グリース先生のように

柴田 恭太朗

あふれでる思いの行き場がない

 土曜朝の地下鉄車内。

 私が座るブルーのシートは左隣が空いている。

(座れよ)

 私は言葉でなく目でうながした。


 目の前のつり革に、私の存在を無視するかのように、ふてくされた姿勢でぶら下がっていたあんずは、しぶしぶといった様子で、こちらへの無視はかたくなに維持したまま隣の座席に腰を下ろす。


 制服姿の杏は紺のプリーツスカートの上に、高校の革鞄と校章が型押しされたスポーツバッグをわざとらしく乱暴に置いた。勢いでバスンと風が巻き起こる。杏はすみませんと小さく言って軽く頭をさげた。こちらに向かってではない、私の反対側に座った老婦人に対してだ。


――徹底的に父の存在から目をそらすつもりか。


 土曜日も杏は部活がある。休日出勤する私の通勤時間と重なれば同じ車両に乗ることもあるだろう。杏はあえて私の顔を見ないようにして、カバンからスマホと白いイヤホンを取り出し耳に装着する。徹底的に会話拒否の姿勢。


 私は頭の中で白いカードの束を、ゆっくり丁寧にシャッフルしはじめる。


 最初にひいたのは疑問のカードだ。

 たまたま電車の中で隣り合わせた父と娘が会話を交わすのは、そんなにおかしなことなのだろうか?


 拒絶の理由は何だ。照れか? 羞恥心か?


 ひょっとすると同級生に見られて、からかわれることを心配しているとか? 小学生じゃあるまいし。

 あるいは父親がみっともない? それはないと信じたい。中学へ授業参観に行った時のことだ、休み時間に杏の友人らが「杏のお父さんってばイケメン」といってはキャッキャと騒いでいたことを知っているからだ。


 車窓の外では、のっぺりした白壁が単調に流れている。

 杏は耳にワイヤレスイヤホンをつっ込み、スマホのつややかな画面に指をすべらせる作業で心を閉ざす。

 私は蛍光灯に浮かんでは消える窓外そうがいの壁を見つめながら考えた。


 どうしてこうなった?

 いつからこうなった?


 私は答えを求め、自家薬籠中じかやくろうちゅうの記憶カードを一枚めくってみる。


 親の記憶とは便利なものだ。子どもが成長してゆくシーンが一枚一枚カードのように記録されていて、いつでも好きな時に取り出して並べることができる。


 たとえばこんなカードがある。

 幼稚園にかよっていた頃の杏と私は、よく二人きりでお出かけした。晴れた土曜日には水筒やらお菓子やらをたっぷりリュックに詰め込みながら、たまにはゆっくりしなよといって妻を自宅に残し、家庭サービスに努める良き夫を気取ったものだ。


 杏はおぼえているだろうか、幼い頃の自分が自転車のチャイルドシートに乗せられ公園へ行ったことを。自転車から降りた私たちは、季節の花で飾られた散歩道をそぞろ歩いた。


 手をつなごうと誘えば、杏はまぶしそうに眼を細めて私の顔を見上げ「うん」とうなずき、小さな手で私の手を握りしめてくる。このまっさらな純真さが愛おしい。懐かしく思い出すのは幼いときの杏が汗かきだったこと。ギュッと握ってきた彼女のしっとり汗ばむ手のひらの感触を今でもはっきりと覚えている。


 杏は嬉しかったのだろう、つないだ手に体重をあずけてピョンピョンと跳ねた。彼女は全身を使って信頼を表現している。頼られるほど守りたくなる、それが親と子の自然な心の働きというもの。私は杏にこう誓った「お父さんはいつでも杏の味方だよ」と。つまり父は君を全力で守るという宣誓だ。


 こんなカードもある。

 杏が三歳のときだ。その問いを口にするまでの経緯は忘れてしまったが、彼女はこう訊いてきた。


――どうしてアンズの名前はアンズなの?


 思えば言葉の早い子で、二歳にして過去形と現在形を正確に使い分けていたし、書き文字に表すと、まるで大人がしゃべっているように思える子だった。

 答えに窮し黙っていると、杏がかさねて言った。


――ピーチでもミカンでも良かったでしょ。


 そうだな。ピーチはかなり変だけど、アンズもその半分ぐらいは変かな。どうして私はあんずなんて名前をつけたのだろう。


「杏はどんな名前が良かった?」

「うーんとねぇ」幼い杏は右手の人差し指を伸ばし自分のふっくらした頬に当て、視線を上に向けた。まるで考えごとのときは、そうするものだといいたげに。しばらくして答える。「やっぱりアンズ。アンズはアンズでいい」


 そうして本人の了承は得たけれど、結局この杏という名前がいけなかったと後悔している。娘が思春期となった今、他人に対する態度がっぱすぎるのだ。特にこの父に対する態度が辛辣だ。地下鉄のシートに並んで揺られながら、父と娘の間には一切会話がない。当然、心の交流もない。


 表情にこそ出さないが、父は寂しい気持ちを幾重いくえにも折りたたんで胃の腑の奥にため込んでいる。


 かつて観た映画に、グリース先生という外科医がいた。物語の中で彼は末期ガンを患うのだが、その死の前に娘に自分が持っているすべての知識を与えようと努力する。しかし反抗期の娘は父からの助言を素直には受け入れようとしない。


 どこか似ていないか? 我が家の事情に。


 私は、グリース先生のように娘へ生きるノウハウを伝えたいのだ。すぐにわかってくれなくてもいい、そういえばこんなことを父は言っていたと何かの折に思い返してもらえれば、それでいい。欲をいえば、砂に水が染み込むように知識を吸収してくれるのが理想、だが多くは求めない。わが人生で得たミーム文化的自己複製子一片ひとかけでも伝えられたなら、私は生きてきた価値があると満足する。それが父の望みだ。


 なのに、杏は私の言葉に耳を貸そうとはしない。偶然にも地下鉄の狭い車内で隣り合わせているというのに、イヤホンで物理的に両耳をふさぎ、視線を合わせないことで心理的にブロックする。


 父と娘は他人だから?

 DNAの99.9%以上は同じなのに?


 遺伝子でいうなら杏の左隣に座る赤の他人の老婆ですら99.9%以上、私と同じ遺伝子を持っている計算になるが。


 99.9%のはかない繋がりだとしても、この父は全力で娘を守る。

 きっと守る。

 幼い杏に誓ったように。


 ◇


 私は窓外の白壁に向けていた視線を車両内に戻した。肌で車内の空気が変わったことを感じたからだ。

 底冷えのする緊張感が乗客の間を走った。私はチリチリとした刺激性の空気の元凶を求めて眼球をすばやく左右に走査スキャンする。


 いた。

 車両の連結部に両足を踏ん張った殺人鬼が立っていた。


 顔をピエロのように白く塗りたくった暴漢がハンティングナイフを片手に、獲物を吟味するかのごとく興奮に吊り上がった目で乗客たちをにらみ回している。


 殺人鬼の存在に気づいた女性が両手を顔にあて、長々と悲鳴を上げた。

 シートから立ち上がる者、我さきに逃げ出す者、たちまち車内は騒然となる。

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