第6話

「ご、ご主人様!」


 血だまりの中に倒れたご主人様を見つけた私は急いで駆け寄る。


 今までのご主人様に比べれば比較的温厚でマシな人物とは言え、自分をこき使うことにも機嫌が悪ければ折檻するのも今までの主人と変わらない男の心配などする必要は無いと自分でも分かっていても、放っては置けなかった。


 しかし医療知識なんて皆無な私はどうすれば良いか分からず、とにかく止血しようと手首から先が無くなっている右腕の側に跪く。


 出血量からして助かる見込みは全くないかもしれないけれど、もしかしたら一縷の望みはあるかもしれない。


 だが、突然目を見開いたご主人様は無事な手で私の首を鷲掴むとそのまま常人とは思えぬ力で持ち上げた。


「お、お前が! お前が俺の手を切ったんだ! 俺の額に穴を空けたんだ! どうしてくれるんだ!」


 ご主人様はだばだばと血が滴る腕と、手に気を取られて気付かなかった額に空いた穴を見せつけてくる。


「わた、私、じゃ、無いで、す! 私は、やってい、ませ、ん!」


 首を絞められ息が真面に出来ないせいで上手く喋れないが必死に弁明しながら、どうにか逃れようとひたすら暴れてみるがより強く首を絞められてしまい余計に息が詰まる。


「じゃあ、その手に持っている物は何なんだ!」


 返答が気に食わなかったらしいご主人様は私を床に叩きつける。


 背中を強く打ったせいでせき込みながら両手を見ると、手には血の滴る蛇腹剣と火薬の匂いが鼻を衝く派手な銃が握られていた。


「ち、ちが、違います! これは私のじゃないです……」


 追い詰められた私は必死に弁明しながら蛇腹剣と銃を捨てる。


 だが、ご主人様は問答無用で私を問い詰める。


「いいや、お前がやったんだ。殺された本人が言っているんだから間違いないに決まっているだろ。奴隷の分際で主人に手を上げるとは、この償い、どうしくれるんだ」


 再び近づいてくるご主人様と私の間に黒い影が飛び込んで来た。


「はいはい、死人が生者にダル絡みすんなし。キュエルっち~、朝ごはんの時間だからしょーもない夢見てないでさっさと起きるし」


 ぽかんと口を開けて呆ける私の側に落ちていたを銃を拾った悪魔はご主人様の額にもう一つ穴を開けると、今度は煙を吹く銃口を私に向けてくる。


「夢で死ぬと目覚めが良いらしいよ。グッモーニーン」


 悪魔は口角を吊り上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべながら引き金を引いた。


「きゃあああああああ!」


 布団を跳ねのけ私は飛び起きた。


 慌てて額を触るとご主人様とお揃いの風穴が開いて血が垂れてはいなかったが、代わりに玉のような汗が噴き出していた。


「キュエル大丈夫ですか? 夢に干渉出来るからと言うから任せてみればこの始末。やはり悪魔なんかに任せたのは失敗ですね」


「ちょいちょい、酷くない? キュエルっちが何でうなされてんのか分からなくてあたふたするしか出来なかった奴にとやかく言われたくないし」


 頭を抱えながらイージスはリリスの反論を流してキュエルに深呼吸を促す。


「私、人殺しになっちゃったんですね」


 吸っては吐いてを幾度か繰り返し、どうにか落ち着きを取り戻した私は、ポツリとそう呟いた。


「あーしがやったことだから気にしなくて良いし。そもそもあんだけ悪魔とズブズブだったらどっちみち最後は体盗られて魂は魔界へゴーか魂食われてアイツの脂肪になってお終いだったかなんだから遅いか早いかってだけだって」


 ケラケラ笑いながらそう言うリリスの頭にイージスの鉄拳が落ちる。


「いった! アンタ天使のクセに理不尽に暴力振るうワケ!」


「悪魔は別です。もう少し分かりやすく説明しないと彼女の心に刺さった棘が抜ける訳無いでしょうが」


 涙目で頭を摩るリリスをイージスは押しのける。


「貴方が主人と呼ぶ男ははぐれ悪魔と契約した時点で死んだと同じなのです。契約を交わした時点で魂は悪魔の思うまま。そうなると救う術は無く、そこのデリカシーという言葉を知らない悪魔の言葉通りの悲惨な結末を迎えるしかないのです」


 だからこそ貴女がしたことは寧ろ救いを与えたのと同義なのだとイージスはキュエルに諭す。


 それでもまだ私は心の整理がつかず俯く。


 例えもう救えなかった相手とはいえ、私は悪魔にご主人様の死を望んだのだ。


 どんなに憎くても人の死をそう簡単に望んで良い訳がない。


 考えれば考える程に罪悪感と後悔が私を蝕んでくる。


「はあ、真面目ちゃんはこれだから。そんな深く考えなくていいし。やったのはあーしでキュエルっちじゃない。そんだけの話。ほんとなら同族殺したら魂ドロッドロに濁っけどキュエルのは綺麗だから安心するし。なー、おマヌケ天使」


 間抜けと言われたことに怒りつつも、リリスの意図を察したイージスは力強く頷く。


「悪魔などに同意はしたくないですが確かに貴女の魂は汚れていません。つまり貴女は罪を犯していないということです。そもそもあのような場面に出くわしてしまえば激情に駆られても仕方ないこと。寧ろそのことを悔いているというのは貴女が清らかな人間の証と言えます」


