第32話

 空中で金属同士がぶつかり合う音が響く。


 自分が振るった剣の一閃を受け止められた音だ。


(イージス様、神父様を殺さないんじゃ)


 初めての飛行体験にいっぱいいっぱいになりながらもキュエルは自分を諫めてきた。


「安心して下さい。天使ならばあの程度の切り込み、防げて当然ですから」


 普段から決して天使は自己鍛錬を欠かすことは無い。


 主の命令に逆らって天界を出奔するような愚か者でもそれは変わらないはずだ。


 だから様子見と実力を測る為に切り込んでみた訳だが、そんな事を知る由もないキュエルには自分がハヴェットを切り殺そうとした見えても仕方がないだろう。


 そして今の一合で彼の実力は分かった。


 剣の腕は天使の中では中の下と言ったところだ。


 はっきり言って、自分の敵では無い。


 ただ、それは倒すだけならばという条件下にあっての話だ。


 かつて悪魔を相手にしていた頃のように切り捨てて良いのならば剣をもう一振りすれば終わるのだが、ハヴェットを傷つけずに決着を付けなければならないとなると少しばかり手間が掛かるだろう。


 どうしたものかと考えようとすると、今度は向こうから切り込んで来た。


 ハヴェットの体を操る天使はやたら滅多らに切りかかってくる。


 手数は多いがどれも精細さに欠け、容易に捌ける乱雑な攻撃に自分は少しばかり苛立ちを覚える。


 どう見ても相手は自分を格下の相手と見ているのが、手に取るように分かったからだ。


 乱雑に振られる剣の合間に、狙えば既に十回は反撃して仕留めることは出来たのだが、こちらからは安易に攻撃出来ないので仕方なく防戦一方になってしまう。


「フフフフ、どうしたのですか、威勢が良かった割にはこの程度ですか」


 相手が反撃してこないのを自らの実力の高さのお陰と勘違いしたのか、ハヴェットの整った顔立ちを台無しにしながら天使は嘲笑ってくる。


 彼は天使としての品位をどこかに落としてしまったのだろうか。


 彼をボロカスに言った悪魔の気持ちが少し分かってしまった。


 段々と防ぐのに慣れてきた自分はどうにか無力化する方法は無いかと考える余裕が出てきた。


「あの、降参してくれませんか? このまま戦い続けるのは時間の無駄かと思うのですが」


 しかし良い案が浮かばず少し考えが堂々巡りを始めた自分は、戦いが始める前に呼びかけた投降を断った相手に無駄だとは思いながらも再度投降を呼びかけてみる。


「防戦一方の相手に降参する謂れなど無い! 私を愚弄しているのか」


 予期していた結果ではあるが、火に油を注いでしまっただけらしい。


 とりあえず何か名案か状況が動くまで説得を続けてみるしかなさそうだ。


「貴方を愚弄する気はありません。ただ、貴方が乗っ取ったハヴェットを傷つけたくないだけです。彼は関係ないのですから」


「ハヴェットが関係ないだと。ハハハハハ、貴女は何もわかっていない。彼は進んで私に体を差し出したのです」


「それはどういうことですか」


「貴方が思っているような人間では無かったということですよ」


 ハヴェットは帝都ではそれなりに名の知れた豪商の三男としてこの世に生を受けた。


 年を取ってから生まれた彼を両親は溺愛し、年が離れた二人の兄も随分と可愛がった。


 望む物は何でも与えられる環境で成長した彼は、我儘で自尊心だけは一丁前なのに困ったり嫌なことがあれば直ぐに家族に泣きつきどうにかしてもらおうとする少し困った少年に成長してしまった。


 両親はそんな彼すらも愛おしいと全てを受け入れていたが、二人の兄はそうでは無かった。


 このまま成長すれば、そのうち何か恐ろしい過ちを犯し、それすらも家族に尻拭いさせるのではと危惧したのだ。


 そこで幾度か全寮制の厳しい遠方の学校に入れようとしたり、厳しいことで有名な家庭教師を付けようとしたりしたのだが、全て両親に却下されてしまった。


 両親の甘さに困り果てた兄たちは、悩んだ末にダメ元でハヴェットの本好きを利用することにした。


 過去の聖人が書いた本や伝記をハヴェットに与え、何かしらの影響を受けることで性格に変化が起きないかと薄い望みを掛けたのだ。


 すると、効果は兄たちが予想していた以上に出た。


 与えられた本を全て読み切ったハヴェットは、突然神学校に行って司祭に成りたいと言い出したのだ。


 それは幼子が英雄に憧れて自らもそうなりたいと夢描くのと同じ理由であったのは、誰の目にも見て明らかであった。


 両親も本に影響を受けただけで、一過性の夢だと思いどうにか諦めさせようとしたが、ハヴェットは一度望んだことは全て叶えられたのに、初めて両親に望みを叶えて貰えなかったことがショックだったのか、家出騒ぎを起こしてしまう。


 二人の兄はこれ幸いにとこの騒ぎを利用して、例え途中で学校を止めることになったとしても、ハヴェットにとってはいい経験になると渋る両親を無理やり説得して彼を神学校へと送り出すことに成功した。


 神学校に入学したハヴェットは、家族の予想とは裏腹に弱音を吐かずに学校に通い続けた。


 今までの生活とはかけ離れた厳しい規則で縛られた集団生活を耐えられる程にハヴェットの司祭への憧れが強かったのだ。


 ただ、憧れている理由は実に不純なものであった。


 本に描かれた司祭たちは生前は皆人々から慕われ、死してなおその生涯が人々に語り継がれ尊敬されている。


 自分もそうなりたいと思いながらも、それは家族に頼ったところで手に入らぬものだとハヴェットは幼いながらに理解出来た。


 元々、家族以外からは我儘馬鹿息子として軽蔑の眼差しを向けられることが多かった故に家族の手では入らぬ物だと理解し、常に他人から認められ、敬われることを欲していたのかもしれない。


 望んでも手に入らぬ物。


 欲する物全てを手に入れてきたハヴェットは、手に入らぬからこそ余計に欲しくなってしまい、初めて自らの力で手に入れようと思ったのだ。


 こうしてハヴェットは神学校での勉学に励んだ。

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