第4話、子供 下

「じゃ、朝メシはホットケーキでいい?」


 自分もTシャツになったアオがホットケーキミックスを手に聞く。シガンはコウを見て答えた。


「いいよ。イスがいるか、あったかな」

「うん、頼む。ユエンさんは?」

「食べなくてもかまわない」

「じゃあ焼くわ」


 アオはさっさと生地を作ってホットケーキを焼きはじめた。そのうちぷつぷつと穴ができて、ぷくーっと膨れて、すとんとひっくり返せばまんまるのホットケーキができる。色はきれいな薄茶色。あまった生地で作ったカリカリしたものをコウの皿におまけしてやる。その間にシガンは部屋からイスを持ってきて、フォークをテーブルに用意した。


「これはコウくん。こっちはユエンさん。神さまってことはお供え物になるんかな」

「そうか、供物か。食事をともにするとは血肉を分けあうことだ」


 なくてもいいと言ったくせに、ユエンは嬉しそうにホットケーキを受け取った。コウは甘い香りに鼻を動かしお腹を押さえる。


「コウくん、座って座って」

「どうした? 食べないのか?」


 ところがコウは動かない。テーブルの前に立ったままじっと皿を見て固まっている。お腹がいっぱいではなさそうだが、そわそわとしながらも動かずにいた。見えない何かに縛られているように。


「ほら、いただきますして食べよう?」


 その言葉で、はっと目が覚めたようにコウが動いた。フォークを上から握るとホットケーキに食らいついた。よほど腹が減っていたのか、がつがつと食らいつく。そして口いっぱいに詰め込んだところでむせた。「あー、もう!」。シガンが皿を取り上げ、アオがドンドンと背を叩く。マグカップのブドウジュースを少し含ませ、一度しっかりと飲み込ませる。


 ごくんとのどが動いて「けほ」と息をしたのを確認し、少しずつ口をつけさせた。シガンが呆れたように「子供か」とつぶやく。「子供だよ」とアオが濡れたタオルを持ってきて、コウの顔と手を拭いてやる。


「ゆっくり食べな、よく噛んで」


 それからようやくテーブルの前に座ったコウだったが、どうもフォークの持ち方がへたくそでがつがつと食べるクセがある。むせることはなくなったが、手も顔もべたべたにしてしまう。拭いても拭いてもべたべたなもので、あきらめて食後に全部拭くことにした。


「おお、うまいか? もっと食べる?」

「食いすぎると腹こわすぞ。おやつの時間まで待ってくれ」

「それもそうだなあ……」

「うん。人間のつくったものはいい」


 ひと騒動を尻目に、ユエンはホットケーキをたいらげていた。






「そういや、ユエンさん、なんでここ知ってたの?」


 食後、コウの口と手を拭きながらアオが聞いた。シガンは台所に皿を片づけていて、ときどきテレビのニュースに目をやっている。ここひと月、吸血鬼のニュースが途切れることはない。ユエンが「ふむ」とあごをさすれば、アオの影からぬるりと黒い犬がはい出てきた。影と同じくらい黒いそれはオオカミに似ていた。


「アオの影に、私の分身をつけていた」


 いつのまに入っていたのだろうか。こんなものを影につけていたのなら、呼べば行くというのはあながち冗談でもなかったのかもしれない。自分の影の中に異物があったわけだが、嫌な感じはしなかった。


「分身ってえと、眷属みたいなもんか?」


 眷属とは吸血鬼の霊気を与えられた下僕だ。土などの他、人間の変異した死体である食人鬼もこれである。吸血鬼とつながっており、まるで同じものように働く。一方、使い魔というのは霊気を分けあった生き物で変異はしておらず、吸血鬼からは独立している。


「いや、分身は私自身を切り離したものだ。食人鬼の匂いを教えたから役に立つ」

「ああ……わかった。しっかし、妖精というのも不思議なもんだなあ」


 アオは黒い犬をわしゃわしゃと撫でながらつぶやいた。影のように黒くて現実感がないが、まるで本物の犬だ。犬が突きでた鼻をぬっと近づけると、コウがぎょっとして逃げる。犬はむしろ気になったように、なめてやろうと舌を出した。コウは避けようとしたが、ベロベロとされてしまい顔をゆがめた。


「……風呂に入らずとも、妖精は人間のような病気にはならない。おまえたちとは違う」

「へえ、くしゃみとかしないの?」

「そうだ」

「ほおー。じゃあ、パパッとコショウ振ったら誰が吸血鬼かってわかる?」


 ユエンは思わず笑った。その考えはなかった。


「おそらくむだに終わるだろうな。コショウでくしゃみをするものというイメージがあるから、人型の妖精もくしゃみができる。生理的にはしないというだけだ」

「ふーん……よくわからん」


 アオはよしよしと犬をあやしながら、後ろで縮こまっているコウを手で呼んだ。コウは表情がないが嫌がっていることはわかる。自分から近づこうとしない。犬がおまえも撫でろと寄っていくのをアオが止めて押さえた。「コウくん、大丈夫だよ。よしよししてあげな」。


