第11話

「待ちなさい! これ以上の無駄遣いは許しません!」


「待てと言われて待つおマヌケはアンタくらいっしょ!」


 逃げながらも人混みに紛れていることが悪魔に余裕を与えているようで、こちらに向かって舌を突き出し戯けた顔をしてくる。


 だが、余裕から生まれた油断が命取りになった。


 ほんの一瞬、こちらを揶揄う為に足を止めた悪魔に、一陣の風によってどこからか運ばれてきた大きなシーツが覆い被さったのだ。


 その隙を見逃さずに自分は悪魔からキュエルの体を奪還することに成功した。


 急ぎシーツを体から取り払うと、丁度ご婦人が走って来た。


「ごめんなさいね、急な風で飛んじゃって」


「いえ、お気に為さらず。助かりましたから」


 突然シーツを頭から被ったことの何が助かったのだろうかと小首を傾げるご婦人にシーツを返した自分はその場を後にした。


 何やら他にも余計な物を買う気だったらしい悪魔は恨めしそうな顔をしているが、これ以上の無駄遣いを決して許す気は無い。


 明日からの仕事では森に行く。


 それなのに自分たちは鞄の一つも持っていない。


 薄くなり始めた財布の使い道はそちらを優先すべきなのは火を見るよりも明らかだからだ。


 あまり好まない類の服に嫌気が差しながらも自分は必要な物を思い浮かべながら歩く。


  大した危険はないだろうが、やはり森に行くのだから油断せずにそれなりの準備は整えるべきだ。


 油断すればどうなるか今さっき悪魔が実演してくれたのだからその教訓は生かすべきだろう。


 大きめの鞄に水筒、マッチやロープなんかもある方が良い。


 念の為にナイフも用意すべきかもしれない。


 自分や悪魔の目立つ武器を鎌や包丁代わりにする訳にもいかないのだし。


 そもそも目立つ目立たない以前に、どちらの武器も細かい作業に向いている類の物では無い。


 どこぞの悪魔の長い服選びのせいで日が少し陰り始めているので急がなければ。


 幸いにも流石は帝都のメインストリートでも言うべき場所。


 数店、店を巡るだけでほとんどの物が揃うどころか、自分では気づかなかった必要な物を見つけるほどに品揃えが豊富であった。


 日が完全に落ちるかどうかという頃にはいつ出立しても大丈夫なくらいに用意が整った。


「さて、夕食は買うか食べるかして宿に帰るとしましょう。悪魔もそれでいいですね」


「あーしもそれでいいよ。……やっぱアクセ見に行きたいー!」


 衝動に任せてキュエルに入ろうとしてくる悪魔の行動を予想していた自分はひらりと躱して宿へと向かおうと歩みを進める。


 夕食も道中の露店で買った自分が、もうそろそろ宿がある裏通りの入り口が見え始める辺りまで来た時、言い争うような大きな声が聞こえた。


 慌てて声のした方、裏通りに入るかどうかという所に走っていくと、修道服を着た女性がガラの悪そうな二人組に絡まれていた。


「なあシスターの姉ちゃん、おじさんたまには羽目を外すのは大事だと思うぜ」


「アニキの言う通りだ。向こうにいい酒場あるし一緒に行こうぜー。その後はぐへへへへへ」


「や、止めて下さい! 誰か! 誰かー!」


 下心が透けて見えるどころか、下心が服を着て歩いているとでも言った方が良さそうな男たちが嫌がるシスターを無理やり連れて行こうとする。


「そこまでです、不埒者たちよ!」


 一部始終を見てしまった自分は男たちの注意を引く為に大声を出す。


 というよりは怒りから自然と声が出てしまった。


 子を成そうとする行為はある種、生物にとっては必要不可欠なことである。


 だから色欲自体を全否定する気は無い。


 愛する者同士で節度を持って、というのならば寧ろ祝福を与えてもいいくらいだ。


 しかし目の前で起きていることはそれに当てはまらない。


 己の欲に身を任せて他人を傷つけようとするなど言語道断だ。


 そんな愚か者には裁きを与え、道を正さなければならない。


 割と強めな衝撃を与えて。


「なんだ、ガキか。テメエみたいな貧相で硬そうなガキにゃ興味ねえんだ、とっとと失せな」


「……アニキ、俺は結構嫌いじゃない」


