第20話 女王の覚悟

 三人の視線が花月に集まる。花月はその要求に、決して顔をうつむけることなく、姿勢を保ったまま応じた。


「……いいわ。この体、喜んで貴方に差し上げましょう。但し」


 花月は少し顎を上げて、きっぱりと言う。


「貴方は、私の心までを手に入れることは出来ません。貴方が手にするのは、魂のない抜け殻、花月と言う名の、ただの人形です。それで宜しければ、どうぞお好きに」


 すると鬼羅は、暫く顔を俯けていたが、やがて、こらえきれないように声を上げて笑い出した。


「なっ……何がおかしいのです!」


「ははは……いや、変わっていないなと思ってな」


「か、変わっていない? 一体、何のことです!」


 鬼羅は、心底楽しそうに笑っていたが、やがて目尻の涙を拭いて、傍らのきょうとかいう側近を見上げて言った。


「聞いたか。名言だな」


 侠は何と答えるべきか分からない、という様子で「は……」とだけ言った。鬼羅は椅子から立ち上がり、花月の方へと歩いて来た。花月は体を強張らせたが、彼は床に落ちていた木綿の上衣を拾い、すっと花月の体に着せ掛けてくれる。そして頷いた。


「取引に応じよう。兵部寮へいぶりょうに話を通すから、少し待ってくれ」


「鬼羅国王! あ、ありがとうございます!」


 花月が頭を下げると、彼は笑顔を見せ、後ろの側近を振り返った。


「そういうことだ。異論は無いな」


 侠が真面目な顔で頷いた。


「鬼羅様のご決定でしたら、喜んで」


 もう一人の、刀を背負った青年が、頭の後ろで腕を組んで言う。


「俺も、鬼羅が決めたことなら従うよ」


 鬼羅は花月を振り向き、言った。


「ということだ、花月女王。準備が整い次第、海路で瑞に向かうぞ」


「心から感謝します、鬼羅国王! それで……」


 と言いながら、花月がちら、と寝台のある隣室に目を向けると、鬼羅は「ああ」と笑った。


「あれは冗談だ。女王の覚悟を聞いてみたかったのでな。気にしないでくれ」


 花月はほっとして頷く。鬼羅は、花月を見下ろして言った。


「ところで、女王。暁の王都では、どこに滞在しているんだ」


「楽団が取っている宿屋です」


「宿屋? 名前は」


 楽団に聞いていた宿の名を言うと、三人は顔を見合わせた。侠が言った。


「……鬼羅様。いやしくも、一国の女王様ともあろうお方が滞在するような場ではないかと」


「そうだな……」


 鬼羅は、腕を組んだまま少し考えていたが、やがて花月に言った。


「花月女王。準備が整うまで、この宮殿に滞在したらどうだ。実は今、後宮が空いているのでな」


 花月は目を見開き、首を振った。


「他国の王の後宮に入るなど……」


「ああ、いや、すまない。そういう意味じゃない。実は、暁では後宮を解体したんだ。だが建物はそのまま残っているから、そこに滞在したらどうかと思ってな。あなたが瑞の女王だと分かっていて粗末な宿屋に泊まらせるなど、こちらの気が済まない。大体、ここにいれば、援軍について私と話し合うにも便利だろう?」


 花月は暫く考え、やがて頷いた。考えてみれば、暁の中枢の様子を垣間見られる、またとないチャンスだ。


「お心遣い感謝致します、鬼羅国王。では、お言葉に甘えて、一室お借り致します」


「私のことは鬼羅でいい。敬語も不要だ。話すのにいちいち面倒だし、同じ一国の王と言う立場だからな。こちらも遠慮なく、花月と呼ばせてもらうぞ」


「……分かったわ。では、遠慮なく」


 鬼羅は、先日まで後宮仕えをしていた女官を呼び出し、花月に言った。


「夜道は危険だ。今宵はこのまま後宮に行くといい。楽団の座長には、その身を預かるとこちらから伝えておこう。彼らはまだ数日は王都にいるはずだから、別れの挨拶は折を見て行けばいいさ」


「ありがとう。……けれど不思議ね。私は瑞に帰る一心でここまで来たのに、はっきりと別れ、と言われると、なんだか変な気分よ。もう彼らと共に旅することは無いのね。長かったようで、短い日々だったわ……ああ、そうだわ、私がなぜ、どうやってあの楽団と行動を共にしていたかは、またいずれお話させて頂きましょう」


 そして花月は改めて鬼羅に礼を述べると、「おやすみなさい」と優雅に礼をして、女官について出て行ってしまった。黒檀の重い扉が閉まり、暫くの沈黙の後、侠が感心したように言った。


「なるほど、あれが、瑞の花月女王ですか。さすがというかなんというか。度胸と品格のある女性ですね。なんだか圧倒されてしまいましたよ」


「ああ。一介の踊り子に身をやつして、まさかこの私の寝所まで直談判に来るとは。お前達もいて普通の女なら怖がるだろうに、大層肝が据わっている。しかも、あれだけ不利な状況で、私の心は渡さない、だからな」


 鬼羅はどさっと椅子に腰を下ろして、楽しそうに飲みかけの盃を手にした。湊が頭をかく。


「俺なんて、無礼者、って怒られちゃったよ。初対面なのにさ」


 二人がどっと笑う。侠が、珍しく声に出して笑いながら言った。


「これを機に反省しろ。なんなら、花月女王にお仕えして、鍛えてもらったらどうだ」


「あんな気の強い女、冗談じゃないよ! でも……」


 と言って、湊は鬼羅の座っている椅子の背に両腕を置いて意味深に笑った。


「鬼羅は、まんざらでもないみたいだよねえ? 結局、助けてやることにしたもんね。何もしないで女王様帰しちゃって、本当に良かったの?」


「立場の弱い女を脅してモノにしたところで、面白くもなんともない。それから邪推はやめろ、湊。今回暁が援軍を出すのは、焔と瑞を分断させるためだ。瑞には恐らく、隠れた財がかなりある。それを東仁に根こそぎ持って行かれるのは断じて避けたい」


「フーン、分かったよ。そういうことにしといてやる」


「侠、夜が明けたら、兵部寮の高官共を集めてくれ。先日統合したおとの国側から船を出したい。あそこなら水深があるし、もともと乙が所有していた船を使えるはずだ」


「御意」


「もう夜も更けた。私はそろそろ休む。お前達も下がれ」


 侠と湊が礼をして部屋を出て行く。鬼羅は室内を仕切っている御簾みすをくぐり、寝台へと身を投げ出した。自然と笑みがこぼれていた。


「想像通り……いや、それ以上に美しく成長したな、あの娘。まさかこのような形で再会しようとは思いもよらなかったが……生きてまた会えて、良かった……」


 そして鬼羅は目を閉じる。その夜は、彼にしては珍しく、幸せな夢がその眠りに訪れた。

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