第11話 フルーツミックス(4)

 翌日、愛美は本当に〈フルーツミックス〉の透明容器を持って、朝の教室に入って来た。


 パイナップル、イチゴ、ナシ、リンゴが入っている。


 愛美はそれを持って正孝の座る席へと近づきながら、近くに座る女子生徒に「食べる?」「いる?」と声をかけ、デザートを分け与えていった。


 移動教室の行動班の事で、愛美は宇川夏果一派を敵に回したが、かといって、派閥といっても一枚岩でもなければ、血の掟があるわけでもない。女子だけならばともかく、男子もいる前である。こういった施しを露骨に拒否すれば、男子受けが悪くなるのは必至である。そういった計算もあり、愛美のデザートを遠慮する女子生徒は、一人もいなかった。


 その流れで、愛美は正孝の前にも、〈フルーツミックス〉の容器を差し出した。


「どれがいい?」


 正孝は固まった。


 イケてる男子のように、『じゃあ俺これ!』と、ノータイムでその容器に指を突っ込むようなことは、正孝にはできなかった。その躊躇いのコンマ数秒が、モテる男子とそうでない男子の決定的な差であることは、正孝にもわかっていた。


 正孝は、容器を前に固まりながら、自分の性質の不運を思い、悲嘆に暮れた。


 どうして僕は、何も考えずにパっと、本能の赴くままに行動できないのだろう。そういう、ノリの良い男に生まれなかったのだろう。


 正孝も、一人が好きなわけでは無かった。一人に慣れているだけだ。そして、モテなくても良いと思っているわけでもない。できることなら、気安く女の子と話せるような、そんな立ち位置の男になりたいと思っていた。


 しかし、どんなにそう願っても、僕は今、フルーツを前に、固まっている。


 この性質はもう、努力でどうにかなるものではない。


 僕は一生、そうなのだろう。


 そこまで考えると、正孝の悲嘆は絶望へと変わっていった。


「じゃあ、イチゴ?」


 正孝の考えすぎな絶望をよそに、愛美はそう言いながら、星型ピックに苺を差して、それを正孝に差し出した。


 正孝は、「受け取らなければ」という焦りのあまり、ピックを指で受け取るのではなく、愛美の差し出したピックの先の苺に、ぱくっと魚のように、直接口を持って行った。


 周りで見ていた生徒たちは、思わず、「ええっ!?」と、ひっくり返った驚きの声を上げながら笑った。中には、「ひゅう!」というような、黄色い声を上げる女子もいた。正孝が愛美に優しくされて面白くない男子は、「マジかよ、アイツ、きもっ!」というような悪態をついた。


 そういった声と反応が、同時に、色々な所で起きる。


 愛美も、意表を突かれてけらけらと笑った。笑いながら、今度はパイナップルをピックに刺して、それを正孝に差し出した。


 正孝は、周囲の反応で、自分のしでかした失態を認識し、俯いた。


 朝から、なんて災難だろうと、早々神経をすり減らす出来事が起きたことを正孝は呪った。しかし一方で、ほんの少しだけ、正孝には嬉しさもあった。


『キモい』なんて言い方をされるのは辛い。けれど、自分のことを――その真意はともかくとして――気にかけてくれる人がいる。それだけで、恥ずかしさや情けなさが、チャラになるような気がした。




「幸谷幸谷、お前、佐藤さんと付き合ってんの?」


 四時間目が終わった後、正孝の席にわざわざやってきてそんな事を尋ねたのは、遠野岳斗である。『岳斗』なんて名前だが、ビジュアル系ではない。サッカー部では『大将』や『大魔神』で通っている武闘派である。ポジションはセンターバック、屈強な体格の持ち主である。


「いや、ううん、滅相もない」


 正孝はそんな風に応えた。


 すると岳斗は、正孝のその答えが面白かったらしく、「なんだよそれ」と笑った。


 子供のような、屈託のない笑顔。


 少しも飾ったところがない。


「お前、今日飯は? 弁当?」


「うん。購買で買おうかなって」


「マジ? じゃあ一緒に食おうぜ。俺も今日購買弁当だから」


 岳斗はそう言うと、ずんずんと教室を出た。


 正孝は、慌てて岳斗の後をついていった。


 弁当を買った後、二人は、図書館脇の中庭にやってきた。芝生と、ハルニレの低木を眺めながら、並んでベンチに座る。その場所を選んだのは、岳斗だった。正孝は食堂でも良かったが、岳斗が、静かな場所が良いと言うので、それに従った。


