第37話 エスカを愛する者たち【ライラ目線】

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 抵抗した。だが最後には、魔法で従わされた。


 鞭を振るう。血が飛び散る。明らかに、見えてはいけない奥まで見えて……治る。


 べったりと返り血がついたまま、また鞭を振るう。何度も、なんども。



 魔力の制御のし過ぎで神経がくたびれ、鞭が持てなくなる頃。


 物言わず、ずっとほほ笑んでいた彼女と、目が合った。


 その笑顔の意味が分からなくて、怖くて、避けていたのに。最後に、目が合った。



 不思議な声が聴こえた。直接頭に響いた。


 大丈夫だからと、私を気遣う声が。


 心を震わせた。



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 ◇ ◇ ◇



「……業の深い子ね」


 聞き覚えのある、だが決定的に違う声を聴いて、ライラは目を覚ました。

 正面の椅子に、いつの間にかメリーが座っていた。

 そしてライラはぼんやりと、自分が作業中に眠りに落ちていたことを自覚した。


 メリーは、ライラの姉と同じ顔、同じ瞳で……ライラの手元を見ている。

 そこには、大きな布があった。人ひとりが、くるまれるほどの。

 それは彼女の想いの、結晶だった。


 人に言えない、秘められた気持ちの。


 頭がはっきりしてきたライラは、メリーがこの布を見て言ったのだとようやく理解した。

 そして辺りを見渡す。彼女が気持ちを向ける相手は……いなかった。

 そういえば途中で、エスド子爵らの方へ戻ると、聞いた覚えがある。


 改めて、視線をメリーに戻す。

 エスカそっくりの、謎の存在。

 そして……自分の、同類。


「……あなたに言われたくは、ないのだけれど」


 そう。

 でエスカを見る女に、言われたくはないものだ。


「同性はともかく、同族愛は感心しないわ」


 メリーが何でもないことのように、応えた。

 果たして、ライラの直感は当たっていたようで。

 向こうにも、見透かされていたようだ。


 メリーは薄く笑っている。感心しないという風ではない。

 明らかに歓迎している顔だ。


 ライラは不思議な心地がしていた。

 この気持ちは、決して口にできないと思っていたのに。

 こうも簡単に人と言い合うことになろうとは……さんざん、布を通して自身と向き合ったせいだろうか。


 息を吐き、ライラは意識をメリーに戻す。

 彼女は「同族」という、気になる言い回しをしていた。

 ライラは、自身のことはいったん置いて、そのことを尋ねた。


「……エスカとあなたたちハッピーは、違うのね?」


 エスカを同じように想っているのに、同族愛に釘を刺す。

 そこから感じた違和感を、そのままメリーにぶつけた。


 メリーは目を丸くする。

 それから、笑みを柔らかくした。


「ええ。近いけど厳密には違う。共生関係にあるの。

 そしてあなたは、エスカと同一種になりつつある。

 血を……浴び過ぎたからでしょうね」


 今度は、ライラが目を見開いた。

 先ほど見た夢。忌まわしい現実。

 そして聞こえた声。


 今も本人がいないのに、時々聞こえることのある……姉の優しい、声。


 同族、という表現が。

 不意に実感を伴って、浸透する。

 ライラの瞳から、止める間もなく一筋の滴が流れた。


 熱く、歓喜の籠った、涙。


「そう。喜ばしい話だわ」

「……羨ましい」


 メリーが少し、寂しそうに言う。

 ライラはそっと目元を拭ってから。


「メイル様には、そうは言わないのね?」


 ここのところ不思議に思っていたことを、メリーに聞いた。

 この女がいながら、メイルとの婚姻話は進んでいるようなのだ。

 なぜ、メリーは止めようとしないのか。


「エスカが惹かれているもの。それに」

「……それに?」

に寿命はないわ」


 メリーは艶やかにほほ笑んだ。

 この「私たち」とはハッピー及び、エスカ。

 そして……先々のライラを指すのだと、彼女は理解した。


 なるほど、メイルの死後を考えているということか。

 確かに……姉が永きを生きるというのならば。

 今一時の恋など、そう大したことではない。


 ライラは胸の痛みが、少し和らいだような気がした。

 

 しかし、ここまで聞いたライラの脳裏に、また別のことが思い浮かんだ。

 寿命すらない、不可思議な者たち。

 エスカを長年手中に収めていた奴らが、そのことを知らぬわけがない。


 そしてエスカは、父や母、兄にとても怯えていた。

 場合によっては、彼らもまた。


「素敵な話ね。それで」


 ライラは右手を広げ、少しの意識をかける。

 彼女の織った布が丸まりながら圧縮され、その手の内に収まった。

 そうして視線を鋭くし、続ける。


「ロイズは?」

「……あそこは、巣ね。

 私たちとも、エスカとも違う別種。

 我々共通の敵、その巣」


 メリーは穏やかに答えた。

 やはりそうかと、ライラは納得した。

 ロイズが敵、ではなく。敵の「巣」。敵自体は別にいるということだ。


 漠然と感じていたことだ。彼らはおかしい。

 エスカを飼い殺しながら、止めは刺さない。

 かと思えば、急に解放した。


 自身の意思で為していたことではなく、何者かの指示だったとすれば、得心する。

 ……だからといって、彼らの、ライラ自身の所業が許されるわけもないのだが。


 ライラは拳を、ゆっくりと握り締めた。

 エスカを苦しめた、怨敵の名を。

 自分が滅するべき者の名を、聞かねばならない。

 

