#2 造花と生花

「……ん、朝だ……」

 7月27日の朝が来た。

 網窓の外から、騒ぎ散らすアブラゼミたち。

 アブラゼミがやかましいのは、現代の東京と同じようだ。……否、アブラゼミは田舎のほうが確実に騒がしい。

「……やっぱり、ユメじゃなかった」

 昨日の出来事がユメならば、今頃は東京の自宅で起きていることだろう。しかし。

「ほんとに……タイムトリップしたんだ……」

 今は地元の実家で目を覚ましている。

 しかも、現代では片付いていた自分の部屋の内装が、そっくりそのまま戻っている。

「……ふぁぁ」

 タイムトリップという非日常を対面しているのに、それに似つかわしくないあくびを垂らす美莱ミライ

「ほんと、私ってスゴいことを体験してるなぁ……」

 そうして美莱は薄い掛け布団を蹴り飛ばす。布団からは少量のホコリが舞い、美莱はしかめっ面を浮かべた。

「……んー……」

 昨夜と同じように見渡してみるものの、やはり東京の自宅とはなにもかも違う。

 一つ目はアナログ時計の存在。時を刻む短針は6時、分を刻む長針は15分を示している。

 そして、二つ目が非常に重要な欠点なのだが……。

「……あっちぃ…………」

 そう、エアコンがないのだ。居間には流石に設置されているが、寝室にも設置出来るほど裕福でもない美莱の家庭。

 エアコンが当たり前になっている現代人の美莱は、久しぶりのエアコンがない就寝に悪戦苦闘を強いられていた。

「シャワー、浴びよ……」

 蒸し暑くて寝られる状況ではない。二度目しないで済むのは、唯一よいことと言えるだろう。


「ふう、さっぱり……」

 寝汗をぬるま湯で流し、清々しい気持ちで朝食を取った美莱は、学校の準備をしていた。久しぶりの学校生活にほんの少し心が躍る……かに思われたのだが。

「……昨日、サボったんだよなあ」

 昨夜もそのことがバレ、父と母に軽く叱られた。両親の説教はまだ優しいほうだが、学校の教師がなにを言い出すかなど、わかったものではない。

「はあ、ちょい憂鬱……」

 だが、連日行かないとなると、担任にこっぴどく叱られるのは目に見えているので、行かないという選択肢は絶たれていた。

「……さて、あいつの迎えに行きますか」

 そして、学校生活を楽しむということは、残り少ないかもしれない幼馴染との想い出を作ることと同義なのだ。

 六日後、幼馴染は何者かによって殺される。無論、全力を尽くしてそのような最期を回避するつもりなのは言うまでもない。

「いってきまーす」

「気をつけなさいねー」

「うんっ」

 母との会話もほどほどに、引き戸式の玄関から外に出て、物干し竿の側にある自転車に乗る。そのまま、のろのろと漕ぎ出した。

「うわー、自転車って難しい……」

 現代になって、自動車免許を取得している美莱は、約十年ぶりに自転車に乗ることになった。自転車の操作には、あまり自信がないようだ。

「……事故らないようにしよう」

 のろのろと徐行運転のまま、『月里ツキリ』という表札を掲げる実家を出発した。


「自転車漕ぐのも久しぶりだなあ」

 美莱は漕ぎ方を忘れていた自転車をなんとか動かしながら、田んぼのあぜ道を漕いでいた。

 幼馴染の自宅は、美莱の実家から少し南に進むところにある。例の幼馴染の父親はたしか、田んぼで米を作っている農家だったハズだ。そのため、田んぼの近くに家を構えている。

「……よし、着いた。華來カコー!」

 美莱の前にそびえる家の玄関先には、シンプルな書体で書かれた『上代カミシロ』の表札が掲げられている。

「華來ー! 華來ってばー!」

 大きく声を張り、幼馴染の名を繰り返し呼ぶ。

 華來はそこまで朝が得意ではない。このように大声で呼ばないと、大抵は眼を覚まさない。

 そして、二人の通う高校とは、昨日眼を覚ました墓地の奥の山裾に存在している。つまり、ここからだと徒歩では一時間強。自転車で急いだとしても、四十分は余裕に超えるのだ。

