第14話 花月の追放

 慈英が宮廷を乗っ取って一夜明けた。花月は、少数の下級官吏に付き添われ、後ろ手に縛られたまま、瑞の東海岸に立っている。頭上には、胸が痛くなるほど透き通った水色の空が広がり、海面には上ったばかりの太陽が照っていた。


 昨夜、花月をたった一人で流刑に処す、と宣言した慈英に、桐と牡丹は、発狂したように喚いた。


「お待ち下さい、慈英様!! 花月様お一人でなど、到底、受け入れられません!! どうかせめて、わたくし達だけでも随伴させて下さいまし!!」


「そうです、慈英王子!! あたし達は、花月様と一心同体なんですよ!! 一生に一度のお願いですから、あたし達も、一緒に行かせて下さい!!」


 正殿の玉座にふんぞり返った慈英は、娼婦に大きな麻のうちわであおがれながら、彼らを見下ろした。


「一緒に行けば、お前ら、確実に死ぬぞ」


「構いません! 主と共に天に召されるのなら本望!! どうか、どうか、花月様と共に!」


「却下。あいつには、たった一人、我が身の不運を呪って惨めに死んでもらう。それが、あいつら母子のせいで死ぬまで不幸を嘆いていた、母上への手向けだ」


 尚も喚く桐と牡丹に、慈英の痩せこけた顔が、ひどく苛ついた表情を見せる。捕縛されたまま慈英の足元に座らされていた花月は、急いで彼らの間に割って入った。


「桐、牡丹、ありがとう。あなた達の気持ち、とても嬉しい。でも私は、あなた達を死なせたくないの。お願い、宮殿に残って」


 彼らが泣きながら「でも!」と言う中、花月は慈英を見上げた。


「兄上。私さえ追放すれば満足でしょう? 彼らには絶対に危害を加えないで!」


「言われなくても。女官が減ると、宴の準備に手間取るからな。あいつらにはキッチリ働いてもらわねえと!」


 慈英は桐と牡丹を「しっしっ!」と言って下がらせると、娼婦に酒を注がせ、女官に珍味を持って来させた。宮殿内は、戦とはまた違った妙な緊張に包まれていて、誰も彼もが、唐突に彼らの主になった慈英の命令に、青ざめながらも従っている。彼の逆鱗に触れると、死が待っているからだ。既に数人の官吏が、彼の意に沿わなかった、というだけの理由で、処刑されていた。


(このままでは、焔を退けても、内部から国が崩壊してしまう! やっと戦の勝利が見えていたところだったのに!)


 花月は、慈英とその配下が狂乱の宴を続ける中、必死に考える。


(どうにかして、兄上を宮廷から引きはがさなければ……! けれど、たちばなも国境に出たまま、ひさぎ達長官も地下牢……誰か……他に誰か、助力を期待できる者は……!)


 花月は、酒で顔を赤くして娼婦と遊んでいる慈英に、床に座ったまま声を掛けた。


「……兄上。花月の最後の頼みです。桐と牡丹に、今生の別れを告げさせて下さい」


 慈英は、愉しみを邪魔されたとばかりに舌打ちをすると、そっけなく言った。


「さっさと行けよ。だけど、変な動きをしたら、あの二人の首を刎ねるからな」


「分かっています。それと、今だけでいいから、手首の縄を解いてくれませんか。桐と牡丹と、抱擁したいの。私達は子供の頃からずっと一緒にいたのに、もう二度と会えないのだから。安心して。非力な女三人、武器も持っていない。何も出来ないわ」


 慈英は面倒そうに舌打ちをして、手元の太刀で縄を切った。そして配下の屈強な女を呼び、花月の監視役に命じる。花月は、彼女に付き添われて私室に向かう。


「「か、花月様!!」」


 花月の私室にいた桐と牡丹は、花月の姿を見て、泣きながら駆けて来て抱き着いた。彼らの温かさにほっとして、花月の瞳からも、大粒の涙がとめどなく流れる。


「ごめんなさい、桐、牡丹! 心配をかけて」


「いいえ……いいえ! 花月様、わたくし達は、明日、何が何でも、あなた様のお供を致します。それで処刑されてしまっても、わたくし達は構わないんですの。花月様をお一人で行かせるなど、絶対に出来ません! そんなことになったら、わたくし達、死ぬまで後悔致しますもの」


 牡丹も、鼻を鳴らしながら何度も頷いている。牡丹の鼻からは、特大の鼻提灯はなちょうちんが出ていた。花月は、ちら、と私室の戸口を見る。慈英の配下の女は、廊下で控えているはずだ。花月は、桐と牡丹の体を離し、そっと、文机ふづくえの上の筆記具を手に取った。そして、泣きはらした目で不思議そうに花月を見つめる彼らに、手元に注目するよう目で促す。


