第6話、駆除 下

 走っていくと、ゲンが激しく吠えたてた。見まわして地名を探す。そこにあった店の住所を電話で伝えた時、土の匂いがただよってきた。どこかで何かの遠吠えがした。太く、低く、地の底から大口を開けて笑うような。大きな寺を横目に狭い路地に入る。


 そこに食人鬼が立っていた。ツノのある化け物。東京駅のより一回り大きい。道路脇の塀が大きく倒壊している。アスファルトがはがれて中の土や配線配管が剥き出しになっている。電柱が傾いて倒れかけている。その向こう側、倒れている人がいた。


 笛を吹いた。するどい音に食人鬼が振り返るのと同時、残っていた塀を蹴って飛び上がりそのまま高さをとって突きこんだ。矛先が到達する寸前、羽虫のように腕で振り払われる。その前に空中で矛を伸ばして腕にからめ、ぐるりと回転するように飛んで逃げた。

 落下したところに真上から追撃が来る。着地と同時に横に跳んだ。打ちおろされた右手がアスファルトをえぐる。


「オラァ!」


 同時に何かが食人鬼の頭上から叩きつけられた。食人鬼が避けたためその背にあたり、メキ、ゴキッと嫌な音が鳴った。戦斧せんぷだ。おのが食人鬼の肩甲骨付近を割り裂いた。食人鬼は塵をこぼす体を起こし、地面にめり込んだ右爪を再度振り上げる。


「うへえ……」


 斧を抱えた女が飛び降りるなり、嫌そうにうめいた。黒のパンツスーツに赤いシャツ、左に白い腕章。組合のトモエだ。

 互いに存在を確認してうなずきあう。アオが足下に入り、腰を低くして突きあげた。体重をかけて大きく振りぬく。ざっくりと太腿が切れ上半身が揺らいだところに、斧が残った足を叩き割った。食人鬼の体がゆっくりと崩れ落ちる。ぶわりと周囲に塵が広がった。


 追撃をかけようと斧が頭を、矛が胸を狙う。ところが食人鬼の再生はそれより早かった。崩れたところから足を生やし、再び立ちあがる。そのまま長い腕を振りまわすのでうかつに近づけない。ウオオオオオンと長く叫んだかと思えば、手当たり次第に殴りつける。


「……やりにくいなあ」


 吸血鬼の駆除において都市部で銃が使われることはない。絶対的に効果が高いとはいえないうえ、市民に流れ弾がいくのを嫌う。一応、鬼害対の拳銃が銀弾になっている他、猟友会所属の組合員が猟銃を持っている。


 ともかく、攻撃を受けないことが最重要だ。もろに食らえば死ぬ。死ぬならまだいいほうで、噛まれたら食人鬼や吸血鬼を増やすことになる。その時は平気だった人が、後に死んだとたん食人鬼になった例があるという。


 食人鬼は行く手にあるものすべてを壊しながら、ゆっくりと歩き出す。塀の残骸を踏み、がれきを蹴って足を進める。手が標識をつかんだかと思うと、ぽきりと折って投げ飛ばした。


「動かすな! ここで止めろ!」


 傾いていた電柱がゆっくりと地面に落ち、それに従って電線が切れたようだ。家々の電灯がぶつりと消えた。月はない。暗くて人間の目では食人鬼を追えない。


「くそ……」


 ところが食人鬼は足を止めた。見えない手につかまれたように、先に進めずにいる。食人鬼はその場で暴れた。落ちている塀のかけらをつかんでめちゃくちゃに投げた。それは飛んでいってむこうの地面に傷をつくり、あるいは民家の壁にあたり窓ガラスにヒビを入れる。

 食人鬼は肩を揺らして不満や怒りのような感情を表した。それは人間に似ていた。


「……なんだぁ?」

「考えるのはあとだ!」


 なぜかはともかく、動けないのであれば攻撃できる。落ちた電線を避けて飛び込み、それぞれの武器を振るう。


 下から突きあげ、その場で足を蹴り位置を調整、一回下がってから低く突きこむ。食人鬼は落ち着きなく二人を見、飛んでくる武器に爪を伸ばす。アオは下から上に石突きを回して背後に腕を払いあげる。トモエも遠心力にまかせて振り下ろし、体をひねるようにもう一度切りこんだ。


 ところが斧は食人鬼の手で受け止められた。ぎしりと木の柄がきしんでたわむ。


「トモエさん!」


 むやみに引けば押し込まれる。アオは狙っていた足ではなく、斧を押さえている腕に矛を向けた。食人鬼のひざを蹴って跳ぶと上腕に突き刺し、ぶん回すようにして切り離した。あたりに塵が舞い、自由になったトモエが食人鬼と距離を取った。空中に投げ出されたアオにもう片腕がせまる。


「……うわっ、ヤバいヤバいヤバい」


 矛を食人鬼の肩に突き立て、反動で上に飛んで逃げる。刃が刺さった部分が塵に変わり、支えを失って落ちるのを食人鬼の体を蹴って地面におりた。食人鬼はアオとトモエを見ている。さて、この状況はなかなか苦しい。


 そのとき笛が短く鳴った。暗くて見えないがむこうの塀の上だ。食人鬼がすばやく反応して振り返った。


 いける。アオが一歩踏みこんで平行に足を突く。その場で回転するように切り払う。同時にトモエの斧が振り上げられ、もう片方の足をへし折った。返す矛で腹を貫く。中程まで切り裂くと食人鬼の体が地面の陰に落ちる。その手を陰についたとたん、動きが止まった。まるで陰に捕まったかのように。