 ベンチに男二人、並んで弁当を食べるというこの絵面はどうなのだろうと、正孝は恥ずかしくなってしまうのだったが、岳斗は、そのあたりは、全く気にしていなかった。


「で、お前、佐藤さんとどうなの?」


 改めてそこで、岳斗は正孝に訊いた。


「どうってことは無いんだけど……」


「でも、仲良さそうじゃん。めっちゃ羨ましいんだけど」


「ええっ!」


 正孝は驚いた。


 自分が人を羨むことがあっても、その逆はないだろうと、正孝は信じて疑わなかった。まして相手は、岳斗である。ところが岳斗は、本当に正孝のことを羨ましいと思っていた。


「朝からお前さ、ア~ンとかしてもらってさ!」


 岳斗は、声を荒らげる。


「いや、でもあれは、なんか、慌てちゃって……」


「いいなぁ! 俺もマナちゃんにア~ンとかしてもらいてぇなぁ!」


「えー……」


 欲望丸出しの岳斗に、思わず正孝は引いてしまった。


「遠野君ってさ――」


「呼び捨てでいいよ、気持ち悪い」


「え……じゃあ、遠野」


「うん」


「遠野って、佐藤さんの事、好きなの?」


「いや、好きって言うかさ、デートしたい」


「どういうこと?」


「デートだよデート」


「好き、ってこと?」


「いや、そりゃあさ、好きだろ普通。だって、可愛いじゃん。キスしたくない?」


「えぇ!」


 正孝は驚いて声を上げ、岳斗は、自分の言ったことに恥ずかしくなったのか、酔っ払いのように顔を赤らめてだらしなく笑った。


「佐藤さんって、マジで〈ヤリマン〉なのかな」


「ちょっと――」


 正孝は、周囲を警戒した。


 誰か、聞き耳を立てていやしないだろうかと思った。


「あの顔で処女じゃないとか、エロすぎでしょ」


「そういうことは、あんまり言わないほうが良いよ」


「お前だって、マナちゃんのこと好きなんじゃないの?」


 おい、と岳斗は、正孝の肩を小突いた。


 正孝は、小さく笑った。


「何照れてんだよ。お前あれな、移動教室の時、マナちゃん独占するの禁止な」


「え!? そんなことしないよ。というか、僕なんて全然からかわれてるだけだし」


「ホントかよ?」


 岳斗はそう言うと、白飯をがつっと口に運んだ。


 正孝は、唐揚げの片隅をかじり、俯いた。今しがた自分が言った言葉に、自分で傷ついていた。『かわかわれているだけ』。行動班で自分がどういう風になるか、正孝はよく知っていた。


 サッカー部の仲の良い二人と、そして、佐藤さんと、佐藤さんの友達の女子。実際この四人がどんな関係であるかはわからないけれど、自分は、誰とも仲が良いわけでは無い。佐藤さんにはそう……『かわかわれているだけ』の存在。いじられて、その瞬間誰かが笑えるだめだけの道化という役割が、自分のポジションだ。


「あ、あとお前、秘密守れる?」


 ごくんと、頬一杯の白飯を飲み込んだ後で、岳斗が言った。


「秘密?」


「うん」


「何?」


「タク、牧田の事好きなんだよ」


「は、はぁ……。え、牧田さんって、一緒の班の」


「そうだよ。じゃなきゃこんな話しねぇよ。タクは、小佐田のことな」


「うん、それはわかるけど――え、そうなの?」


「そうなんだよ。だからお前、邪魔すんなよ。俺はからかうけど」


 え、と眉を顰める正孝に、岳斗はへらへらと笑った。


「お前、牧田がサッカー部のマネージャーってことも知らない?」


「あ、そうなんだ。知らなかった」


「まぁ、そりゃあ知らねぇよな、そんなこと」


 かちかちと、岳斗は箸を鳴らしながら唐揚げと白飯を口に運ぶ。


 そんな岳斗をちらりと見て、変わった人だな、と正孝は思った。自分の、こんなのろまな会話のリズムに付き合ってくれる運動部がいるなんて、と。


「お前部活入ってないの?」


「入ってるけど、幽霊部員だよ。文芸部」


「文芸部? ふーん、全然知らねぇ」


 そう言って、にかっと岳斗は笑った。


 正孝も、釣られて笑った。岳斗の笑う声やその笑顔には、何か昇って行くような勢いがある。


「本好きなの?」


「いや、全然」


「なんでだよ文芸部」


「ホントだよね」


 正孝はそう応えて笑った。


 岳斗は、ニマっと笑うと、したり顔で言った。


「ホンだけにな」


「……」


「笑えよ!」


 岳斗は吠えるようにそう言いながら、バシンと、正孝の背中を叩いた。


 正孝は、咽ながら笑った。

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