第2話、現状確認 上

 吸血鬼研究室は警察総合庁舎にあった。隅に追いやられた部屋で、天児モモカは緊張して少女を眺めていた。黒い大きな目が机上の地図をじっと見つめている。青戸、七月十四日早朝遺体発見とあるのが最初の吸血鬼事件だ。


 少女は自身を神だといい、妖精だといい、そしてユエンと名乗った。「まあ、人でないとは思ったけど」とはアオの感想である。彼の影で食人鬼を貫いた、ただの人間のはずがない。それは話を聞いたモモカも同じ考えだった。


 結局、彼女の言うとおり穴はさらに下にも開いていて、地面にくぼみができていた。そして食人鬼のゆくえは今も不明である。


「お待たせしました。私は布留部。ここの医師で、研究者です」


 乾いた声がして、モモカははっと顔を上げた。後ろから来たのは布留部ふるべアゲハ、この研究室の室長の女性だ。観察するような目は純粋な好奇心で害意はない。ユエンのほうも気にしている様子はなかった。


 鬼害対は近年できたばかりの組織な上、ここ東京は吸血鬼害が少ないこともあって人がいない。隊といってもモモカと隊長の二人のみだ。それがここ数ヶ月は走り回っているのだからわからない。隊長である六道も出払っていた。東京駅での一件を知らせたからすぐ戻るだろう。なお、都防除組合の長であるナヨシはアオを連れてオフィスに戻っている。


「神とお会いするのは初めてです。てっきり死んだあとかと思っていました」


 アゲハの冗談にモモカはぎこちなく笑った。モモカはまだ若く、吸血鬼どころかまだ食人鬼とも相対したことがない。当然、妖精と顔を合わせるのも初めてだ。その上、神だなんて。おそるおそる目をやると、その神は愉快そうに笑う。


「ははは、私のことはユエンでいい。神と呼ばれていただけで神そのものではないよ」

「わかっています。妖精ですね」

「妖精って、自然霊が形と意識を持ったもの、でしたっけ」

「そう、『吸血鬼』も妖精の一種さ。吸血する人型妖精のうちのひとつだ」


 アゲハがうなずいた。精気の塊が自然霊、それが核と物質としての膜を持ち形を成したものが妖精だ。歴史的には妖怪ともいう。


「吸血するものが吸血鬼ではないんですか?」


 ふむ、とユエンはどう答えたらわかりやすいか考える。吸血する妖精だからといって吸血鬼というわけではない。


「人間のいう『吸血鬼』とはどういうものだ?」

「人の血を吸うもの、でしょう?」

「蚊やダニ、ヒルが吸血鬼だと? かまいたちは? 吸血蟲は?」


 かまいたちは人の皮膚を切り血をなめる妖精だ。切ったところを治すため人に気づかれない場合が多い。吸血蟲は事故や事件現場の血によく集まっている虫のようなものだ。どちらも吸血するが吸血種として吸血鬼とは区別される。


「うーん……人のような姿をして人じゃないもの。力が強くて、魔眼をもってたりして、消えたり姿を変えたりする。血を吸うために、するどい牙やとがった舌を持っている。人の血を吸うとき血が固まらないよう毒を入れるから、噛まれた人はたまに食人鬼や吸血鬼になっちゃったりするんですよね」


 そのとおりだというようにユエンが人差し指を立てた。


「その『吸血鬼』はすべて十五世紀に生まれた突然変異の子孫だよ。妖精の中でも比較的新しいものだ」

「へえ……始祖がいるんですか」

「まあ、厳密にいえば鬼害を起こすようなのはその分家のやつらだが。……妖精は古くから人のすぐ隣で暮らしてきた。もともと世界各地にいた妖精は、イタズラをして人間をからかったり、時に襲ったり、逆に奪われたりしてきた。自然霊はどこにでもいるが、妖精は人間の情報に依存する。もちろん吸血鬼も。そして私は神と同一視されたというわけだ」