 現在、美莱の体内時計では7時10分を予想している。高校の始業時刻は遅くとも8時40分。そのため、そろそろ起きないと遅刻は揺るぎないモノになってしまう。

「華來ー!! はあ、まったく……」

 華來の家族も朝には弱いらしい。そのせいで、華來は起こしてもらえないことのほうが多いそうだ。仕方なく、美莱は華來の自室の外壁を叩きに行こうとした……。すると。

「おっはよー」

「華來! 起きてたなら返事してよ」

 ガラガラと引き戸をひらき、何食わぬ顔で登場する華來。まさに華來の性格を具現化したかのような行動だ。

「いやはや、今日はぱっちり眼が冴えちゃってね。久しぶりに朝読書をするという、悠々自適な朝を送ってましたよ」

「文章読むのへたくそなクセに?」

「ちぇっ、バレたか。でも、早起きは本当だぞ」

「わかったから。ほら、早く行くよ」

「へーい」

 急ぎ足で自転車を用意する華來を見つめる美莱。

 こんな何気ないやりとりも当たり前のことじゃないんだと、過去の美莱は気づけていなかった。でも、今は違う。そして、このやりとりを守るためにも、美莱はすべてを投げ打つ覚悟さえしていた。

 いざとなれば、身をていしてでも華來だけは守り通す、と。


「ふんふーん、ふんふんっふーん♪」

「……華來って、芸術スキルは高いよね。歌は上手いし、絵も描ける。おまけに華道は県の賞をもらえるレベル」

「まるでそれ以外はダメかのように言いやがって〜。いいでしょ〜? 芸術の天才みたいでかっこいいじゃん」

「それ以外は凡才ってね」

「そうそう。たまに手入れしないとダメだよね……」

「それは盆栽。……笑いのレベルも高いの?」

「笑いが芸術のくくりに入るかなー」

「入りそうだけどなあ」

 くだらない話に華を咲かせながら、自転車を漕ぎ進める二人。もちろん、並列走行である。

「ふぁぁ、ねみぃ……」

「ちゃんと前見なよー」

 こんなところで華來を失っては、最悪の場合、笑い話になってしまう。一度、華來を失った絶望を知っている美莱に笑うことは出来ないが。

「へいへい。……お、例の墓地を通過ー」

「例の墓地? なんかあったの?」

「ああ、なんかね。ある場所で眠ると、過去に飛ばされるっていう都市伝説……いや、地方伝説があるのよ。ここの墓地」

「えっ」

「おや。なんか心当たりでも?」

「……いや、思い違いかな」

「ほーん。……そういや、実際に未来から過去に飛ばされたやつが高校にいるとかいないとか」

「……! そ、そうなんだ……」

 直感で少し怪しいと思ってしまった。流石に疑り深すぎだろうかと、美莱は反省する。

「まあ、ほんのウワサよ。……お、高校が見えてきた。やっとついたよ」

「…………」

 まずは、そのウワサの学生を突き止めよう。そうすれば、華來の死の真相もわかるかもしれない。

(華來……あなたを絶対に死なせはしないから)




 お昼休み、3-2の教室。美莱と華來は話をしていた。

 ちなみにウワサの学生の調査は、あまりにも学生の情報がないので、有力な情報を手に入れるまでは断念するようだ。

「ひえー、めちゃくちゃ怒られたねえ」

「ほんとほんと。あんな怒んなくてもいいじゃんか」

 案の定、担任からこっぴどく叱られたらしい。学校を無断で欠席したのだから、当たり前ではあるが。

「それじゃあ、お昼食べようよー」

「どこで食べるの?」

「ここでよくない?」

「……あー、屋上に行かない?」

 そう言うと、周りを警戒する華來。

「ええ? でも、この高校は屋上に入るの禁止だし」

「大丈夫だよ。それに昨日の非行よりも悪いことはしてないって」

 華來の甘い悪魔のささやきが、美莱の小さな良心を消し去る。美莱の心の中に、華來の顔をした小さな悪魔が芽生えた。

「……それもそっか。じゃ、行こ行こ」

「決まりっ。さあ、早く行こー」

 そうして、いそいそと教室を立ち去る二人。その二人の言動に、ほとんどのクラスメイトは気にも留めていない。

「……ふーん」

 ただ……一人を除いて。


「なんちゅう硬い扉だ……」

「これじゃあひらかないね」

 屋上の扉前で考えあぐねる二人。

 だれもが入ることを諦めるような硬い扉。おそらく扉は長いことひらかれてはおらず、そのせいで扉前の空間はホコリを蔓延させていた。

「けほけほ、ホコリっぽすぎでしょ」

「流石にこの中で食べるのはなあ。なんとかしてひらかないものか……」

「……戻る?」

「だね」

 仕方なく、階下に降りようとする二人。

 カツ、カツカツ。

(……脚音?)

