第9話:翻弄

「アアアアアアァァァァ!!」

 ラザード卿――だったものが絶叫を発した。


 体表がみるみる黒く変色し、スマートだった体型は太く肉厚を帯びていき、頭部は膨張ののち硬化し、それら全てが醜く歪んでいく。


 はもはやラザード卿ではなく、人ですらなかった。


 全身を黒く染められた、筋骨隆々なサルのような怪人が、そこに立っていた。



「ラザード卿!?一体どこに……こ、この化け物は!?」



 衛兵と聖騎士たちはラザードがすぐに姿を消した、と解釈した。

 正しく現実を認識できないのか、したくないのか。



「アアアアァァァア!」

 大音声が響き渡り、空間が震えた。


 サル型の怪人が大地を抉るように腕を振るう。

 石で舗装された道が砕かれた石つぶてとなって衛兵と騎士達を襲った。


「うわぁっ!」

 多くの悲鳴が上がり、多くの者が衝撃で転倒する。


「くそっ、こいつ!」

 立ち上がったのは、聖騎士たちの方だった。


 装甲を纏った騎士は軽傷で済んだが、それほど重装備でない衛兵たちはつぶてによってかなりの打撲を負っていた。


 ひとりの聖騎士が恐怖心を振り払うように、離れた間合いから槍を突き出す。

 サル怪人の動きは鈍く攻撃は簡単に当たった。


 だがその皮膚は硬く、分厚い身体は大岩のように揺るがない。


 怪人は突き出された槍を掴み、乱暴に引いた。

 聖騎士の力では抵抗できず、引っ張りこまれ、前のめりに倒れ込んでしまう。


 倒れ込もうとする騎士の胸を、怪人は殴りつけた。


 胸甲がひしゃげ、血しぶきが鎧の隙間から漏れ、騎士は倒れた。


 仲間がやられたことによりようやくショックから立ち直った聖騎士たちは、示し合わせたかのように槍を構え、突いた。

 囮として、少人数が鋭い突きを繰り出し、その隙に相手を取り囲む。

 取り囲んだ騎士たちこそが本命で、頭部や首、股間やわきの下など、生物であれば急所と思われる箇所を同時に攻撃する。


 個人の修練、集団での訓練が行き届いているからこその連携だった。


「ゥルオオォォォォ!」


 怪人が悲鳴らしき絶叫をあげ、のけぞるように体勢を崩す。

 やはり全身が硬いわけではなく、おおよそ人体の急所と同じ位置であれば槍が突き刺さった。


 正体不明な怪人といえど、完全に無敵なわけではない。


 わずかな希望が全員の胸中に生まれる。


「アアアアアアァ!」


 怪人は突き刺さった槍をそのままに、上半身を勢いよくねじり、豪快に振り払う。


 聖騎士たちが持っていた槍ごと振り回され、吹き飛ばされる。



「くそっ、なんなんだあいつは!?」


「あれだけ突き刺したってのにまだ動くのか!?」


「この人数を振り回すとは、なんて馬鹿力だ……化け物め」



 怪人は、痛がる素振りこそ見せていたが、戦意はまったく失っていないようだった。

 6本の槍が半ばまで突き刺さった状態で、一人の騎士に向かって歩みを進める。


「ひっ!」

 その騎士は槍を失っており、見るからに戦意が低下していた。



「こっちだ、怪人め!」

 騎士を救ったのは、別の騎士――それも、漆黒に紫水晶アメジストが散りばめられた鎧の騎士。


 神殿騎士長、マルヴィナだった。


 剣が閃き、背中を裂く。


 ――が、怪人は痒そうに背後を見て、新たな闖入者に驚くでもなく、ただうざったそうに腕を振るった。

 まるで、蚊かなにかの羽虫を追い払うように何気なく、雑な動作だった。



 衝撃が騎士たちと、マルヴィナを襲った。


 まるで、子供のように――いや、それすら不適切な例えだと言わざるを得ない。


 決死の覚悟をもって行った、渾身の一撃だった。

 それをまるで、草むらから飛来してきた羽虫のように、雑に払われ、マルヴィナは吹き飛ばされたのだ。



(後背からの攻撃は、効かないのか……?)



 マルヴィナは血を吐きながら、騎士たちの攻撃と自分の攻撃の際に起きた出来事を分析した。


(しかし、なぜだ?剣は確かに皮膚を斬り裂いたはず。奴は表皮に痛覚がないとでも言うのか……?)


 剣を杖に起き上がるものの、腹部に鈍痛が残り、思うように身体が動かない。


 弱っているところを見たからなのか、怪人はマルヴィナを標的に定めたらしい。

 振り直って、彼女の方にずんずんと歩いていく。


 醜い顔は無表情のまま、ただ殺意だけがその四肢から感じ取れる。



 マルヴィナは、眼前にいる怪人が怖いと思った。

 今初めて、己にある恐怖を認めた。


 生物か非生物か、その境界があいまいで。

 ただその剛力は現実として脅威であり。

 元は人間かもしれないということは、誰しもがこうなる可能性があるかもしれないわけで。



(誰しもが―――私も?)



 言い知れぬ恐怖心を直視した時、彼女の内部はこれ以上の理解を拒絶した。

 その結果、彼女は停止した。


 精神が作用した防衛本能としては、まったく正しいのかもしれない。

 だがその硬直は、怪人にとってはこれ以上ない好機だった。


 マルヴィナは震える以上の事が出来ないでいた。


 濡れたような光沢を放つ、漆黒の大きなサルのようなものが近付いてくる。


 目を、閉じた。

 もうこれ以上の恐怖は感じたくない。


 その時、眼前の地面が破裂したかのような轟音が鳴り、声が響いた。


「悪に対して――俺は手加減しないッ!」

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