 モモカがアゲハに目くばせをした。神とされていた妖精がどうしてここにいるのか。アゲハは表情を変えず、世間話のように切り出すことにする。


「では、なぜユエンさんは東京駅にいたんですか?」

「吸血鬼の被害が増えていると、ずいぶん話題になっていたから」


 ユエンは机上の地図に目を落とした。吸血鬼や食人鬼とは人間にとって害獣のようなものである。やつらは人間を選んで襲う。最初の死体発見は七月。そこからひと月に一件のペースで西南西におりてきたが、十一月……今月に入り急に増加した。もともと鬼害が少ない東京の人手では対処できないとアオが呼ばれたのだ。


「そうですね……食人鬼になるなど食われた数を正確に数えることは難しいのですが、増えています。東京に限らず、吸血鬼による人的被害は人間による殺人より少ないはずです」

「そうだろう。このような大都市で争いが起こると吸血鬼側としても不利益だ。つまり、これらの事件はそういうのを理解していないか、理解していても気にしていない個体だ」


 ユエンはため息をひとつついた。長いまつげがうれわしげに震える。


「シキが東京の大学を受けるんだと。こんな危険なところに行かせられん。だから、人間に協力しようと思う」


 その黒い目が揺れたように見えた。金と赤の混じった色が滲む。シキというのが誰かはわからずとも、だいじな誰かを心配してのことらしい。それならモモカたちにも理解できた。人間は自分が理解できるものには安心する。自分が「わかる」と思ったものには心の障壁を和らげる。その隙間に彼女の目が入りこんだ。


「こちらからもお願いします」


 アゲハが手を差し出すと柔らかな手がしっかりと応えた。人の温度のないなめらかな手だった。






 一方、都吸血鬼防除組合のオフィス。組合長のナヨシがアオの短刀を確認していた。この短刀は組合からの貸出品で刀身は鋼か銀を選ぶことができる。銀は武器に適さないが吸血鬼を寄せつけないという迷信がある。ともかく、この短刀は最後の武器であり、俗に噛まれた時の自害用と言われるものである。


「鋼か」

「銀だとすぐ黒くしてしまって」

「手入れはすることだ」

「う、はい」


 そしてナヨシは矛に目を移した。丸みをおびた大きく広い矛先、研がれた鋼が鈍く光り、に鋸歯の模様が入っている。赤い柄が差し込まれ、石突きにも金属がはめられていた。あちこちの小さな傷に長く使われていることがわかる。


「登録した。きりきり働いてもらおう」

「うへぇ、了解です」


 防除組合は各地域の自警団からできた組織だ。警察は武器を規制し自分たちで吸血鬼害防除にあたろうとしたが、対応できずしかたなく組合に認可を出した。組合と鬼害対が並立しているのはこのためだ。

 とはいえ組合の出動には都環境課の依頼と警察の許可が必要で、武器の携帯にも登録の必要がある。その上、防害・駆除に出る金はわずかでほとんどは本業が別にある。アオの場合、学校の警備補助だ。


 そのとき、ガタガタとドアがきしんだかと思うと一気に開いた。どうもこのオフィスは建て付けが悪い。現れたのは日に焼けた肌の若い男だった。もじゃもじゃ頭をかいて、眉を困惑ぎみに下げる。この時期、大げさとも思える厚いコートを着てぼやいた。


「うー……さぶいなあ。戻りました。呼ばれたんですが、ただの泥棒でしたよ」

「ただのってことはないが、そうか」

「ああ。あなた、今日来るって言ってた……」


 戻ってきたなり持っていた柳葉刀りゅうようとうを放り出した男は、アオに気づいて親しげに声をかけてきた。ナヨシが眉をひそめる。


「はいはい、生松アオですよ」

「やあ、よかった。ボクはチョウリョウアンです。いやはや、人が足りてなくてね。ついさっき食人鬼と戦ったんですって? どうだったですかね」


 すっと右手を差し伸べられ握手をかわす。背が高いのでアオが見あげる格好だ。


「リョウアン、その泥棒はどうした?」

「当然、警察に引き渡しましたよ。あいつ包丁持ってやがって振り回すもんで。誰だ、人間に武器使うなって言ったの。素手でねじ伏せました。……とっさに吸血鬼と思い込むなんて、だいぶ疑心暗鬼になってるようですね」

