第16話 覚醒の剤

「はて?……はて、はて、はて?うううううぅぅぅむ?」


 チャックルが大袈裟に首を傾げる。

 声だけではない。目つきや表情、果ては全身で主張する。

 ──『何を言っているんだね?』と。

 心の中で豊姫を見下している彼にとって、彼女の発言は盛大にズレた妄言でしかない。

 そういう先入観に囚われている。


「ゆ、ユッピー?君は……」


 ただし、もう一人の“彼女”と目が合ったことで、チャックルは再考せざるを得なくなった。

 分かっていないのは自分の方なのか。そういうこともあるのか。


「って!いや、いや、いや!そんなわけがあるかぁ!私が君にどれほど貢いできたと思っている!?どれほどのご褒美をあげてきたと思っている!?」


 否、先入観というものは大樹のように存在感を発し、人間の脳に深く根を張るものである。

 年齢を重ねれば重ねるほどに、深く深くにだ。

 そんな凝り固まったチャックルの思考に、若き女子高生が追撃を放つ。


「ユッピーを束縛して望みもしないもの勝手に押し付けて!そんなのただの自己満足ジコマンじゃん!それをご褒美って……自分に酔いすぎなんだよオッサンが!」

「の、望みもしない、だって?し、知った風な口を……!中毒者というのは望んでくるのだよ!自己満足なんかじゃない!相手が欲しがるから取引になるのだよ!」

「だから言ってるじゃん!ユッピーは中毒者じゃない!!」

「っ……!!」


 ギュン、と音が鳴りそうな勢いでチャックルがユッピーの方を向く。


(中毒者じゃ、ない?いや、いや、いや……この女バカすぎん?だって……)

「ユッピーは自分の欲望のために罪を犯したりしない!ましてや覚醒剤!?そんなもん貰った帰りに捨てるに決まってんじゃん!」

「だって、それじゃ説明がつかんだろうがぁ!」


 大きな目をさらにカッと見開き、チャックルは叫ぶ。


「中毒者でないのならどうして私に会いに来るのだ!?どうしてカラダを売ってまで次の覚醒剤モノを求めるのだ!?何度も何度も何度も何度も!他に理由などないではないか!」

「最低……知ったかぶって今度は責任転嫁!?ホンット最低のクズ!」


 豊姫が統和の方を向く。


「聞いて、お巡りさん!あんたお巡りさんでしょ!?」

「え?いや、俺は……」


 自分のどこが警察官に見えるんだ、と野暮なツッコミをする時間は貰えなかった。

 豊姫は返答を待つことなく捲し立てる。


「こいつはユッピーとの行為を撮影して、また来なきゃネットにばら撒くって脅したんだ!それだけじゃない!あたしが学校でいじめられてることも引っ張り出した!ユッピーがあたしを庇ったからこんな復讐を受けたんだって、周りの人たちはそう思うって……あたしへの虐めも増えるって唆したんだ!」

「え?私が?そんなことを?いつ?」


 全く見に覚えのない話。チャックルはただただ目を丸くするだけだった。


「ユッピーは優しい子なんだ!全部あたしを守るために自分が犠牲になる道を選んだんだ!こんな卑怯なオッサンに跪いてまであたしのために!」

「うぅぅぅぅ……!」


 ユッピーが両手で顔を抑えてその場に崩れる。

 豊姫の発言に便乗したとは思えない、それは紛れもない本音の表れだ、とチャックルにはそう見えた。


「お巡りさん、お願い!ユッピーを許してあげて!ユッピーは何も悪くない!全部あたしのためにやってくれたことなんだ!」

「俺は警察じゃない」


 待ちかねたと言わんばかりに、統和はその一言だけを素っ気なく言った。

 彼自身、自分が状況を正確に把握していると思ってはいなかった。

 余計な言葉を口にすれば、またどこかに混乱が生じると思った。


(確かに、豊姫の言うようにユッピーは覚醒剤を接種していないのだろう。覚醒剤の所持・接種は言うまでもなく罪だが、それを『オーディール・ドアー』が検知して何か起こしたようには見えない。チャックルはともかく、ユッピーは範囲内に入っていたのにだ。まぁ、どちらでもいいさ。俺の標的はユッピーじゃないんだ)


