第14話、肉塊の化け物 下

「吸血鬼だって? 倒したのか? はっきり見たんだろ、どんなだった?」

「おお? んー……逃げられたわ。まあ、どっからどう見ても人じゃないやつだなあ」

「そんなことわかってる。ぼくが聞きたいのは……」


 日が昇って窓から朝日が差し込んでくる。帰ってきたアオが口をすべらせたなり、シガンが質問責めにすした。アオはあいまいに笑いながら、それを受け流す。


「うん。そら、そうなんだけど」


 金色のオオカミとは明らかに違う、たくさんの目と歯を見せた肉塊。アオは言葉をにごした。……人が死んでいる。おどろおどしい怪物ではあったが、アオはそれを「面白い」とは思えなかった。


「どうだった。怖いのか? 不気味か? 恐ろしいものだったか?」

「ああ……怖いよ。怖かった」

「へえ? アオさんでもか。食人鬼とは違うんだろ?」

「正直、はっきり言えるほどわからん。だけど、あれは……」


 そこで言いすぎたとアオは口を閉ざす。肉塊は想像した以上に恐ろしいものだった。意識的にふるいたたせないと体が動かなかった。そうシガンに言ったとすれば、きっと喜んで絵にするのだろう。それはなんだか嫌だなあと思った。


「あれは?」

「あー、やめやめ。この話おわりー」

「……なんだよ。もういい、期待したのが悪かった」


 シガンは不機嫌になってさっさと自分の部屋に入っていってしまう。いや、別に機嫌を損ねたいわけではないのだけど。用意された朝ご飯を食べようとテーブルに着く。小声で「いただきます」を言って箸をつける。


「十分に知らないから怖いのだ。知るというのは不敬だからな」


 先に戻っていたユエンが後ろで言った。そうか、シガンは単なる娯楽として面白がっているわけではないのかもしれない。自分を傷つけたものを知ることで、傷を癒やそうとしているのかもしれなかった。


「そっかあ……」

「どうした、アオ」


 コウの隣に座ったユエンは、アオの表情を見て聞いた。組合から戻ってきたアオはどうも浮かない表情をしている。それは人が死んだということだけではなさそうだ。


「……なあ、ユエンさん。神さんってホントにいるんかな?」

「私に聞くことではなかろう。人間がどう思うかだ。……いてほしいか?」

「いたら、なんでって聞きたいわ。ちょっとイジワルすぎるんじゃないかって」


 アオは無意識にポケットを触っていた。なんでこんな時に、ずっと見ないようにしてきたことが顔を出すのだろう。


「神がいてほしい、あの世があってほしい。それは自分が救われたいからだ」

「そんなこと……!」


 思いの外きつい声になって、ユエンが一度まばたく。アオはしまったと口を押さえた。


「なにをそんなに怒っている」

「いや、怒ってはないけど」

「……アオは救われたいのだな」


 アオは答えられなかった。そのかわり目を細め、薄く笑った。


「俺、神さんに救ってもらえるような人間じゃないしなあ……」


 弟に、昔のことを謝れるのならそうしたかったが、会ったほうがいいのかわからなかった。もし、アオがあんなことをしなかったら今ごろどうなっていただろう。


「……ユエンさんは神さまじゃなかったらどうしたい?」

「神とされなければ私ではない」

「それもそうか」


 アオは笑った。アオもアオであって他のものにはなれない。コウがカボチャを持って、身の置き所がなさそうにしていた。それに気づいたアオが表情をゆるめる。


「大丈夫、コウくんに関係ないからな。人にはいろいろあるってだけだ。だから気にしないでいいよ」


 ユエンが眉間にしわを寄せた。そして何も言わずに影に消えた。ユエンにもあきれられてしまったかとアオは困ったように表情を歪める。

 朝のニュースは冒頭で両国橋の吸血鬼に触れていた。姿形については伏せている。






 肉塊の吸血鬼と遭遇して数日、アオはタバコに火をつけた。吸血鬼避けのタバコであるため吸っても美味くない。けれども、吸わずにはいられなかった。ここしばらく、そんな日が続いている。




 アオ宛の手紙が転送されてきたと、ナヨシが渡したのはそっけのない茶封筒だった。何の気なしに送り人を確認して、そのまま目の動きが止まった。「底瀬チグサ」、もう二十年近く会っていない弟からだった。宛先は「生松アオ」。弟はこの名前を知らないはずだ。


 震える指で封を切る。中には紙が一枚だけ入っていて、そこに荒れた字で数行だけ書かれていた。「やっと居場所をつかんだ。会いたい」とのことだった。


「どうした?」

「ん? いやいや、珍しいなあって思って」

「そうか」

「いや、ほんと、やつから手紙来るなんて……」


 ナヨシはうなずいて業務に戻る。アオはごまかそうと少し喋りすぎたような気がしてあわてて口を閉じる。そして手紙をスーツのポケットにぐしゃぐしゃとねじり込んだ。




「やあ、そこのお兄さん。ちょっとごめんなさいよ」

「あ、ああ、すんません」


 もうじき夕暮れになる。重そうなローブを羽織った女性が折りたたみ机を出そうとしていた。アオはちょっと避けて場所を作る。女性はテキパキと机を組み立てて椅子を置く。それから机にクロスをかけた。サイコロと……カードの束も並べられる。