 塀からモモカが降ってきて、太い腕を切り落とした。長巻が地面にあたる寸前に止まる。着地から一歩下がってもう片方の腕を打ち上げる。そのままぐるりとねじ切った。悲鳴のような声があがる。それは人の叫びのようだった。


 すぐさま手足の再生が始まり、その前にと胸に矛を突き立てた。ビクビクと痙攣するような動き。すぐに頭に斧が打ちおろされる。トモエは半ばまで食い込んだ斧の棟を力いっぱい蹴り込んだ。


 その瞬間、食人鬼のすべてが細かい塵に変わって風に散っていく。


「終わったのか?」


 トモエのもらしたそれは、困惑に近かった。それからスマホを取りだしてナヨシに連絡する。モモカも無線を取り出した。






 連絡が終わり、紙のヒトガタを燃やす。昔は木製だった。あるいは土器の人形を割っていたそうだ。人としてあの世に行けるように。組合員の多くが作業着ではなくスーツを着ているのも喪服を着ていた名残であるらしい。どちらも弔いで魔よけだ。


 そのうちにサイレンが鳴った。警官が来て、救急車が来て、あたりは騒がしくなる。すぐにケガ人が運ばれ、近くの住宅に警官が入っていく。このあとは電力会社も来るに違いない。

 食人鬼が動かなくなったのはなぜかとアオが考えているところに、するりとユエンが現れた。音もなく影が忍びよるようで、今でも驚かされる。


「うん、無事だな。一体、倒したか」

「ああ。……ユエンさん、なんかした?」


 まつげの奥から黒い目がじっと見てくる。それから、彼女がひとつもまばたきをしていないことに気づく。呼吸で胸や腹が動くこともない。その違和感に気づかないふりをして話を進める。ゲンも現れて、アオの足に身を擦りつけた。喜ぶように振れた尻尾が当たる。


「ええと、食人鬼が急に動かなくなったんだけど」

「犬を陰に溶かしてとらえた。私の陰で塞ぐと地に潜れなくなるらしい」

「へえ、そんなこともできるのか」


 ゲンが捕まえただけではなく、地面に消えることもできなくなったということか。


「すごいな、それ」

「そうだ。アオたちの信仰があるから、少しは力が使える」

「ふーん……」


 信仰かあと思ったその横で、トモエがモモカに声をかけている。


「モモカちゃん、大丈夫?」

「は、はい。大丈夫です」


 モモカがようやく長巻をおろした。日頃からややぼんやりした娘だが、そう言う意味ではない。張り詰めていた気持ちがようやくゆるんだようだ。うかがうようにアオとユエンに目線を移す。


「どうした」

「……アオさんは他にも倒しているんですよね?」

「食人鬼? うん」

「倒したあと、なんだか嫌だなあってなりますか?」


 アオがそっと眉をあげる。モモカは困ったように、それをごまかすように、もぞもぞと手を動かした。


「人間の形してるし、なんだか……こう、嫌な感じです」

「死体だよ。もう生きちゃいない」


 きつい調子でトモエが言った。トモエはモモカより年上で、しっかりものの姉といった雰囲気だ。明るい色の髪をかきあげて、もどかしそうに吐き捨てる。


「害があるものを倒すのに、いちいち罪悪感もってたらもたないだろ」

「わかってますよ。でも……ちょっと嫌でしょう?」


 分からなくもない。だからこそやらなければならないと言って割り切ろうとする。人間は死体さえ傷つけるのを嫌う。駆除されても、その家族は塵が残ってないかと探し回るのを知っている。それは確かに人間だったものだ。だからヒトガタを燃やすのは駆除した人のためなのだろう。


「そうだなあ。あんまし気持ちのいいもんではないなあ……」

「……わからないな。もっとも我々は死体がどうこうとは思わないわけだが」


 妖精は塵でしか残らないし、塵でさえ気にしないのだろう。もっとも、多くの生物は死んだ後のことなど知らない。その体は他のものに食べられたり分解されたりして世界に戻っていくだけだ。


「ところで、サエさんは元気ですか?」


 居心地が悪くなったのか、モモカが話を変える。平坂サエはシガンの前に吸血鬼に襲われてケガをした人だ。


「だいぶまいってる。吸血鬼保護派からも排斥派からも責められてな」

「保護派が吸血鬼に肩入れするのはわかるけど……排斥派?」


 世の中には吸血鬼保護を叫ぶ人々がいる。吸血鬼は知性のある生き物で、かわいそうだから殺すな、保護しろと主張する人間だ。彼らはサエに対して、彼女がそこにいたのが悪いのであって吸血鬼は食うためだから悪くないと言う。その一方で、吸血鬼は悪鬼であり絶滅させろという排斥派も声を大きくしている。


「つまり『吸血鬼なんてクソだから殺しちまえ!』って言えということさ。大声でね。言わないなら『おまえも悪だ』と」

「……そう」

「サエさん、まだ少しの物音にも怖がる。……どっちも勝手だ。おまけに勧誘まで来やがった」


 トモエは頭をかいてため息をついた。


「ひとつは吸血鬼よけの護符とかを売りつけるヤツ。もうひとつが……」

「もうひとつ?」

「『吸血鬼に食われれば救われるのに』と、こうきた」

「ああ……。最近増えてるみたいね、そういう宗教」


 モモカもパンフレットを配っているのを見たことがある。吸血鬼にまつわる主張というのは様々で、この他に「吸血鬼事件は政府の陰謀であり、都合の悪い人を始末したのを隠している」というものや「吸血鬼とは薬害によって生まれた生物だ」「人体実験の結果だ」というものがある。


「文句があるなら、おまえがかわりに殺されてやってくれっていうんだ」

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