エンドロールに心臓を

雨上鴉(鳥類)

第1話 回想


 あの日、世界は死んだ。たった一人の少女の手によって。

「どうしても、あいつを殺さなきゃならないんだ。それが、贖罪になると信じてる」

  

 とある世界の、とある場所。「運命の塔」と呼ばれる、白亜の高い高い塔。人も動物も近づかない場所に、今日も向かう。

「運命の塔」には、入り口がない。本来なら誰も来ないし、中にいる唯一の住民は、ここから出られないから。けど、俺だけは違う。

 塔の壁に手をつき、集中する。しばらくすると、扉が現れた。うん、今日もちゃんと開けられた。

 昔から、どんなものでも開けられた。鍵のなくなった倉庫から、お金の詰まった金庫まで。閉じたものに新しい鍵を与えて、開け閉め出来るようにする。この世界で唯一、俺だけが使える力。そのせいで結構疑われることも多いけれど。こうして役に立っているから、俺はこの力を気に入っている。

 塔の高さに見合わぬ階段を、数段登って。塔の最上階にたどり着いた。この塔、外から見ると雲より高いのに、階段は何故か少ししかないんだよな。一番上まで登ると、扉が現れる。ノックをすると、返事が返ってきた。

「今日も会いにきてくれたのね、ジャック!待っていたわ!」

 部屋に入ると、会いたかった人が出迎えてくれた。白い部屋と同じくらい、白い髪に透き通る肌。目元は布で覆われている。けれど、その向こうで笑っているが分かる。そのくらい、ここに通っているってことでもあるけど。

「うん、今日も遊びに来ちゃった。新しい本を貰ったから──と一緒に読もうと思って!」

 持ってきた本を取り出す。緑色の表紙には、王子様とお姫様が描かれている。

「まぁ、嬉しいわ!ふふ、お茶を淹れるから、先に椅子に座ってて」

 ──は楽しげに鼻歌を歌いながら、お茶会の準備を進める。それを待ちながら、部屋を見渡す。窓もない部屋には、この前俺が持ってきた花が飾られている。見たところまだ元気そうだ。ちゃんと──が大事に世話をしている証拠だ。

「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね」

「うん!ありがとう」

 二人だけのお茶会が始まる。俺が本を読んで、それを──が聞く。穏やかな時間が流れる。この時間が、とても好きだ。

「やがて、街には平和が戻り。王子様とお姫様は、お城で仲良く暮らしましたとさ。おしまい!」

「ふふ、読んでくれてありがとうジャック。途中悪い人たちが来たところ、どうなるんだろうと思ったけれど。ハッピーエンドでよかったわ」

「でしょ?俺も最初に読んだ時、ドキドキしちゃった」

 本を閉じる。表紙の主人公たちを眺める。彼らの大冒険を見た後だと、この絵の見え方も変わる。本当に、幸せになって良かった。

 俺の膝に乗ったままの本を、──はぼんやりと眺めている。

「私も。この二人みたいに、冒険してみたいなぁ」

 ぽつり、と。溢れた言葉に、──自身が驚く。慌てたそぶりで俺を見る。

「ごめんなさい。出来ないことを言ったって、仕方ないわね。これがある以上、私はここから出られないもの」

 じゃらり、と鈍い音がした。──の足には、枷がはまっている。白い白い部屋に、黒いそれだけが、いつも浮いている。

 ──は、「運命の塔」に選ばれた、カミサマへの贄だ。この世界にいつか現れる、カミサマを待つ。それが、彼女に与えられた唯一の役割で、存在理由。そう──自身が言っていた。「運命の塔」は、彼女が逃げ出さないための檻。だから、入り口も出口もないし、彼女の足が自由になることもない。

「ジャックが来てくれるだけで、幸せなことなのに。それでも、外に出てみたいって、思ってしまうわ。いけないことなのにね」

 その声には、諦めが滲んでいる。自分はここから出られないという、絶望。初めからわかっている運命。もう何度も、何度も夢を見て。叶わずにいる、そんな願い。

「そのこと、なんだけど」

 本をかたわらに置く。今日は、絶対に彼女に伝えたいことがある。深呼吸をして、落ち着いて。口を開く。

「もし──が、願うなら。俺と一緒に、ここから逃げよう」

 ずっとずっと、考えていた。許されないことだって、分かってる。けど、それでも。俺は──と、生きていきたい。そう、願ってしまったんだ。

「俺なら、その足枷も、塔の扉も。全部開けられる。だから、一緒に。どこか、遠いところまで逃げよう。カミサマの手の届かない場所まで」

 花、本、絵。俺が塔に持ち込んだものは、たくさんある。けれど、世界にはまだまだ素敵なものが溢れている。それを、俺は知っている。だからこそ、──に見せてあげたい。

「どうか、俺の手をとって」

 祈るような気持ちで──に手を差し伸べる。もし断られてしまったら。そういう思いが胸をよぎる。

 多分数秒程度の時間だった。けれど、俺にはすごく長く感じた。恐る恐る顔をあげる。

 ──は、泣いていた。目は見えないけれど、その顔からポタポタと雫が手に落ちる。

「あのね、ジャック。悪いことなの、分かっているの。けど、けどね。すごく、嬉しい」

 しゃくりあげながら──は、俺の手をとってくれた。小さな手は、震えている。

「ずっと、ずっと怖かった。毎日なの。毎日、頭の中にカミサマの声が響くの。私が、私じゃなくなっていくみたいで。本当に、怖くて。でも、どうしようもなくて。もう、諦めてた」

「運命の塔」に選ばれた贄は、やがてこの世界に現れるカミサマの新しい身体になる。元の人格は消えて、カミサマになってしまう。それが、どんなに恐ろしいことか。いつか来る運命に、怯えながら──は生きてきたんだ。

「私、貴方と一緒にいたい」

 涙も、手の震えも止まっていた。

「うん、一緒に行こう。カミサマがいない、どこか遠いところまで」

 ──となら、きっとどこまでもいける。


 あの日の俺たちは、そう思っていたんだ。

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