童話世界日記――彼女との旅の記録――

歪 形

無様な灰被(はいかぶ)り(上) 1(全35回)

「返却をお願いします」


 そう言って彼が差し出した本を見て、司書は苦笑を浮かべた。


「これ、ちゃんと読めた?」


 司書の問いに、彼は真面目な顔で静かに、


「正直に言うと……よく解かりませんでした」

「でしょうね。折口信夫なんて中学生が読むものじゃない」

「じゃあ中学校の図書室に置かないで下さいよ」


 そう非難しても司書は、「それはこの本を買った時の司書さんに言って」と涼しい顔。


 彼は仕方なさそうに笑って、


「あ、でも『貴種流離譚きしゅりゅうりたん』って言葉は覚えました」

「また中学生らしからぬ言葉を……はい。これで全て返却済みです」

「どうも」


 頭を下げて、彼はカウンターから離れて書架の方へ。


 その背を見送りながら、司書はやはり苦笑する。


 そちらの棚に行く学生など彼くらいのものだ。


「もうすぐ昼休み終わるから早くね?」


 他の学生は既に退席している。


 それ故、司書は周囲を気にすることなく大きな声で、姿の見えぬ彼にそう言った。


「わかってます」


 いつもと変わらぬ落ち着いた声が、部屋の奥から聞こえてきた。



●●●



 そうして、それがこの世界で彼の発した最後の言葉となった。


 午後の授業の開始を告げる鐘。


 それが鳴って司書がのぞいた時、書架しょかに彼の姿はなかった。


 異常なことが起こったのは明白だった。


 その床には、最前まで彼が身につけていた制服が、無造作に重なっていたから。


 衣服だけ残して、彼の体のみが、この世界から掻き消えてしまっていた。

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