「……敵の名は」

「『メリー』」


 ライラは眉を潜めた。

 それは目の前の女と、同じ名。

 ……だがおそらく、違う者の名なのだと、直感する。


「『とてもメリー・幸運ラッキー嫉妬エンヴィー』」


 メリーが、噛んで含めるように続けた。


 ライラは知らない話だが。

 そのメリーこそ、小説の示す『嫉妬の怪物』。

 本来のメイルの、妻となる人物だった。


「この名前。エスカに聞かせてはダメよ?」

「なぜ」

「あの子の身の内に封印されている分が、外に出てしまう。

 解放されて、本体に戻るのは良くない。

 アレをどうにかするために、テリーを用意したのだし」


 メリーはライラの手元を見た。


「あなたにも、期待しているの」


 ライラは布をおさめている、右の手に視線を落とした。

 一度開いて、その中の小さな布の固まりを見る。


 そして先の話を踏まえ、メリーの言う「期待」が意味するところを理解した。

 この布には、ライラのすべてが詰まっている。

 エスカの同族たる、自分のすべてが。


 それがきっと、敵からエスカを守ってくれるのだろう。


(私でも……あのエスカの役に、立てる)


 しかし実感が今一つ湧かず、胸中でつぶやく。

 エスカはすごい。

 ウィンドに来て、その認識はさらに強まった。


 ロイズの書類仕事を一手に引き受けるほど、高い知性と能力。

 鞭で打たれ、死を迎えようともライラを気遣う精神性。

 飢えて細ろうとも幸福を見出す、気高い魂。


 それに加えて。

 巨漢を投げ飛ばす、見事な武術まで心得ていた。

 魔法は使えないとのことだったが、それなのに魔法を作れてしまう。


 縫物くらいしかできない自分でも、そんな彼女の、役に立てる。

 そのことは、とてもとても嬉しい。

 だが……それだけで、いいのだろうか。


 で、いいのだろうか。

 否、と。手の内の布が。

 自身の思いの丈が、叫んでいるような気がした。


 ライラはそっと、拳を握り締めた。


 この拳は、あのカニの固い甲羅を殴っても傷一つ付かなかった。

 武芸など嗜んではいないが、こんなものでも、ひょっとしたら。

 この布が、エスカを守れるのであれば。


「……メリー」


 ライラは拳を、強く強く握り締める。

 両の手が一度ずつ、ごきり、と鳴る。


「何かしら」

が期待に応えても、いいのね?」


 攻撃魔法も、戦いも……人を傷つけるのも、嫌だ。

 魔法自体も苦手で、大した役には立てないと思っていた。

 それでも。


 彼女が自分に、魔法をくれた。

 そしてここには、力がある。

 エスカに敵がいるのなら。


 戦おう。


「……もちろんよ」


 メリーはライラの瞳を真っ直ぐに見て。

 しかし、弱弱しく続けた。


「だから、エスカの一番そばにいてほしいのよ、ライラ」


 ライラは思わず鋭く、彼女を見返した。

 力なくほほ笑む、メリー。

 その意図は、ライラにはわからなかったが。


 ライラの赤い瞳が輝き、燃え上がる。

 メリーの答えは、望むところではある。

 だが、


 自分が一番になるというのなら。

 メリーはどうなるというのか。


「私は、あなたがエスカから離れるのを許さないわ、メリー」


 凄絶な笑みを乗せた、ライラの返しに。

 メリーは口を開け、しばし呆然としてから。

 歯を見せ、陽気に笑った。


「あなた最っ高ね!

 よぉし二人でエスカをぐっちゃんぐっちゃんにしちゃいましょう!」


 頬に両手を添え、足をばたつかせながら興奮する様子のメリーを見て。

 ライラは笑顔を凍り付かせ、熱く赤くなる耳を自覚しながら。

 左手の中に魔法で針を作り出し、その先を捻り込みながらメリーに投げつけた。


 どすっ、と景気の良い音を立て、針がメリーの額に刺さった。


「ほぎゃあああああああ! あこれいったいいた刺さって、刺さり方深いわよ!?」


 えぐい突き刺さり方をしたが、どうもメリーはエスカと違って簡単には死なないようだ。

 なら安心だと、ライラは会心の出来だった針の魔法をにこやかに消した。

 当然に細い穴だけが残り、血が噴き出る。


「あ”あ”ー!? ち、ちがいっぱいでるまずいでしょこれおたすけー!!」


 騒がしいメリーに、回復魔法をかけようとして。

 ……ライラは魔法の構造式を、ド忘れした。


 結局メリーはマジックが駆け付けるまで、瀕死の魚のようにのたうち回ることとなった。




 そうしてその後にライラは。

 長い長い、物語を聞いた。

 彼ら『七つセブン陽気メリー祈手プライヤーズ』の、遠い遠い旅の話を。

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