 いち早く美莱が異変に気づき、華來といっしょに物陰に隠れる。

「か、華來……どうかした?」

「しっ、だれか来る……」

 もわもわと立ち込めるホコリに顔をしかめながら、二人はじっと物陰に隠れる。教師が巡回しに来たのかと考える美莱……だったのだが。

「……あれ? いない」

 美莱の予報とは異なり、姿を見せたのは本校生徒と思われる男子。

(教師じゃない……?)

「ここじゃないのか」

 カツ、カツカツ。

 そう吐き捨てると、その男子校生は階下へと戻っていく。

 なにかを探しているそぶりだったが、一体なにをしたかったのだろうか。

(あれはたしか……うちのクラスの男子)

 名前はなんだっただろうかと、頭をぐるぐる回転させる。ホコリが鬱陶しくて、考えがなかなかまとまらない。

 ……だが、思考を止めなくてはならない事態が起きていることに、美莱はすぐさま気づく。

「……っ」

(華來、震えてる……?)

 美莱の思考がぐちゃぐちゃに掻き乱される。

 華來が怯えるところなんて、一度も見たことがない。どうしたものか。……しかし、努めて冷静に考え直す。

 今、やるべきなのは例の男子高生を特定することではない。華來を落ち着かせることを優先すべきだろう。

「大丈夫……?」

 ぎゅうっと優しく抱きしめる。すると、華來も徐々に落ち着きを取り戻し、ぽつりぽつりとつぶやき始める。

「ありがとう……。私、あいつがニガテなんだ」

「そうだったんだ。……名前は?」

「あいつは『未和イマワ 凪芽ナキメ』。なにかと私に絡んできて、その度に私に話しかけてくる。それだけならまだいいの。でも……」

「『でも』?」

「私の好きなモノとか好きな歌手とか、なにもかもぜんぶ把握してるんだ。この前なんて、美莱と遊んでた場所を特定された。今さっきのも、たぶん私を探しに来たんだと思う。……私、あいつが怖い」

 華來が怯えるのもわかるほど、言動面に問題がある生徒のようだ。

「そんなのストーカーじゃん! 学校側に報告しないと!」

「したよっ。でも、証拠がまったく上がらなくて……。結局、私の被害妄想ってところに落ち着いた」

「なに、それ……」

 こんなときには役立たずな学校側と、あの未和と呼ばれた男に怒りを湧かせる美莱。それほど、未和という男は華來に気を寄せているのだろうか。

 ……そして、ある一つの仮説に辿り着いた。

(……まさか、あの男が華來を殺した犯人なんじゃ……)

 華來に付きまとう、怪しすぎる男。華來に対して、拗れた恋情を抱いていてもおかしくない様子だ。

「……でも、今日は美莱がずっと側にいてくれたから、あまり話しかけられなかった。ありがとう」

「ううん。……なにかあれば、私に言うんだよ? 華來が苦しんでいるのなら、私は助けになるから」

「……ほんと、たまには頼りになるよね」

「正直に感謝出来ないのか、あんたは」

 ホコリの中にまみれながら、くすくすと笑い合う二人。

 華來を失った絶望を知っている今の美莱ならば、華來を救うために火の中や水の底だろうと駆けつけるだろう。

(絶対に死なせたりしない。華來が見据えている未来を、私も見てみたいもん)

 華來を殺した容疑者の一人をようやく見つけ、美莱はほっと胸を撫でた。このまま見つからなかったら、対策すらままならない。だが、真相に一つ近づけた。

(……あの男は警戒しておくに越したことはないかな……)