「占い師ですか」

「そうですよ、浅草の魔女ことツカサです」

「ほー」


 ツカサはにっかり笑って返してきた。


「おや、占いは嫌いですか?」

「いやいや、そんなことは……」

「こちら、吸血鬼より怪しいと評判でしてね」


 アオの白い腕章を見てからかってくる。タバコを携帯灰皿に押し付けて逃げようとしたが、その背に投げられた声が引きずりもどす。


「帰りにくいことがあるんでしょ? お話聞きましょうか、タダで」

「え、いいよ。タダより高いものはないんだ」

「そりゃそうですね。……鬼害の研究してるのに女の医者がいるでしょう?」


 ツカサはけらけらと笑って、ローブのフードを深く被ると椅子に座る。


「医学部時代の同期なんですよ。あたしは医者辞めちゃったけど。医者より占い師を信じる人は多いんです。無防備な時に聞いたウワサのほうを信じてしまうもので。そう言う人に『神さまは医者に行けと言っている』と伝えるのがあたしの仕事です。で、その子と仲が良かったから、少しは応援してやろうと思いまして。吸血鬼騒ぎで商売もしにくいことだし」


 アオも思わずツカサの顔を見てしまう。ツカサが顔の下半分だけでにんまりと笑った。


「興味が出てきましたか?」

「ん、んん……」

「占いは『言葉』なんですよ。言葉を探す行為。ほら、言うでしょ? 『世界には、はじめに言葉があった』って。言葉がなければ自己も他者もみんなひとつのあいまいです」

「言葉ねえ……」

「人間は、もう自分の中ではやりたいことが決まっているんです。でも、あたしが何か言ったところで『なんだこいつ、勝手なこと言って』って思うはず。自分のやりたいことは自分が一番知ってるんですよ。その『言葉』を探すお手伝いです」

「わかるようなわからんよーな」

「じゃあ質問。さっきから、何をそんなに浮かない顔をしていたんですか?」

「それは……」


 聞かれて、アオはポケットの手紙を意識する。もう会うことがなく仕事にも私事にも支障に出ない人なら。ちょっとだけ、口が滑る。占い師に重要情報を話してしまう人の気持ちというのはこういうことか。


「ずっと会ってない家族から手紙が来てな」

「なるほど、家族からですか」


 まだ家族と呼んでいいのだろうか。


「『会いたい』と言ってきたんだが、なあ……」

「ほー、向こうは会いたがってるわけだ」

「どうもそうらしい。でもなあ……」

「あなたは乗り気がしないんですか」

「いや、乗らないと言うか……恨まれてるだろうし」

「恨まれてると思ってるんですね」

「ああ。弟のことも、全部捨てて逃げてきたから、きっと恨んでるさ」


 そこまで言って、流石に言いすぎだと思った。アオはずっと自分ではない何かになりたかった。名前を変え、言葉使いを変え「こうなりたい」と思った人のマネをしてきた。それなのに、これでは元の「自分」が話しているみたいではないか。


「その恨んでるはずの弟が会いたいと言ってきたと」

「うん……。どうしたらいいんだろうな」

「なるほど、ならばカードでも引いてみますか」


 ツカサがカードの束を差し出した。トランプみたいな……タロットというやつか。アオは出されたなかから一枚を選んだ。ツカサに渡すと、ぺろっとめくってアオのほうに見せる。

 ギョッとした。上の大きな人間がラッパを吹いている。それに見下ろされて人が箱から立ち上がっている。箱というよりこれは棺ではないか。


「『最後の審判』やったっけ、これ」


 そう。世界の終りの際、死者が復活し生前の行いを審判され、天国か地獄かを決められるというものだ。……俺は、天国には行けない。


「……そっかあー」


 思わず声が漏れた。そのカードが何を意味しているか、アオはわかってしまった。


「あなたが思っていること、わかりましたか?」

「ああ。なるほどなあ……」


 この吸血鬼事件が終わったら、手紙を返そう。会って、罰を受けなければならない。


「ありがとさん」


 アオはせかせかと立ち上がる。


「最後に一言だけ」

「なんです」

「今、思ったことはあなたの『言葉』です。が、客観的な事実ではありません。占いは自分の思考のクセを確認するものですから。後から『ああ、これのことかー』ってわかることもあります。あまり思い詰めずに」

「……うん。それじゃあ」

「ええ。吸血鬼、見つかるといいですね」







 その日の夕暮れ。葛飾区青戸。

 ユエンは事件の痕跡をひとつずつ確認してきた。両国橋から順にさかのぼるように。コウのやった人形町、新橋の事件と、霊園近くの二件は除いた。行方不明者の最後の目撃地点も探した。そして、ようやく最初の事件まで行き着いたところだ。