 自分でも頭は良くないと思っているキュエルに二人の言っていることは半分も理解出来てはいない。


 だが、とにかく自分は直接ご主人様を手に掛けた訳では無いという都合の良い事実だけは理解できた。


 それでも気にはならないと言えば嘘にはなるが、少しだけ罪悪感は薄れた。


 天使様と悪魔にこれだけ罪が無いと公認された人間はきっと私くらいのものだろう。


 一先ずは落ち着きを取り戻したキュエルにイージスとリリスが安堵していると、雑な叩き方でドアがノックされた。


「おっと、ここはあーしの出番だね。キュエルっち~、体入るよ」


 自分に拒否のしようが無いことだけはしっかりと理解しているキュエルは大人しくリリスを受け入れる。


「はいはーい、今出るし」


 ドアを開けると不機嫌そうな小太りの宿の主人が水桶と紙袋を抱えて立っていた。


「おらよ、頼まれてた物だ」


 主人は中身が零れても気にしないのか、乱雑に水桶を机に置くと紙袋をあーしに押し付けてくる。


 中身をチェックすると、きちんと頼んだ通りに服や櫛などの身なりを整える為に必要な物一式が入っていた。


 態度は多少悪いが頼みごとはきっちりやってくれるタイプっぽい。


 あーしは枕の下に隠していた男物の財布からいくらか取り出すと主人に握らせた。


 心配し過ぎかもだけど今夜は財布の隠し場所一応変えとくか。


 怪訝な顔で金をポケットにねじ込んだ主人は部屋から出て行こうとして止まる。


「昨夜も聞いたがお前、本当に脱走した奴隷とかじゃ無いんだよな。面倒ごとはごめんだぜ」


「違う違う、ただの家出娘だし。ほら、証拠に奴隷の証拠の焼印ないっしょ」


 服をまくり上げてイージスのお陰で綺麗になったお腹をリリスは主人に見せつけた。


「分かった分かった、さっさと仕舞え。ガキの腹なんぞ見たところで面白くもない」


 そうは言いながら焼印が無いことを確認して少しは警戒心を緩めたのか、今度こそ主人は部屋から立ち去った。


「もうちょっとキメキメのハデハデが良かったんだけどおっさんチョイスだし、しゃーないか」


 水桶で涙や鼻水でグズグズでカピカピだった顔を綺麗にしたあーしはボロボロの辛うじて服と呼べる物を脱ぎ捨て、紙袋から取り出した服に文句を言いつつ着替えた。


 本当はお風呂にでも入りたいとこだけど流石にこんな場末の宿にはないだろうから我慢我慢。


 派手なメイクの顔に町娘の服装はアンバランスであるが、ボロ服よりはまだ目立たないだろうから一先ず不満の矛を収めた。


 財布にはまだそれなりに膨らみがあるので、後で気に入るものを買えば良いだけのことだしね。


「さーて、街にくり出そっか。キュエルっちのお腹、かなりぺこちゃんだしね」


「食事には賛成ですが、無駄遣いは許しませんからね」


「……あーい」


 考えを見透かされてテンサゲなあーしは雑に返事をする。


 いつものように突っかかっても良かったのだが、キュエルっちの体に入ったせいで感じる空腹に耐えられず、一刻も早く胃に何か詰め込みたかったからだ。


 それもそのはず、リリスは知る由も無かったのだがキュエルは昨日の昼に小さく固いパン一つと具の無いスープを食べて以来水ぐらいしか口にしていないのだ。


 出掛けに今日も泊まることを主人に伝えて外に出る。


 昼間だというのに派手な格好で客引きをする女たちに奇異の目で見てくる。


 あーしは気にせず鼻歌交じりで胡散臭い空気漂う裏路地から大通りへ向かった。


(人がいっぱいだ。それにお店も沢山ある)


 リリスに体を操られているとはいえ、五感は感じられるキュエルは一歩進むだけで誰かに当たりそうなほどにごった返す大通りに呆気に取られてしまう。


 帝都ナイアリック、広大なアトゥーラ大陸の五割以上を手中に収める大陸の覇者たるガナシアン帝国の首都だ。


 それも初代皇帝の名が付いた通りであるここではぎちぎちに立ち並んだ建物の殆どは商売を営んでいる。


 露店も多く立ち並んでいる為、帝都どころか国中から観光や商売目的で人々が集まる場なのだから人は多くて当然であり、田舎育ちの彼女がお上りさん丸出しの感想を漏らしてしまうのも仕方がないことだろう。


「キュエルっちってば帝都に住んでんのに人に慣れて無いんだね」


(私、屋敷から出たこと無いんです。売られるたびに乗せられた奴隷用の馬車には窓なんかなくて外は見れませんでしたし)


「……なんかごめんね。そだ、朝ごはん何がいい? お金は気にしないでいいから好きなん言いな~」


 無駄遣いはするなと言ったイージスも目頭を押さえながら好きな物を好きなだけどうぞ、と言う。


 あーしは歩きながら忙しなく首を動かし、次々に飲食店を見つけてはキュエルっちに教えて反応を待つ。


 しかし、一向にキュエルっちは何を食べるか決めようとしない。


 いや、決められないと言った方が良さそう。


「マジで遠慮しなくていいんだよ。てかお腹すき過ぎてヤバイから早く決めてくんない」


 空腹感に負けたあーしに急かされたキュエルは頭を抱え、体の自由が無いので実際には抱えられていないが、朝食一つにそこまで悩むかと言うほど悩んで決断を下した。


(あ、あの、お任せします)


キュエルっちの答えに溜息を吐きながら、あーしはたまたま目に着いた食堂へと止まっていた足を進めた。


「これは色々教えていかなきゃっぽいね、おマヌケ天使」


「悪魔と同意見と言うのは遺憾ですが、そうですね」


 二人が何故自分に何かを教えなければと思ったのか、キュエルには訳が分からないのだった。

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