 あんな男に華來を殺されてなるものかと、美莱は改めて決心するのだった。


 未和による不審な行動もなく、無事に今日の授業が終了した。帰りもいっしょなので、流石に安心は出来るだろう。

「ふー、午後の授業も終わりー」

「体育だるかったねえ」

「ほんとほんと。バスケなんて能力ないと活躍出来ないし、能力ない私らは疲れるだけよ。……よし、帰ろー」

「え? なに言ってんの? 今日は部活あるじゃん」

「え??」

 華來のひとことを聴き、とっさに昔の記憶を遡っていく美莱。

 ……たしか、高校の頃の部活は……。

「……ああ、華道部ね」

「そそ。部員が二人、新入部員が一人の廃部寸前のところだよ」

 花が好きな華來に誘われて、いっしょに入部した頃が想い起こされる。その部活の実態は、今は卒業した三年と二年の先輩二人が細々と活動しているわけだったのだが。

「……えーと、どこでやってたっけ?」

「はあ? ……ったく、こっちだよー」

「ごめんごめん。最近さ、モノ忘れが激しくてね」

「……美莱ってば、昨日から急におかしくなったよね。まあ、なんかあったんでしょ? あえて聴かないけどさ」

 それを聴いて、美莱は少し微笑んでいた。それもそうだ。二度と会えないと想っていた故人と再会出来たのだから。

「……ふふ、まあね」

「やっぱり。でも、部活の手を抜くのは許さんからなー」

「は〜い。部長サマの仰せの通りに〜」

 華道部の現部長が華來だったこともここで想い出し、想い出したてのその事実を混ぜて、華來をわざとらしく崇め奉る。その口調には27歳の美莱にはなかった、生き生きとした雰囲気が見え隠れしていた。




「ふ〜、落ち着くわー」

 エアコンが適度に効いた、畳の香りが立ち込める部屋。

(あー、懐かしい……!)

 床板や地袋の上に、美莱の作品と華來の作品が置かれている。

 ただ、その中に一つ、見覚えのない作品が飾ってあった。

「……あれ。この作品は?」

「え? ああ、新入部員ちゃんのやつじゃない? たぶん、昨日作ったんだと思うよ」

 ネームプレートには、『黎乃クロノ 《楓 > カエデ》』と書かれている。

 華來が作った、花を最大限に生かした生命の鼓動を感じさせる生花には届かないながらも、一年生とは思えないほどの生花の完成度だ。華道の才能を伺わせる。

(……あれ? 華道部に新入部員なんていたっけ……?)

 どうやら、美莱の記憶によると、華道部は華來たちの代で廃部になったようだ。

(……おかしいなあ……)

 なにしろ十年前の記憶なので、記憶の齟齬そごが起こっていてもおかしくはない。

 ……だが、美莱にとっての高校の記憶は華來との最後の想い出だったので、今でも明快に覚えているのである。その分、華來を失った後の記憶はまったく鮮明ではなかったが。

「……あ、先輩方。こんにちは」

 ぐるぐると頭を巡らせている最中、部室に入ってくる少女が一人。

 黒鉄のような藍色のミディアムロングを揺らして、こくりと頭を下げている。どことなくクールな印象だ。

(……ん? こんな娘、華道部にいたっけ……?)

 例の新入部員ちゃんと面を合わせたことで、美莱の違和感が決定的なものになる。華道部に新入部員などいなかったハズだ、と。

「黎乃ちゃん! 昨日は部活行けなくてごめんね」

「いえ。一人の時間も好きですので。でも、一体なにをしてたんですか?」

「ふふ、二人で非行やってたの〜。ね、美莱。学校抜け出して遊んだよね」

「えっ、あ、うん」

 がしっと肩を組んで、にかにかと笑う華來。に、対して……。

「……美莱先輩? どうしたんです? そんな顔をして」

「え?」

「……わっ、ほんとだ。顔色悪いぞー。寝不足かぁ?」

「だ、大丈夫。ちょっと眠いだけ……」

「そうですか? なら、いいんですが……」

 こう誤魔化して、もう一度、目の前にいる謎の少女について考える。

(……面と向かって会ったことはない。喋ったこともない。……見たことはある、よね……?)

 この違和感に対する応えを過去の自分に求める美莱だが、違和感の真偽に近づく応えは得られず、さらに苦虫を噛み潰したような微妙な表情に陥るのだった。

(黎乃……って娘も怪しい……? 私の考えすぎ……??)

