天ノ血―傭兵サカイは依頼とともに永遠を生きる―

泡沫 希生

一 天ノ血を求めて

天ノ人からの依頼

 血が欲しい、とサカイは思った。天ノ人あまのびとの血に対する欲求が日に日に強くなってきている。

 最後に天ノ人から仕事を受けたのは一月ほど前だから、頃合いではあった。地ノ人ちのびと相手の傭兵業はそこそこはかどり、懐も今は温かいほうだが、それだけではサカイは生きていけない。

 サカイは、ふうっと深く息を吐いた。腰に帯びた剣と身につけた防具がわずかに音を立てる。

 大木にもたれていた体を起こすと、木々の間から空を見上げた。日に焼けた肌によく映える、薄紫色の髪がさらりと揺れた。背中まで伸びた髪は、丹念に三つ編みがされている。サカイはすらりと伸びた背に細めの端正な顔立ちをしており、見たところは好青年に見える。実のところ彼の口の悪さから、喋らなければ良い男だと称されることも少なくない。

 地ノ人が寄り付かない深い森。青々とした樹木が鬱蒼としげるこの森は、陽光を年中妨げる。この森の木々は不思議なことに枯れることがなく葉を付け続けるために、地ノ人はこの森を恐れを込めて変わらずの森と呼ぶ。

 こういった、地ノ人が寄り付かない場所を、サカイはよく拠点とする。傭兵の仕事があればそれに伴って移動をし、仕事が終われば、地ノ人が寄り付かない場所を探しそこに留まる。しばらくそこで過ごしてから表へと出て、傭兵の仕事を探す。

 サカイは、同じことを幾度も幾度も繰り返しながら生きてきた。


「さて、今回はどうなることかね」


 他人事のように、ぽつりと彼は呟いた。このままだと彼は死ぬことになるが、サカイは天ノ人を襲ってまで生きるつもりはない。

 今のような状態には何度も陥ってきた。その度に彼は思うのだ。ようやく死ぬ時が来たのかと。死ぬのを待っているのかと言われれば少し違う。ただ、長く生きていると、時に死ぬのも悪くないのではないか、そんな思いがサカイの頭を過ぎる時がある。


 ふと、サカイは周りの空気が変わった事に気づいた。それまで森を覆っていた、湿気を含んだ空気が爽やかな物にへと変じている。それに、サカイにとっては馴染みのあるの匂いも向こうから流れてきた。

 空気の流れてきた先を見てみると、少し離れた木々の間に男が立っている。先ほどまで、そこには誰もいなかったはずなのに。

 サカイは体をそちらに向けた。その拍子に、足元に置かれている彼の荷物からカチャリとかすかな音が立つ。


「あなたが、サカイか」


 現れた男は、サカイに近づくなりそう言った。日光に当たったことがないのであろう白い肌に、一つ結びにされた白髪を持つ姿は、暗い森の中でぼんやりと浮かび上がって見える。

 一枚の布を纏っているかのような長い服も白。天ノ人は白雲から生まれるから白く儚いのだ――とは地ノ人の古い言い伝えによく出てくる話だ。白以外の髪を持つ天ノ人もいるものの、彼らは総じて薄い色素の髪や瞳を有し、それに合わせるように白い服を良く着ている。


「あなたが助けてくれると聞いた。天ノ人の頼みを聞き、叶えてくれる人だと」


 サカイは、見定めるような鋭い視線を男に送った。


「血を流す覚悟があんたにはあるのかい」

「無論、対価は支払うつもりだ」


 天ノ人は、懐から鋭い大きな鋏を取りだした。刃が丹念に研がれたそれを、ゆっくりと己の手首に近づけていく。


「なるほど、確かに本気らしいな」


 サカイは納得したように首を上下させてから、足元に置かれた袋の紐を緩め、中身を探り始めた。取り出したのは、金属で出来た縦長のさかずき。長年使われているのか表面は傷が目立つ。


「なら、遠慮なく頂くとするぜ」


 サカイは杯の口を、天ノ人の手首に近づけた。

 天ノ人は息を一つ吸うと、片手で持った鋏で、片方の手首を切った。切られた傷から赤い血が流れ、杯の中に落ちていく。

 杯の真中ほどが赤い血で満たされた頃、天ノ人の手首の傷は何事もなかったように塞がり始めた。怪我をした跡まで分からなくなるほどに、傷は癒えてしまう。

 サカイは、杯の中身を確認してから、躊躇ためらうことなく杯をあおった。血を飲み干すと、サカイはニヤリとした笑みを浮かべた。


「さて、対価を貰った以上、仕事をしないといけねぇな」

「まずは私の名前から。私は、キ=セァラ」

「セァラ、ね。相変わらず天ノ人は舌を噛むような名前をしてやがる」


 セァラはサカイの言葉に気分を害した様子はない。杯の方に気を取られているようだった。中身はすっかり空になっている。


「あなたは本当に、私たちの血を飲んでも狂わないのだな」

「俺は天ノ血あまのちがないと生きられないだからな。だが、他の地ノ人だって最初から狂うわけじゃないぜ。何度も天ノ血を飲んでいるうちに、血に魅せられて正気を失って狂い、乾きで死ぬわけだからな」

「私は百五十年ほど生きているが、あなたは、どのくらい生きているんだ?」

「百と、二十三くらいだな。普通の地ノ人からすれば、俺もあんたとさほど変わらない永遠に生きる化け物ってわけだ」


 サカイもセァラも見た目は二十代の半ばほどに見えるが、二人ともはるかに長い時を生きているということになる。


「無駄話はここまでだ。ひとまず、あんたの依頼を聞かせてもらうぜ」


 サカイは言うやいなや、空いている手で荷物を掴み歩き始めた。セァラは頷くと、その後を追った。


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