 弟分の意外な趣味にアニキと呼ばれた男は困惑の表情を浮かべながらもしっしっと動物でも追い払うかのように手を振ってくる。


「アハハハハ、良かったじゃんおマヌケ天使。アンタみたいなぺったん筋肉ダルマでも抱きたいって言ってくれる変わり者がいて」


 涙を流してゲラゲラ笑う悪魔へなのか、それとも目の前の不埒者たちへの怒りなのか、自分は拳を血が出そうなほどに握りしめる。


 主に使える為に鍛え上げたこの体に邪な感情を抱かれるなど不快感を禁じ得なかったからだ。


 何よりも貧相などと言われる筋合いは無い。


「今から貴方たちに鉄槌を下します。己の罪を悔い改めなさい」


 言うが早いか、自分は地面を強く蹴ってまずはこちらに肩を揺らして向かって来ていた弟分に急接近する。


 驚きで目を見開く彼の鳩尾に瞬時に拳を三発ほど叩きこむ。


 更に追加でもう何発か食らわせてやろうかと思ったが、その前に彼は地面に膝を付いてそのまま倒れてしまった。


 大の男がこの程度で倒れるとは情けない。


 まあ、欲に走る心の弱い人間が鍛錬など積んでいるはずも無く、当然と言えば当然か。


 とりあえず無力化した弟分を放っておいて次のターゲットへと自分は拳を向ける。


 ガリガリの弟分に比べて、体格の良い兄貴分には流石に骨が折れそうだ。


 しかしどんな相手でも卑劣や輩を許す訳にはいかない。


 兄貴分も地に伏した弟分の敵を討つ気なのか、拳を握る。


 大きく頭上まで振り上げた拳を兄貴分はハンマーのように振り下ろしてくる。


 力に任せただけの攻撃。


 いくら力があるからと言って、それに感けて技術を磨かなければ実戦では何の役にも立たない。


 頭上に落ちてきた拳を軽くいなした自分は、そのまま腕を掴むと一本背負いの要領でキュエルの体の二倍以上の体格差のある兄貴分を投げ飛ばした。


 ほあああああっと間抜けな叫び声を上げながら兄貴分は綺麗な弧を描いて飛んでいく。


 着地地点は運が無かったのか、いや、天罰だろう。


 意識を取り戻した弟分の上であった。


 程なく頭と頭がぶつかるゴチンと鈍い音が裏通りに鳴り響いた。


「うっへえ、容赦なさすぎっしょ。トーシロ相手にここまでするとか、えっぐー」


 悪魔が何やら苦笑いしているようだが、気にする必要ないだろう。


 彼らは当然の報いを受けただけなのだから。


「あの、ありがとうございます。助かりました」


 信じられないものでも見たような顔をしながら、絡まれていたシスターが礼を言ってくる。


「いえ、お気に為さらず。てん……人として困っている肩を助けるのは当然の行いですから」


「お若いのにお強いんですね」


「鍛えていますから。それより貴女は何故こんなところに? ここはシスターの方が来るような場所では無いと思いますが」


 もう数メートルもこの裏路地を進めば娼館に酒場に逢引きにでも使うのであろう宿と、およそシスターとは無縁の場所しかない。


 聞かずとも何となく答えは分かる気がするが。


「それが今晩止めて頂く予定の教会の場所が分からずに迷っていたらあの方たちが声を掛けてきたのです」


 そしてそのまま、教会へ案内すると言われて素直に着いて来た結果がこれと言う訳らしい。


 確か昼間大通りを移動している最中に教会を見かけたが、この裏通りとは正反対の方向だ。


 それなりに目立つ建物であったと思うが、もしかしたら彼女は方向音痴と言うやつなのだろうか。


「大体の場所は分かりますからご案内しますよ」


「大丈夫です。助けて頂いた上にそこまでして頂く訳にはいきませんから」


 そう言って彼女は大通りとは反対方向、裏通りの奥へと歩き出そうとする。


「そっちは如何わしい店しかありませんよ」


 シスターは顔を真っ赤にしながら戻って来た。


 思った通りシスターは方向音痴らしい。


「あの、やっぱりお願いできますでしょうか」


「もちろん。さあ、お手をどうぞ」


 シスターの手を取った自分は教会へと向かって歩いて行くのであった。

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