 だが、注意を払っておいて損はないだろう。未和に続いて、二人目の容疑者だ。

「それにしてもさー、この作品かわいいじゃん! 黎乃ちゃんが作ったんでしょ?」

「はい。先輩方の作品を参考にして……。まだ拙いですが、我ながらよく出来たと思います」

「いやはや、才能あるんじゃない? テニス部と兼部してさ、そのどっちでも才能の頭角を出すなんてスゴいよ! しかも、華道は未経験なのに!」

(て、テニス部と兼部……?)

 『テニス部』というワードで記憶の荒波からなにかを探しているようだが、それがなかなか想い出せない。

「ふふ、そんなことありませんよ。それに華道の才だけで言えば、華來先輩のほうが圧倒的ですから」

「お、褒め上手なんだから〜。もーっ」

「ひゃあっ! ちょ、ちょっと!」

 華來はにへへと顔に喜びを滲ませ、美莱の背中をどんどんと叩く。突然のことに驚く美莱。

「ああ、ごめんごめん。それじゃあ、部活始めるぞー」

「う、うん」

「はいっ」

(……まあ、後でいいかな。情報があるわけでもないし。……それに華來との部活は、久しぶりだし……!!)

 難しいことは後でまとめて整理しよう。

 そう心に決めて、久しぶりの部活を楽しもうとする美莱であった。


「よし、完成っ!」

「「おお……!」」

 今回は三人で知恵を出し合いながら、一つの作品を手掛けることになった。華來の天才的な華道の才能もあって、約一時間で完成した。

「先輩、スゴいですっ」

「へへ、そうかな〜」

「ちょっとちょっと。私も一応、手を加えてるんだからね」

「はいっ。美莱先輩のアイデアも、華來先輩が気づかない視点からのものが多くて、参考になります」

「ぐっ、美莱のクセに生意気な〜!」

 どこかのガキ大将や嫌味なやつの常套句じょうとうくみたいなせりふを口走り、むむむと対抗心を燃やす華來。

「そういう黎乃さんもスゴいよ! 本当に華道未経験なの!? って感じー」

 作品を作っているあいだに、黎乃を見て感じたことをそのまま伝える。

 美莱の黎乃に対する印象はクールで無愛想な娘、というものだったが、少し話すだけで印象というのは変わるもので。褒めるときはどこがいいのかを詳しく褒めてくれるし、逆に褒め返したら顔をほのかに赤く染めていて、不覚にもそのギャップをかわいいと思ってしまっていた。

 そんな黎乃を純粋に褒めたくなった美莱。だったのだが。

「……黎乃『さん』? あんた、私みたいに黎乃『ちゃん』っていつも言ってたじゃん?」

「……え? そう?」

「……美莱先輩? 具合でも悪いんですか? 製作中もずっと、私のことを『あなた』って呼んでましたけど、そこまで他人行儀な人でしたっけ?」

「……あー、ごめんごめん。今日ね、なんか調子悪くて……」

 美莱は上手く誤魔化したと思っているようだが、未だに美莱へ好奇のまなざしを向けている二人。

「美莱さ、昨日からおかしいよね?」

「え? そ、そんなことないって」

「華來先輩、それは本当ですか? ……詳しく話を聴かせてください」

 ……マズいかもと、考える美莱。

 今の美莱は未来の記憶を持っているのだとバレてしまえば、無駄に目立ってしまい、華來を殺した犯人も警戒して、美莱の前に出てこない可能性もある。

 華來を殺した犯人を突き止めないと、いつまでも華來は狙われ、美莱が不在のときに殺されてしまう可能性も高くなる。それでは、華來を救えたとは言えない。

「……あー、お水飲んでくるっ」

「ちょっ、逃げるなあ! ここに水筒あるだろーっ!」

「先輩、大丈夫ですよ。……むしろ、好都合です」

 黎乃はそう言うと、なにかを考察するように顎に手を当てて首をかしげていた。




「はあー、なんとか逃げれた……」

 部室がある北の棟から大きく離れ、生徒のクラスが並ぶ南の棟へと逃げ込んだ美莱。

 二階の女子トイレ前に設置してある洗面所で、額にじっとりとかいた冷や汗を流し落とす。

「ふう、危ない危ない……」

 近い将来、華來が殺されてしまうことを、華來には伝えられていない美莱。あまり不安にさせるものでもないし、もしもそのことを嘘だと思われてしまえば、美莱に『悪質な嘘をついているやつ』というレッテルが張られて、動きにくくなると考えたからだ。