「ここだな」


 工事中の穴に死体があったという。ユエンはそこから歩き出す。


「……やはり、おおもとがいるようだ」


 住宅地を川近くまで歩き回ってみる。最初にあの工事現場ということは、そこからあまり離れてはいないだろう。しらみつぶしに歩いてみると、少しの違和感を覚えた。重い土の匂いが漂ってくる。


「ふぅむ……」


 ユエンが足を止めたそこは、小さい祠がある空き地だった。

 小さな祠の横に大きな木の根がある。途中から折れてしまっているが、おそらくナナカマドだろう。今は黄色と黒のロープで囲んであって、「一夜木」の立て札だけが立っている。ある時、一夜で生えたといわれる木らしい。


「なるほど、封印がとけそうだ」


 吸血鬼は青戸に本体があり、そこから地下に腕を伸ばしていた。

 本体を土の中に押さえている封印がある。それが昨年の夏、折れて力が弱まった。そこで腕を伸ばして地面から出て捕食をはじめた。人間に「呼ばれる」とそこまで腕を伸ばすことができた。手が伸びる限界の距離が東京駅や渋谷だ。あれは吸血のためというより、封印から逃れるため暴れていたと理解できそうだ。


 ユエンはひざを折って木の根に手を当てた。吸血鬼本体やその食人鬼では封印を覆すことはできない。ユエンはそのまま意識を地下におろしていく。嫌な感覚が地中にある。たくさんの人間のたくさんの恐怖。それに隠れるようにして別の匂いがあった。それは知った匂いに似ていた。


「おや。これは、竜の小童わらしの……」

「ああ、そのとおりだよ。竜老公の末子さ」


 ユエンは振り返らない。ユエンの影に触れずに近づいたということは人間ではありえない。少し離れた柵に一羽のカラスが止まっていた。日本ではあまり見られない大型のカラスだった。カラスと違うのは青緑色に光る目だ。


「灰色の魔女か。何の用だ?」


 ユエンが嫌そうに声だけかけると、使い魔のカラスがガァラガラと笑った。竜とは吸血鬼の始祖であり、魔女とは竜の九子の長女である。吸血鬼であり、歴史上、魔女と呼ばれたものではないが、彼女はこの通称を気に入っているようだった。


「やっと見つけてくれたね、アタシの妹を」

「……竜も娘には甘いのか。ここまで放っておくとは」


 ほとんどの吸血鬼は昔、竜と袂を分かったものだ。そして竜のことを恐れている。大きな事件を起こせば竜に目をつけられる。吸血鬼たちにとって竜とは始祖であり天敵というわけだ。

 カラスは困ったように翼を開いた。


「それは……あなたがいて助かった。死の女主人よ」

「その呼びかたはやめろ」

「なあ、助けてやってはくれないか? かわいそうな子なんだよ」


 カラスはもう笑っていなかった。翼をすぼめ、じっとユエンを見つめている。ようやく振り返ったユエンは言葉を返す。


「かわいそうだからなんだというんだ」

「……人間ではこれを駆除するのは難しい」


 ユエンは魔女を見返した。その通り、人間が駆除することは簡単ではない。これは人間の恐怖そのものだからだ。吸血鬼という存在自体が人の恐怖から生まれたものであるうえ、この地に染み込んだ人間の恐怖を多く吸ってしまっている。


「だから竜老公は人の力を借りたい」

「む?」


 眉を上げてユエンが聞き返す。人間では対処できないという話ではなかったのか。


「人だけではできない、アタシたちだけでもできない。だから、協力してほしい、頼む」


 竜や魔女はこの吸血鬼を駆除したいとは思っていない。人間側はどうだ? 被害がおさまるだけで納得できるか? 人間だけで駆除できないとなれば妥協するだろうか。ユエンは組合と鬼害対の人間の顔を思い浮かべる。……まあ、話してみるのがいいだろう。


「わかった。話ができそうな人間を紹介すると伝えてくれ」


 ユエンはしっしと手で払った。カラスはすまなさそうにクチバシを下げる。


「アタシもこのままでいいと思っていたわけではないんだ。例のバカ野郎の目が厳しくてね、あまりおおっぴらに動けない。ヘタに竜老公が動けば人の被害だって大きくなるだろうし」


 彼女が例のバカといえば指すのはひとつだ。始祖に反抗した吸血鬼にして、人を襲う吸血鬼たちの祖。始祖だのなんだの血筋にこだわるのがユエンにはわからない。……あれを吸血鬼にしたのは竜の自業自得とはいえ、ずいぶん苦労させられているようだ。

 その時、ユエンは遠くに何かを感じた。


「……コウ?」


 コウがユエンの髪の縛りを切ろうとした。人間を攻撃しようとして誰かにそれを止められた。何があったかはともかく、そろそろぼろが出る頃だ。そのうち縛りで殺すことになるかとは思っていたが、考えていたよりもったではないか。


「どうした」

「ふむ。まあ、大丈夫だろう。後で説明してやらねばな」

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