「そうかもな。毎日毎日、吸血鬼のニュースばかりだ」


 吸血鬼による被害とはいうが、ほとんどは食人鬼によるものだ。東京では食人鬼による被害もまれであり、組合がする吸血鬼対応といえば事故や事件現場に銀貨を置いて鐘を鳴らすくらいのものだった。簡易な吸血鬼・吸血種よけである。事故や事件の血によってくるのを防ぐもので、他には病院や葬儀場、火葬場で似たようなことをする。


 全国を見ても一年に十から二十体の食人鬼が駆除される程度だ。食人鬼、吸血鬼による人間の死亡は推計で百から百五十人ほど。人間による殺人より被害が少ないはずだ。いわゆる「吸血鬼」の数は全世界でも二千体に満たないと推計されている。日本だと五から十体くらいだろうか。


「状況から見て、食人鬼は地下に潜伏しているようでしてね」

「へえ、地下……ですかあ」


 食人鬼が地下に逃げるなんて聞いたことがないとリョウアンは首をかしげた。アオにしても初めてのことだったが、この目で見てしまったものはしかたがない。眷属けんぞくとして主人の吸血鬼の能力を使うものもいるというので、そういうことなのだろう。吸血鬼は魔眼や不思議な力を持つものがいるという。


「どおりで下手人が見つからないと思いましたよ。死体ばかりだ」


 最近では十一月に入って浅草橋、人形町、新橋と来て青山霊園。そして本日の東京駅。地図に落とされたマークは、川沿いに南下して西へと進む。新橋と青山霊園に黄色のマークがあった。これらはケガですんだものだ。黄色のマークは他になく、残りは死体発見の赤いマークと不確実な情報を示す紫のマークだ。


「最初は食人鬼がやったものとみていたが、先日、吸血鬼らしいものが目撃された。今回の食人鬼はその眷属の可能性がある」

「吸血鬼がいて、食人鬼を一体は飼ってると」

「ああ。まず、ここの傷害で目撃者がいる。そしてこっちはリョウアンが遭遇してそれを見ている。証言から同一個体と考えていいだろう」


 ナヨシはまず新橋付近のマークをさし、それから青山霊園近くのトンネルに置かれたマークを指した。どちらも傷害ですんだものだ。アオはリョウアンに視線を送る。


「ほお、相手を見たんですか」

「被害者が襲われているところを運良く発見したんですよ。逃げていくのが見えただけだけど。金色をした獣だった。オオカミに似てるけど、手足が長くて犬ではなかったと思う。大型犬よりちょっと大きいくらいかな」


 金の獣か。吸血鬼は人型の他にオオカミやコウモリに姿を変えると聞く。めったに人の前に姿を見せないので噂や伝承と混同されている可能性もあるが、おおかたそのような能力があると理解されている。だからオオカミのようなということはそう不思議ではない。


「……逃げた?」

「ああ、笛を吹いたら逃げました。ずいぶんと慎重なやりかたです」


 その吸血鬼は警戒笛を聞いただけで逃げだした。見つからないよう人間を襲っていたものが、発見され逃げることになったと考えるべきか。食人鬼の「食事」に運悪く出くわした人が襲われて死亡したり大ケガをした例と比べると、ずいぶん慎重といえる。


「吸血鬼によってケガをした者が二人。再び襲われることは避けたい。よって護衛をたてたわけだが……」


 今までの事件例を見て、吸血鬼や食人鬼は狙った獲物に固執する。獲物を取られまいとし、たとえ逃げても血の匂いを追って探しだし襲う。ナヨシがじろりとリョウアンを見ると、彼は決まり悪そうに肩をすくめた。


「まー、ボクも悪かったんだけどね……」

「ひとりはうちの鳴神なるかみというのをつけた。もうひとりには顔を知ってるからと、こいつをつけたんだがな」


 眉間のしわをより深くして、ナヨシは未だに思い出すと腹がたつといった顔で言う。


「相手とひっどいケンカしやがった。来たばかりで悪いが、アオ、かわりに行ってもらえるか」

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