 そんな嘘をついたところで、華來は美莱を見捨てたりはしないだろうが、それでも隠し通しておくのは正解だろう。

「……そろそろ戻るか」

「ねえ」

「……!!」

 急に後ろから話しかけられ、びくっと身体を震わせる美莱。そのままの状態で振り向くと、そこにいたのは。

「い、未和……くん」

 華來に付きまとう例の男、だった。

「へえ、僕の姓を覚えていてくれたのか。だがあいにく、キミの名前は存じ上げないんだ。ごめんね」

 張り付いたような笑顔が恐ろしい。こいつは心から笑ってはいないのだと、すぐにわかるほどだ。

「……な、なんの用?」

「なんでもないよ。キミがぶつぶつなにかを言っていたから、具合でも悪いのかと思って」

「ど、どうも……。じゃあ……これで……」

 この男はなにかおかしい。

 あの神社に赴いたときの恐怖を想い出し、そそくさと去ろうとする美莱。

「……まだ話は終わっていないが」

「……っ!!」

 その瞬間、地獄から這い上がってきた亡者のような声を上げる未和。その声色に脚が凍り付き、身体が強張る。

「キミさ、華來さんとよくいっしょにいるじゃないか」

「そ、それが……?」

「華來さんのすべてを僕に教えてくれよ。キミはあの娘の幼馴染だろう?」

「ど、どうしてそれを……? 私の名前は知らないんじゃ……」

「名前を覚えていなくとも、華來さんに関することなら覚えているからね」

 こいつはヤバい。そう直感し、逃げ出そうとする美莱。

 しかし、身体が動かない。恐ろしい蛇に睨まれたか弱い蛙のように、ぴくりとも動けない。

(ヤバいヤバい……! 殺されてもおかしくない!)

 華來のことを教えてくれるまで、こいつはここを離れない。一体どうしたら、この状況を打破出来るのか……。

「……怯えなくてもいいじゃないか。ただ、キミがよく知る幼馴染の情報を吐けばいい。僕も色々知ってはいるが、まだまだ不完全なんでね」

「……い、イヤ……! あんたなんかに……教えない……!」

「…………は?」

 一瞬、張り付いた笑顔の仮面が剥がれる未和。恐ろしい形相だ。だが、すぐに笑顔の仮面は再生し、またあの笑顔を蘇らせている。

 高圧的な未和の態度に、美莱は心が折れそうになっていた。

「……あんた、華來になにする、つもり? まあ、どんな理由でも吐きはしない、けど…………!」

「……へえ。そうかそうか。それじゃあ、仕方ないね」

 その瞬間、未和のスクールバッグに空いた隙間へ夕陽が立ち入り、なにかに反射して美莱に目掛けてチカっと煌めく。

(な、なに、今の……? 鏡でも入っているの……?)

 そんなことを考えていると、のっぺりとした微笑みも崩さず、のそのそと近づいてくる未和に気づいた。

 本能が告げる。逃げろ、と。

(う、動け! 私の脚、動けってば!!)