 その時、テレビから死体発見の速報が流れた。






 テレビは入ったばかりのニュースとして、浅草で死体が見つかったと報じていた。現場と被害者の状況を聞きながらアオは眉間にしわを寄せる。大きく引き裂かれたような傷と聞いて、鬼害の可能性を思い浮かべたのは当然だろう。


「こないだのやつか? 食人鬼のほうか?」

「ふむ……どうだろうな?」


 ユエンのつぶやきに、アオは今考えてもわからんとスマホをとった。組合に連絡するため、立ちあがって部屋に戻る。ニュースは殺人と吸血鬼害の両面で捜査を始めたと続ける。そして「吸血鬼を見た時は、あるいは笛が鳴った時は外に出ないように」と結んでいた。

 そして新宿での暴動のニュースに移る。どうも秋ごろから治安が悪化している印象がある。吸血鬼と関係があるかはともかく。


 皿洗いを終えたシガンがふきんでテーブルを拭きながらつぶやいた。


「なんで吸血鬼は人間を殺すんだ?」


 それはひとりごとにも聞こえたが、横からユエンが答える。


「必要な糖、タンパク質、脂を取るためなら、牛乳でも卵白でも動物の血でも何とでもなる。殺す必要だってない」


 ユエンは後ずさりするコウの手をとって、そっと犬に触れさせる。ゆっくりと撫でるように動かしてやれば、犬はすんすんとコウの匂いをかいで黙って撫でられている。尻尾が子供をあやすようにぱたぱたと揺れていた。


「それでも残虐に殺すのは、殺して吸血することが存在理由からだ」

「存在理由?」

「そう。妖精は人間がそれを『そういうもの』とみなすから存在できる。人間が『吸血鬼は人を襲って殺すもの』と思っているからそうするだけだ。あとは……殺したほうがその人間の精気を取り込みやすいとかか。殺さないと精気は元の生き物に戻るからな」


 シガンは少し失望したかのように眉を寄せた。犬が頭をぐりぐりとコウの胸に擦りつける。コウはおびえながらもされるがままになっていた。


「もっとも、大きな騒ぎになれば吸血鬼にとっても不利益だ。だから多くはこんな事件にならないのだが……」

「……じゃあ、神さまは何だってんだ」

「神の存在理由は信仰だ。神も神としての存在感が欲しい」


 そこにスマホを切ったアオが戻ってきた。どうやら緊急で出る必要はないらしい。軽くあくびをひとつ、シガンに伝える。


「俺、ちょっと寝るわ。起きたらコウくんの服買いに行くから」

「わかった」

「ユエンさんとコウくんの布団も必要だなあ。……シガンさん、そっちの部屋で寝れてる?」


 ちらりと見えたシガンの部屋は画材が散らばっており、いったいどこで寝ているのかとアオは不思議に思っていた。ベッドはないようだが、布団を敷くスペースも取れないはずだ。シガンがムッとして、たいしたことはないように返す。


「座ってても寝れる」

「……俺いないとき、こっちで寝ない? もの無いし」

「わかった、片づけるよ! 子供もいるから危険だしな」


 シガンはアオが言い終わる前に慌てて叫んだ。


「いや、そうじゃないけど……まあ、いいか」






 アオが部屋で眠ってしまったあと、シガンは洗濯機を回し、キッチンにまで広がっているものを片づけていた。とにかくダンボールに放り込んで自分の部屋に入れているようにも見える。


 そんなこんなでもうすぐ三時間になるか。


 ユエンと犬はすっかりくつろいでいた。テレビでは子供用のアニメーションをやっている。ガイコツがバラバラになってしまった。起きあがれないのをオオカミ男が助けにいく。ところがオオカミ男が間違って組み立て、とんでもない形になってしまう。笑う場面だ。

 しかしコウはテレビではなく、ユエンの背中をにらんでいた。その口からちらちらととがった犬歯がのぞく。


「コウ、むだに牙を見せるな」


 振り返ったユエンがからかうように言った。言われたコウはうつむいて、がじがじと自分の爪を噛みはじめる。「コウ」と呼んでも、不満そうに目をそらした。ユエンは何も言わずに動き回るシガンに目を戻した。そこにお気楽な声がかかる。


「おー、どうしたコウくん。顔が怖いぞ」


 仮眠をとり、起きてきたアオだ。にこにことしてキッチンにくるとコウの頬に触れてぐにぐにと撫でる。固くこわばった頬がもみくちゃにほどかれる。コウはどう表現したらいいかわからない顔で、きゅっと目をつぶった。


「じゃ、服買いに行くわ。もうちょい待っててなー」


 そう言ってひょいとアメの小袋を渡す。薄い金色をしたアメだ。


「ほい。アメちゃん、あげる」


 アメの袋を手にコウはきょとんとアオを見た。アオは少し考えて、袋からアメを出してコウに渡した。アオが食べる仕草をすると、こわごわとアメを口に含む。コウの表情は変わらない。ただ口をもごもごとさせてなめている。その手は残ったアメをきゅっと握っていた。

 そんなコウの後ろから、ユエンがちらちらと見ている。


「ユエンさんも欲しいの?」

「ああ」

「ほいほい」


 ユエンは口に入れるなり噛み砕いて満足げだ。まあ、うまかったならいいか。


「じゃあ、行ってくるよ。待っててな」

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