楽園の姿を知らない

人生依存

プロローグ




 大学を辞めた。




 理由は何か違うなと思ったから。




 正確には、大学生としての生活に自分が厭に浮いているように感じられたから。


 まるで無数の歯車が噛み合う中で自分だけが噛み合う事ができないでいるみたいな、ある種の疎外感に苛まれたから。


 あと、ちょっと他の女の子と違う感性を持っているからって、直ぐにセックスできる相手だと思われてつまらない男の人たちに変に付き纏わられた。


 だから、それを表の口実にして、心根では疎外感というか違和感というか、そんな感覚に蝕まれたことを理由に据えて、私は入学から半年で大学を辞めた。




 皆は私と違って、ピアスの穴なんて両耳に一つずつ空いているのが精々だったし、髪色も茶髪や金髪にするのが精々だった。


 服装も流行に合わせていてメイクも丁寧で、ネイルだって口紅だって地の色に近い自然で且つ鮮やかなもの。


 両耳にそれぞれ五つ穴を開けていて、舌にも穴を開けている私とは大違い。




 大学を辞めた事に後悔は無かったし、その判断に至るまでの葛藤なども無かった。


 だから、退学届を提出した時は見えない鎖から解放されたような気がして、清々しかった。


 清々しかったけれど、胸の内側にはぽっかりと大きな穴が空いてしまった。


 その穴が何なのか、私にはわからない。


 ただ、大切な何かを失ったであろう事はわかった。




 大学に籍を置いていた時は疎外感を感じていたのに、辞めた途端に入れ替わるみたいに喪失感が湧き出てきて、そのどちらもが私から生きた心地というものを奪い取っているようで、人生というものは実に面倒なものだと認識させられた。


 辞めても辞めなくても苦しくて、気持ち悪くて、とにかく私は眼前の問題を片付けようと、胸の内に湧き出たある種の喪失感を解消する為に、胸にぽっかりと空いた大きな穴を埋める為に、色々な場所を練り歩いた。


 生きた心地のしない私の心に生きているのだと実感するに足る事象を与えるため、私は答えの分からない何かを探し求めてただ歩いた。




 まぁ、歩いただなんて淡々とした言い方をしているけれど、もっと直接的な言い方をすれば私は散歩をしたのだ。


 心の穴を埋める為、生きた心地を拾う為、私は行く当てもなく散歩をした。


 


 自分の暮らす見慣れた町並み然り、隣町然り、日常とは関係の無い遠く離れた旅行地然り。


 とにかく、私は様々な場所でその情景の一つ一つに慎重に目をやりながら、心の穴を埋める何かを探し続けた。






 これは、そんな私が仕様もない事象に救われて仕舞うまでの、些細な事で生きた心地を得て仕舞うまでの細やかな日記……の様なもの。




 叙事詩と呼ぶには遠く及ばず、旅行記と呼ぶにも質素が過ぎる。




 後になって振り返ってみれば実に馬鹿らしい事で悩んでいた様だと気づかされ、実にくだらない事で救われていたのだとため息が溢れる。




 そんな私の人生だけれど、それでもあの日々は私にとって確かに必要だったものだ。






 楽園の姿を知らない私にとっては、確かに。


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