 生存本能すらも、この男の前では意味を成さない。美莱にとって、この男は地獄の底よりも恐ろしいのだ。

「……強引な策は取りたくないんだが、仕方ない。せっかく、あの娘の幼馴染と二人きりで対面出来たしね」

「ひっ……!」

 なにがなんでも、美莱に華來の情報を吐かせる気らしい。どんなに強引な手段でも、絶対に華來の情報は吐かないと覚悟を決め、歯を食いしばる。

 タッタッタッ、タッタッタッ。

「美莱先輩っ!!」

「く、黎乃ちゃんっ!!」

 そのとき、すんでのところで藍色の救世主メシアが駆けつけてきた。

「チッ、邪魔が入ったか……。じゃあ、僕はこれで」

 より怪しく微笑み、美莱の横を通り抜けようとする未和。

「……名前は覚えたよ。美莱サン」

「……!!」

 美莱のすぐ横に差し掛かったとき、そうつぶやく。

 そのまま、階下へと向かっていく未和。カツカツという上履きの音が、まるで地獄に響く音色のように聴こえる。

「……はぁぁ……!」

「美莱先輩、大丈夫ですか!?」

「な、なんとか……。はあ、怖かったよお……!」

 この世の邪悪をまとめて固めたような男と対面して、美莱の神経はごっそり削られていたようだ。

 へなへなと床に座り込み、助けに来てくれた黎乃を抱きしめる。

「は、恥ずかしいんですけど……」

「あ、ごめんねっ。でも、どうして助けに?」

「……少し考えたいことがあって、部活を途中で抜けることにしたんです。それで昇降口に向かおうとしたら、あなたが怪しい男に絡まれていて、ただごとでない様子だったので」

「そっか。本当にありがとう!」

「……それよりも聴きたいことがあります。あの男、未和ですよね?」

「う、うん。知ってるの?」

「……ええ。よく、知っています」

 まるで何日間も相対したことがあるような口ぶりだ。

 未和は三年で、黎乃は一年……なんの繋がりがあるのだろうか。

「え? それって……」

「……すみません。すぐに帰らないといけないんです。調べたいことが増えてしまったので」

「う、うん。じゃ、気をつけて」

「はい。……それともう一つ」

 黎乃はひと呼吸置いて、こう告げた。

「華來先輩から、片時も離れないであげてください」

「え……?」

「では、これで」

 そこまで言うと、脚早に階下へと向かう黎乃。

 あの謎の少女もどこか怪しい。なにか秘密を握っているのは間違いないだろう。その秘密がどんな内容なのかが重要そうだ。

「……と、とにかく、華來のところに戻ろう」

 先ほどの発言が気になって、こちらも脚早に部室へと向かう。

(『片時も離れないで』か……)

 黎乃の発言を何度も反芻はんすうして、自分の心に刻み込む美莱だった。




「あー、やっと帰ってきたか」

「ご、ごめんごめん。……そういえば、黎乃ちゃんとはなにを話してたの?」

「あっ、『ちゃん』づけに戻ってる。……で、なにを話してたのかって? そうだなあ。私の華來に対する印象とか、その他諸々」

「そ、そう……」

 華來を殺した犯人が黎乃であるならば、少しおかしな行動になる。なぜ、華來を調べずに美莱のことを調べるのだろうか。

(私のことなんて調べて、なにをする気なんだろう……)

「それはそうと。今日の部活はもう終わり! 帰るよっ」

「も、もう?」

「なんかさ、お昼休みはあいつのこともあったし、今日は疲れたの。黎乃ちゃんも帰っちゃったしさー」

(あいつ……未和のことか……)

 未和のことを伝えるべきか、美莱は悩んでいた。

 先ほど絡まれたことを伝えて、華來にもっと警戒してもらうほうがよいだろうか。

「あの、未和のこと……なんだけど……」

「……なんかあったの? じゃあほら、スクールバッグ。帰りながら聴くよ」

「あ、ありがとう」

 美莱は華來の手からバッグを受け取り、華來は忘れものを確認して部室の鍵を閉めるのだった。




「ひえー、そんなことが」

「そうなんだよ。私、ほんとに殺されるかと思った」

「黎乃ちゃんサマサマだね〜。あとで褒めてあげよー」

「もちろん! もしかしたら、生命いのちの恩人かもしれないし!」

「……にしても、未和のやつ……美莱まで手に掛けようとするなんて。私だけで充分だよ」

「いや、華來も傷つけはさせないよ。だから、そんなこと言わないで」

「……ふ、ふーん? 少しはかっこいいじゃん??」

「えー、なに? かわいいおみみが真っ赤ですこと〜」

「う、うっさいわい!」

 チリンチリンと自転車のベルを威嚇に使う華來。それに加えて、薄紫色のミディアムストレートヘアーを揺らして、がるるると虎のように威嚇している。対する美莱は、長く美しい白銀の髪を風にたなびかせ、くすくすと笑っている。

 田んぼのあぜ道に伸びる二つの影は、とても仲がよさそうにじゃれあっていた。


 華來の余命まで、残り今日の夜中と丸々五日間。

 華來の死に関わっていそうな二人の容疑者も浮上し、少しずつ華來の死の真相に近づいていく美莱なのであった。


 《続》

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