「桐、牡丹、ありがとう。あなた達が私に示してくれた愛情は、生涯忘れないわ」


 と言いながら、急いで手元の巻物に文字を記していく。


『私は明日、どうにか脱走してみせる。父上の形見の、これを持って行くわ』


 そして、文机の中に隠してあった、見事な彫刻の施された銀の短剣をそっと取り出し、二人に見せる。彼らが目を見張った。


『そして、あの暁にもう一度、助力を願い出てみる。追放された私の言い分を聞いてくれるか分からないけれど、私には策がある。期待して!』


 花月は書きながら、廊下の監視役に怪しまれないように、適当に話を続ける。


「あなた達とはこれでお別れね……どうか、体には気を付けて、元気で」


『地下牢のひさぎ達に、ひと月の間、奉祝ほうしゅくの書を準備するふりをして、祈祷殿きとうでんこもるように伝えて。たちばなが国境から戻ったら、同じように祈祷殿へ行かせてね。橘は一本気な武人だから心配なのだけど、とにかく彼らには、ひと月の間、どうにか持ちこたえるように言って。絶対にやけを起こしてはだめよ。私が戻るまで、誰一人、死なずに待っていて!』


「花月様……」


 彼らは巻物を読むと、涙を拭いて力強く頷いた。花月はほっと胸を撫でおろし、言う。


「これまで本当にありがとう。そして……さようなら」


『この巻物は、私が部屋を出たらすぐに燃やして。あとは頼んだわよ、桐、牡丹!』


 花月は、瞳に力が戻って来た彼ら二人に巻物をそっと渡すと、短剣を懐にしまって私室を出た。監視役の女が、無言で花月を連行する。花月は密かに決意する。


(明日が勝負だわ! 船には、私と、船頭役の者が一人。絶対に、生き延びてみせる!)


 花月は、昨夜の記憶からはっと我に返る。海岸で貧相な木の小船を出そうとしていた官吏が、花月の姿を見て顔を上げた。まだ年若いあばた面の彼は、処刑される罪人が身に着けるような白い服を着せられた花月に、今にも泣きそうな顔で声を掛けた。


「女王陛下……」


「ご苦労様。今、行くわ」


 花月は服の裾を持ち上げて、彼が浅瀬に出した船に向かう。早春の海水は、氷のように冷たい。船のへりを押さえている彼が、涙をこぼしながら花月の手を取り、船に乗せた。船頭役は、昨夜の、慈英配下の女だった。


「失礼します、女王陛下。お供させて頂きます」


 彼女は船の後ろに飛び乗って、かいを取る。花月は「ええ。頼んだわ」と言い、小船は官吏達のすすり泣きの中、朝の海へと漕ぎだした。


 瑞の王都が慈英の手に落ちた報せは、二日後には早馬で国境にもたらされた。既に多数の兵を失っていた焔の軍勢は、それ以上の兵と物資の損失を恐れる零玄れいげんの命で焔の王都へと引き上げ、橘率いる護衛府の者らは、予想もしていなかった事態に呆然自失に陥った。


「慈英王子が……瑞の宮廷を乗っ取った?!」


 突然の凶報に、憤怒ふんぬと困惑の感情が抑えられない橘が叫ぶと、宮殿から駆けつけて来た官吏が、汗と鼻水と涙で、ぐちゃぐちゃになりながら言った。


「はい……! 慈英王子は、各府長官含め、宮廷の高官を次々と地下牢に繋ぎ、女王陛下をたった一人、半島東沖へ追放しました! それからこの二日と言うもの、贅沢三昧。朝から晩まで浴びるように酒を飲んでは、王都の娼婦を宮殿に引き入れて騒いでいます。宮殿では、そんな慈英王子に媚びる者まで出始め……」


 橘は、こめかみの血管が破裂するのではないかというほど血をたぎらせ、言葉を失って、「な、な!!」とだけ言った。官吏が続けて言う。


「宮廷は完全に混乱に陥っていて、内部でも疑心暗鬼が広がり、誰が味方で誰が裏切り者なのか、腹の探り合いで……」


 やっと言葉を取り戻したらしき橘が、口角から泡を飛ばしながら叫んだ。


「なんたる外道!! おのれ慈英!! この橘、一刀両断に切り伏せてくれる!!」


「落ち着いて下さい、橘長官! 楸長官より、宮廷が混乱している以上、今歯向かうのは得策ではないとのこと! 味方同士の無益な対立が起きかねません!」


 橘は、怒りのあまり茄子のように青紫になった顔で、「ぐ、ぐぬぬ……!!」と唸り、訳の分からない呪詛じゅそめいた言葉を喚きながら、自身の大太刀でそこらの木々を力任せに斬りつけた。


「くそう、くそうっ!! この橘がいながら! 慈円国王陛下、どうかこの橘をお許し下さい!! こうなれば、この命を賭けて、花月様を、花月様をお救いしなければ!! 花月様、どうか……どうか、ご無事で!!」

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