばかりだったか、セキレイが駅前を歩いている映像。白い顔とふっくらした腹、背中と尻尾は燕尾服のように黒い。その黒い尻尾が歩くたびに、ひょこひょこと上下に動いて何とも可愛らしい。

 どうして急にセキレイの歩いているワンシーンを思い出したのかと考えて、正孝はすぐにその答えが分かった。アイスコーヒーを飲んでいる愛美と歩いているセキレイが、何となく、似ているからだ。


「佐藤さんって、セキレイに似てるね」


「っ……! え!?」


 急に正孝にそんな事を言われて、愛美は驚いてストローを口から離した。


「あ、ごめんね、何となく、そう思っただけだから」


「セキレイって、鳥だっけ?」


「うん」


 愛美はすぐに、携帯で『セキレイ』の画像を検索した。


「あぁ、セキレイって、この鳥かぁ! 見たことある」


「うん。可愛いよね。歩くと尻尾がぴょこぴょこ動くんだよ」


 愛美は、ころころと笑った。


 その瞬間、正孝はまた、例の『発作』に見舞われた。


『言葉』が閃き、頭から溢れてきそうになる。


 正孝は慌ててメモ帳とペンを手提げから取り出した。




 上下にぴょこぴょこ 黒尾羽

 黒ネクタイに白いシャツ

 誰も見てない所でぴょこぴょこ

 くちばしにはっぱをくわえて ぴょこぴょこ

 大きな黒目はいたずら黒目

 セキレイの女の子



 書き上げた正孝は、ほっと息をついた。


 正孝の書いた詩を、愛美は当然のように覗き込んでいた。正孝は、慌てて、メモ帳をポケットにしまった。


「――あっ、なんで、見せてよ!」


「え、いや、やっぱり……」


「だめ?」


「……」


 正孝は、仕方なく、ポケットにしまったメモ帳をテーブルの上に置いて、愛美に開示した。女の子に頼まれると断れない、ほとほと、自分はなんてチョロい男なのだろうと思いながら。


「この、『セキレイの女の子』って、誰の事?」


「……」


「私?」


 正孝は黙り込み、それから俯きながら言った。


「ごめんね、気持ち悪いよね……」


 正孝はそう言った後、うな垂れながら、メモ帳を再びポケットにしまおうとした。


 ところが、愛美は、正孝の手を握って、それを止めた。


「全然気持ち悪くないよ!」


 愛美は、力強く言った。


 同時に、正孝の右手を止める手もぎゅっと握る。


 正孝は、恐る恐る視線を上げて、愛美の顔を見た。


 一秒、二秒、三秒――正孝は愛美の目を見つめ、その表情を精査した。笑顔の裏に不快を隠すとき、人はどんな表情を作るのか。頬と唇と、そして目元の筋肉はどのように張り、あるいは、緩むのか。正孝は、心理学周辺の特別な勉強をしているわけではなかったが、昔から、そういうことには敏感だった。


 四秒、五秒……。


「私、詩のことは全然わからないけど、幸谷君の詩は、何か好きだな」


 正孝に見つめられるのを面白がりながら、愛美はそう言った。


 正孝はまだ、愛美の笑顔のマスクに入った〈ヒビ〉を見つけることができないでいた。絶対に引いているはずなのに、その不快な気持ちは、愛美の笑顔の仮面があまりに精巧かつ頑丈にできているために、見えてこない。


 どうしたら佐藤さんの仮面を引きはがせるだろうかと、正孝がそんな事を考え始めている間に、愛美は手帳を取り出して、そこに正孝の詩を清書した。


「タイトルは? 〈セキレイ〉?」


「う、うん……」


 正孝は頷いた。


 清書を終えた愛美は、満足そうにうなずいた。


 正孝は、そっと、愛美に握られていた右手をテーブルの下に隠して、左手でその手の甲を撫でた。愛美に触られてぽかぽかと熱を持った右手の甲のその熱を、冷ましてしまいたくなかった。


「実はね、私も中学の頃、友達とポエム書いて見せあいっこしてた時期あったんだ」


「え、そうなの?」


「女子は結構、書いてる子いたよ。あと、日記とか」


「そうなんだ」


「幸谷君、日記とかは書くの?」


「書かないよ」


「詩だけ?」


「ま、まぁ……」


「詩は、毎日書いてるの?」


「うーん……たぶん、ほとんど毎日。そうしようと思ってるわけじゃないけど」


「へぇ、すごいね! それが日記みたいなものだね!」


 正孝はメモ帳をしまった。


 褒められれば褒められるほど、恥ずかしくて、虚しいような気がした。


「全然すごくないよ。クシャミと同じようなものだから……」


 くしゃみとは違うでしょ、と愛美は言って笑った。


 ころころ笑う愛美の女の子らしい魅力に押されて、正孝は小さくなった。愛美と一緒にいる自分が、他から見たらどういう風に映るのだろうと思うと、自分がこの場に存在すらしてはいけないような気になってくる。


 今の正孝は、眼鏡もはずして髪も切り、外見的な見栄えは決して悪くなかったが、心は早々、変化するものでは無い。


 正孝は、自分が卑屈な態度をとっていることは、よくわかっていた。そうして、そういう自分の態度が、人を不愉快にさせているということも。しかし、正孝にはどうすることもできなかった。今更急に、目を見て話をしたり、その話すのでもはきはきと張りのある声で自分の意見を言ったり……そんなことは、ダチョウに泳げと言うようなもので、正孝には無理だった。


「ご、ごめんね」


 正孝は、謝った。


 こんな自分でごめん、と思った。


 佐藤さんだって、時間を潰すのなら、もっと楽しい男と潰したかったろうに。


「え、どうしたの、急に」


「いや、その、僕なんかでと思って」


「なんでよ幸谷君、誘ったの私だよ?」


「そうだけど――」


 と、そこで正孝は一旦言葉を止め、改めて言った。


「あ、そうだ、佐藤さん」


「どうしたの?」


「あの、班の事。入れてくれてありがとうね」


「え?」


「佐藤さんが入れてくれたんでしょ?」


「うん、まぁ、ね。でもそれ、幸谷君がお礼を言う事じゃないよ」


 愛美はそう言うと、正孝をじっと見つめてから言葉をつづけた。


「私が、幸谷君と一緒の班になりたかったからそうしたんだから」


 愛美にそう言われて、正孝は返事に困りながら俯いた。


 愛美は、そんな正孝の反応を見てにやりと笑った。


「移動教室、楽しみだね」


「……そうだね」


 愛美は、正孝の恥ずかしがる様子を見て、含みのある不敵な笑みを浮かべた。

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