第29話

 イレイナと共に部屋を出た自分は礼拝堂へと向かう。


 軽く左手を動かしてみると、痛みは抑えられていても傷が治った訳では無いので、少し違和感のようなものを感じる。


 とりあえずは止まっているらしい血が、また出て包帯をこれ以上汚してしまっては困るので、あまり動かさない方が良さそうだ。


 足は打撲と擦り傷だけなので、歩くのには支障が無いのがせめてもの救いだ。


 気を使ったイレイナが扉を開けてくれた礼拝堂へと入ると、耳が痛くなる程の拍手で迎えらた。


 どういうことか分からずにあたふたしていると、ハヴェットがこちらに向かって歩いて来た。


「いやあ、ここが祈りの時間に満員になるなんて赴任以来初めてですよ。これも全て奇跡の少女のお陰です」


 彼は何を言っているんだと小首を傾げていると、イレイナが耳打ちしてくる。


「昨日の話を聞いた村の方がキュエルさんをそう呼んでいるんです」


 確かにキュエルのような少女がイノシベアを倒したのは、自分の存在を知らなければ主の加護による奇跡に思えるのは分かるし、実際イレイナもそんなようなことを言っていた。


 だから村人たちは自分のことを奇跡の少女と呼んでいるという訳か。


 少しばかり安直な呼び方な気がする。


「さあ、こちらへどうぞキュエルさん」


 肩に手を回してきたハヴェットに促され、自分は講壇へと連れていかれる。


「皆さん、お気持ちは分かりますが一度手を休めて私の話を聞いて頂けませんか」


 講壇に上がったハヴェットの呼びかけに、村人たちはバラバラにだが拍手を止め、礼拝堂内が静まり返った。


 一体ハヴェットは何を語ろうと言うのか。


「皆さん、今日はお集まり頂きありがとうございます。いつもがらんとしているこの礼拝堂が一杯になるなんて結婚式かお葬式以外まず無かったことなので驚いています」


 ハヴェットのとぼけた言い方に村人たちは笑い、ハヴェット自身も笑うが自分は笑えなかった。


 主への祈りを怠っている村人たちに怒りを感じたというのもあるが、目が笑っていないハヴェットに嫌なものを感じたからだ。


「さて、冗談はここまでにして少し真面目な話をしましょうか。ここにいるキュエルさんは昨日イノシベアを一人で倒されました。いえ、一人で、と言うと少し語弊がありますね。主の御力添えによってと付け加えねばなりません。これを奇跡と呼ぶ皆さんの気持ち、私にもよく分かります。ですが、一つ、私には分からないことがあります」


 ハヴェットの声が一段低くなる。


「何故、たった一度の奇跡、たかだか獣を一匹仕留めたくらいでこんなにも彼女を持て囃すのですか? 病の者には治療を施し、困りごとがある者には知恵と時には手を貸し、皆さんの為に身を粉にしてきた私よりも! 何故ですか!」


 ハヴェットが何故怒っているのか自分には分からない。


 聖職者たるもの主に使え、皆の為に祈り、困っている者に力を尽くすのは当たり前のことだと自分は認識していたからだ。


 村人たちも何故ハヴェットが怒声を上げるのか分からないらしく、どよめきが広がる。


「まあ、良いでしょう。実は皆さんには言っていませんでしたが、主の加護があるのはこの小娘だけでは無いのです。実は兼ねてより私にも主の御使いたる天使様が御力添えして下さっていたのですよ。そして遂に私も、人間から主の御使いになる時が来たのです」


 しまったと思った時には既に遅く、自分を衝撃が襲った。


 ハヴェットによって講壇から身廊へと突き飛ばされた自分はどうにか受け身を取るが、体が十全ではないせいか少し失敗してしまい、そのまま立ち上がることまでは出来なかった。


「これは、天使の気配!」


 ハヴェットの背後にあるステンドグラスに描かれた天使が浮き出てくる。


 いや、そう見えただけで実際はただすり抜けて来ただけだろう。


「やあ、同胞よ。出来ればそこで何もせずに這いつくばったままでいてくれないか」


 無礼な物言いの天使はそのまま、仰々しく両手を広げるハヴェット中へと入った。


「さあ、皆さん、これが本当の奇跡というものです」


 ハヴェットが両手を広げると同時に、彼の背中から純白の羽が広がった。


 それはまさしく天使の羽だった。


 村人たちは目の前で起こっていることが信じられないとでも言いたげな顔で呆然とする。


「何を呆けているのですか、祈りなさい。さすればこの村で流行っている病も治まり、村に平穏が訪れるでしょう」


 ハヴェットの言葉に、村人たちは一斉に祈り始めた。


「あれ、喋ってんの神父じゃなくて、中に入った態度も言うことも全部が全部うざったくて顔以外は良いとこないって感じの天使だよね」


 ハヴェットに入った天使が彼のフリをして喋っているという推察は合っているだろうが、同胞をそんな言い方をされるとあまりいい気はしない。


 まあ、主の命を破って天界を出奔するような輩のことなど、どう言われようが気にする必要はないのかもしれないが。


「ええ、完全に魂を取り込まれているか、運が良ければキュエルと同じようになっているかですね。恐らく前者でしょうが」


 悪魔同様、天使も魂を取り込むことで、己の力を高めることが出来る。


「早く村人たち逃がさなきゃ不味くない? どうせアイツもこないだのザコみたく魂狙ってんでしょ」


「いえ、これは恐らく、狙いは信仰心です」

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