第2話 「男根博士」

 ここは、大神博士が経営する石川県金沢市泉ヶ丘にある大神外科・泌尿器科医院である。



 最近では、超高級マンションも数棟建ち並んでいるが、この金沢市泉ヶ丘とは、金沢市の中でも昔から高級住宅街で通っている町であって、学校の先生や公務員、銀行員等の、いわゆるお堅い職業の人が、それなりに多く住んでいる地区なのだ。



 今も述べたように、この地区では、現在では屋根に太陽電池パネルを搭載したハイテクな住宅や超高級タワマンが次々に建てられているのだが、この大神医院だけは、建築後、優に百年は経つのではないかと思われる程古びていて、医院の正面玄関には、干からびたツタが絡まっていた。



 敷地面積はざっと200坪はあろうか?



 大体が正方形の敷地のようで、医院兼住宅の建て床面積自体も相当に大きく、約120坪程度はありそうだ。残りの約80坪の内、一部は庭園に、残りは来客用の駐車場としてコンクリート舗装されている。車10台は楽勝で駐車できそうだが、白い駐車用のラインは敷いてない。こんなところにも、いかにも無愛想な医院という感じを受けるのであった。



 また、医院の周囲には、白いペンキを(と言っても随分薄汚れてはいるが……)塗った板張りの高さは2メートルはありそうな高い塀が張り巡らされており、その全体から受ける印象は観光地等にたまにある、明治時代中頃に建築された旧邸宅に来たような感じであった。



 その医院の一番奥にある、大神博士の書斎らしき大きな部屋に、先程の人工男根のモデルが、透明なアクリル製の筒に入って何本も展示されていたのである。



 そんな古い建物の中であり、更に薄暗い部屋であっただけに余計に不気味に感じたのだ。



 時は、西暦2029年の12月25日、つまり、クリスマスの日であった。



 私は、今日、大阪からの帰りのJR西日本の北陸新幹線のプレミア席の中で、奇妙な男性と知り合ったのだ。

 どう、奇妙かと言われてもそう簡単には表現できないのだが、その男性の全身から醸し出される雰囲気、もっと言えばその男性の目付きが、異常ぽかったと言うしかないのであろうが……。



 年齢は50歳前後か。伸長は165センチそこそこ、体重は80キロ程で豚のような体系、髪の毛はモジャモジャで口髭も同様である。

 それでいて、極、分厚い眼鏡と、着ている背広は多分イギリスの某有名メーカー製の高級な服とネクタイをしていた。そのモジャモジャの髪の毛、口髭や、豚のような体系と、着ている服や履いている高級靴とのアンバランスが、なおの事奇妙に感じさせたのだ。



 その男性は、京都駅から、私の席の隣に乗り合わせて来たのだった。



 そして、大きなバッグから取り出したタブレットで、多分ドイツ語の論文集を列車の中で見始めたのだが、その論文集を見て、私は、即、医者だと確信したのだ。



 何しろ、その論文集にはカラーの写真や解剖図が次々に掲載されているのだが、どれもこれも男性器の解剖図ばかりである。

 ……多分、泌尿器科の医者なのであろう。更に、その男性器の解剖図の細い線を電子ペンでなぞったりなどしている。それが血管をさしているのか、神経系やリンパ管等をさしているのか、この私には全く分からなかったが……。



 ただ、ここでの巡り合わせは、私に取って、渡りに船であった。



 私は、恐る恐る、隣の明らかに、お医者然とした人物に語りかけてみた。



「失礼ですが、先生はお医者さんですか?」

「ああ、そうだよ。れっきとした医学博士なんだよ。今日は京都で学会があってのう……」

「では、ご専門は泌尿器科ですか?」

「ああ、見てのとおりの男性器ばかりの解剖図が載っているドイツ語の医学論文を読んでいるんじゃ。誰が考えてみても当たり前の話じゃろうが。まあ、それ以外に、外科のほうも専門じゃがなあ」



「ああ、そうですか……はあ……」



 ここで、私は、思わず深い溜息をついてしまった。



 まあ、他人の目から見ても私の顔色は結構悪かったのだろう。隣の席の例の医学博士も、ほんの少し心配そうに私のほうを覗き返してきた程だ。



 ……事実、私は、昨日の事件があって大変なショックを受けていた。いや,ショックと言うよりかは、人生最大の侮辱を受けたのだ。で、このまま自殺してしまおう、と考えていたのだ。



 冒頭にも述べたように、死ぬ事は別に全く怖くは無いのだ。むしろ、これでようやく死ぬべき尤もらしい理由ができたと、内心では喜んでいたのかもしれない程だった。



 ただ、直ぐに死ぬ訳にはいかない。その前に、処分しておきたいものが多々あったので、実家に帰って色々な「思い出」を処分してから、淡々と死出の旅に出るつもりだったのだ。



 ところで、ここで、人は次のように言うであろう。



 死ぬ事がもし全く怖くない人間であれば、例えどんな侮辱を受けようとも決して動揺しないはずだと。

 ……だがその点に関しては、先ほども書いたように、Z大学時代の私の恩師でもある北野誉名誉教授も首をひねっていたのだ。



 私は、一種の新型の離人症の一症状を呈している事は間違いが無いらしい。それでいて、一般的な感情の起伏も当然有していたのだ。



 万一、重度の離人症なら、いかなる感情の起伏も惹起しないはずなのだが……と、どうしてもこの私の心理状態への明確な診断が下せなかったのだと聞く。



 さて、そんな精神状態の私が、そしてそれ程高くも無い給料しか貰っていない安月給の教師の私が、敢えて北陸新幹線のプレミア席に乗って帰ろうとしたのも、何の事は無い、プレミア席なら単に乗客が少ないだろうとの単純な思いからであった。



 さて、ここで、言おうか言おまいか?相談しようかしまいか?私は、大きな決断を強いられていた。



 私の席の横に偶然、泌尿器科専門の医学博士が隣り合わせたのある。

 ……これも何かの運命なのだろう。ここは死ぬ前に、一度ぐらい相談に乗ってもらったからと言って、別に損では無いのではないか?



