第3話 全力ダイエット

「コルベット、本当にいらないの?」

「うん。水だけでいいから」


 心配そうな表情を浮かべた母さんから目を背け、扉を閉める。

 その瞬間、俺の腹は情けない声を上げた。


「……腹、減った」


 正直、めちゃくちゃ腹が減っている。今ならどんな不味い料理でも美味しく感じるだろう。

 しかも広間に行けば、美味しい夕食が食べられるのだ。


「いや、でも、俺は痩せる。実際、ちょっとは痩せたしな」


 わざと明るい声で呟いて、姿見の前に立つ。まだだいぶぽっちゃりはしているが、転生した直後に比べるとかなりすっきりした気がする。


「俺、頑張るから」


 壁に飾った肖像画へ話しかける。もちろん返事なんて聞こえないけれど、可愛らしい笑い声が聞こえた気がした。


 肖像画に描かれた少女の名前は、ベル・フォン・ルグラン。

 ルグラン子爵家の次女にして、俺の婚約者だ。

 といっても、一度も顔を合わせたことはないが。


 母さんが連絡すると、ルグラン子爵家の当主はわざわざ早馬で返事を送ってきた。

 ぜひ我が娘を妻にしてほしい、今すぐにでも嫁ぐ準備はできている、というなんとも前のめりな返事だったのだ。

 しかしこちらの準備もあるため、一ヶ月後に嫁入りする、という話でまとまった。


「あと二週間か」


 婚約が成立してすぐ、俺はダイエットを決意した。

 冴えない見た目だが、痩せれば、イケメンになれるかもしれない。なれなかったとしても、デブよりは痩せていた方がマシだろう。


 彼女からすれば、俺は家柄がいいだけの見た目の悪い男だ。悲しいが、現実は現実として受け入れなきゃいけない。


「でも、だからって、可能性がないわけじゃないよな?」


 どうせ結婚するのなら、幸せな結婚生活を送りたいのは相手も同じはず。

 俺のことを好きになろう、なんて努力もしてくれるかもしれない。


「男は顔だけじゃないってことを、俺が証明してやる……!」


 俺はイケメンじゃない。でも、彼女を一途に愛す覚悟はある。全力で、彼女を幸せにしてやりたい。


「よし、スクワット500回やるか!」





「本当、見違えたわ! こんなに素敵な人、国中を探したっていないわよ!」

「いや、絶対言い過ぎだろ、それは」

「そんなことはないわ。貴方は自慢の息子よ!」


 母さんはそう言うが、とてもその言葉を真に受ける気にはなれない。

 一ヶ月間、俺は必死にダイエットをした。そのおかげで、ダイエットは大成功した。

 しかし、痩せただけでイケメンになれるのなら、誰も苦労しない。


 鏡に映っているのは、普通体型の冴えない男である。


「その服も素敵ね。特注で作った甲斐があったわ」

「……ちょっと、派手過ぎないか?」

「派手なくらいがちょうどいいの。おめでたい日なんだから」


 わざわざ仕立て屋を屋敷に呼んで作ってもらっただけあって、着心地はかなりいい。しかし、似合っているかと言われると話は別だ。

 目がちかちかするほどの、鮮やかな青いスーツ。ボタンは金色で、袖口にはレースが縫いつけられている。


「きっとベルも、貴方のことを気に入るわ」

「……だといいんだけど」


 先方に送った俺の肖像画は、太っている時のものだ。

 その時と比べたら、だいぶマシになったと思いたい。


 あと一時間もすれば、ベルが……俺の嫁が、この屋敷へやってくる。

 緊張と不安で、正直吐きそうだ。


「この家も、賑やかになるといいわね」


 母さんは一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべた。今は亡き俺の父親を思い出したのかもしれない。

 俺が若くして当主の座についているのは、父親が事故死したからなのだ。


「孫の顔を見るのも楽しみだわ」

「いや、さすがに、気が早いって」

「そんなことないわよ。向こうだって、ちゃんと分かってるわ」


 結婚すれば、子供が生まれる。

 現代日本とは違って、この世界ではそれが当たり前の価値観なのだろう。


「じゃあ、わたくしはパーティーの用意をしてくるわ。コルベットは、心の用意をしておくのよ」


 笑って、母さんは部屋を出て行った。

 今晩は、ベルを歓迎するためのパーティーを開く予定だ。といっても、参加人数はわずかだが。


 それでも、母さんが必死に献立を考えて指示したり、いつもより高い食材を買い求めていたことは知っている。

 俺だけじゃなく、母さんもこの結婚に期待しているのだ。

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