 私は、前後左右の席にお客がいない事を確認した上で、一大決心をして、昨日の話の相談に乗ってもらう事にしたのである。



 極小さい声で私は、昨日の一件を、隣の医学博士に相談してみる事にしたのである。



 そう、昨日は、クリスマス・イヴであり、私は、大学の時に知り合った女子大の学生で、現在は大手の総合商社の大阪支店に勤務している遠距離恋愛中の彼女、西山寿美子と大阪市内の高級ホテルで、一応、結婚を前提とした初めての性交渉に挑んだのだった。



 彼女にしてみれば、きっと人生最高のプレゼントのつもりであったに違いない。



 しかし、焦る私の心とは裏腹に、私は、極度の緊張感からか、愚息が全く言う事を聞いてくれなかったのだ。……人生の大半を、主に勉強のみをしてきた私には、女性体験が全く無かったのだ。



 ホテルのエアコンを最高に効かし、室温30度の部屋で、約30分近くバスタオルを播いて、私を待っていた彼女は、遂にシビレをきらして、

「ペッ!」と唾を私の顔に吐いて、服を着て、そのままホテルの部屋を出て行ったのである。



 私は、人生で最高最大の屈辱感を感じながらも、約3年近い交際が一瞬にして崩壊した事を悟ったのだった。



 私に残された道は、もはや、自殺しかないであろう……、と、そう覚悟を決めた事までを、手短に話をした。

 (死ぬのが怖くないと言う話だけはしなかった。余計に話が拗れそうに思えたからだ)



 しかし、かような簡単な話をしても、その医学博士は大声で笑いながら、それでも気を利かしてくれたのか、私には極小さな声で、



「そんなもん、悲観する値も無い。全然、たわいも無い話じゃわい。

 それじゃ、君にとって実にいいものを見せてあげよう。今日、このままワシの医院に来たまえ。ついでに診察もしてしまおうじゃないか。



 なあに、君のような事例は、若い男性、特に童貞諸君には多々あるんじゃ。決して珍しい事なんかじゃない。

 まあ、一番てっとり早い治療法とすれば、性行為の直前にED治療薬を服用する事なんじゃがのう……。



 ただ、君もニュースで知っていると思うが、2025年末に、今まであれだけ世界中で人気を誇った各種のED治療薬を服用後「突発性劇症型スティーブンス・ジョンソン症候群」(筆者注:それまでは「スティーブンス・ジョンソン症候群」しか医学的には報告されていなかった)に見舞われた例が多数報告されての、それでの死亡者数が、現在確認されているだけで全世界で既に千人以上もいるんじゃ。



 その患者を私も一人だけ診たんじゃが、もう筆舌に尽くしがたい程の劇症での。



 全身の皮膚が焦げたように炎症を起こし、それらが全てボロボロになって剥離するんじゃ。目・鼻・口・耳・肛門等々の穴からは大量の出血、そして急激に死に至る。

 一端、発病すると死に至るまでの時間はほんの1~2時間。かって大問題を世界に引き起こしたあの「エボラ出血熱」より死亡に至るまでの時間が短いんじゃ。

 で、当の患者は、絶え間なく襲ってくる激痛に耐えるのみ。ただ、死を待つのみだけじゃ。



 しかも、この病にかかったが最後、いかなる治療法も未だ発見されていない。

 後に、『ドラッグ・ハプニング』と、世界中の医学者が名付けた程の大事件だったんじゃよ。

 この日本だけでも死亡者は優に百人は超えている。何しろ昨日までそのED治療薬を飲んでいて何の副作用もなかった人間が、急に、突発的に発症するんやからのう。



 もうどうしようもなかろうが……。



 しかも、その原因が未だ解明されておらんもんじゃから、今ほど言ったED治療薬を飲むと言うその方法は、今のところは、君にはお勧めはできんのう。

 まあ、この『ドラッグ・ハプニング』発生の原因の一説には、人類の体質自体が紫外線の増加等により細胞内の特にミトコンドリア等に何らかの変化が起きたのではないか?とか、新種のウィルスとの複合的結果ではないか?とか、色々と推測されておるんじゃがなあ……。



 まあ、君に合うもっと別な治療方法としては心療内科へ通って精神療法等により気長に直すか、更にもう一つの方法としては勇気を出して風俗店をハシゴしてやりまくるこったな。そうすりゃ、相手はプロの女性やし、運良く愛想のいい娘に巡り合えば、そのままズブリと挿入も可能となるじゃろうよ。ワッハハハハ……」



「いやいやいや、いやしくも私は現役の小学校の先生ですよ。それに昨年に制定された

『新教育再生基本法』では、現職の学校の先生が風俗店に通うだけで職を首になります。

 そんな危険な道は選べません。

 先生の言われるとおり心療内科に気長に通うか、その「突発性劇症型スティーブンス・ジョンソン症候群」の発症を覚悟でED治療薬を飲むしかないのでしょうかねえ……」



私が、そう答えると、



「その事も含めてじゃがな、まあ、一番いいのはまずワシの医院へ来るこったな。

 いいもんがあるんじゃ」と、その博士は、ここでも大声で笑ったのである。

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