 統和は良くも悪くも中立だった。

 豊姫の訴えかける“ユッピーの善悪”という議題を強制的に脳から排除し、チャックルという真の標的だけを見据えていた。

 一方でチャックルの方は混乱を極めていた。


(そりゃユッピーに惹かれたのは事実だが、脅迫までして自分の側に置こうとした覚えはない。警察にタレコミさえしないのなら“どこへでも行け”だ。大体、豊姫こいつへのいじめなんざ私が知るわけないだろうが!初対面だぞ!自意識過剰にも程があるわクソボケがぁ!)


 考えたいことは山ほどあったが、豊姫への怒りが自然と溢れ出し、思考を妨げる。


(お、落ち着くのだ……!私が考えなくてはならないことは何だ!?)


 何が正しくて何が間違っているのか。互いに勘違いをしているとして、どこまでが合っていてどこからが違っているのか。

 ……そこではなかった。


(統和くんだ。ひとまず今は統和くんの方を何とかしなくてはならない)


 統和が接近し、扉を開く。最悪の事態はそれだった。

 その事態を阻止するはずのユッピーはもはや使い物にならない。

 今となっては自分がどうにかするしかないのだ。


「そう、使い物にならないのだろうな。そういうものとして動くとしよう」




「あぐっ!」

「……ユッピー?」


 小さな呻き声と何事か心配する声。いまだ炎の弾ける港湾倉庫で放たれた声は二人分だけ。

 統和が声を出さなかったのは、口にするまでもなく事態を把握できていたからである。


「紹介が遅れたなぁ、統和くん」


 そこにいたのは、注射器だらけのウニのような頭部をした精霊の姿。

 体は白衣を着て二足歩行という人間らしさがあるが、その隙間から覗く肉体はサンゴの死骸のように枯れ果てており、ホラー映画に出てくる化け物のような恐ろしさを醸し出している。

 ──その精霊が頭部から引き抜いた注射器を一本手に取り、ユッピーの首筋に突き刺していた。


<挿絵:https://kakuyomu.jp/users/FoneAoyama/news/16817330665801184337


「『ウーフー・フーニブ』と、そう私は呼んでいる。なに心配はいらないさ、ここで彼女の命を奪うメリットは無いからな。そうだろう?」

「ユッピー、どうしたのユッピー!?」

「あ……ぐ……ぐ……」


 役目を終えた注射器は取り除かれ、後には苦しみと共に倒れこむユッピーだけ。

 精霊の姿が見えない豊姫には何が起きているか分かるはずもない。


「今までどうだったかは置いておいてとりあえず一本、追加した。これで確実だ。ユッピーの体内に覚醒剤が入った」

覚醒剤そいつがそんなに重要か……!」


 統和の足が止まる。

 彼が懸念していたのはこれだった。


「危ないところだったなぁ!ユッピーが人間だったとは!何の力も持たない哀れな子猫を一匹、死地に送りだしていたとは!ウーフー!」

(変だとは思った。さっきユッピーが自暴自棄になって歩いてきたときも、チャックルは。自分が何もしなくても事態が好転すると確信していたんだ。その時はユッピーを中毒者だと思い込んでいたから。つまり奴の能力は──)

「『ウーフー・フーニブ』!」

「そこから離れろ豊姫!!」


 鈍い音と共に彼女の肉体が宙に浮きあがる。

 もう一人の彼女が再び起き上がる頃には、吹き飛んだ肉体は地面に落下し、動かなくなっていた。


「ぐ……ぐご……グゴゴ……」

(腕力が……まるで違う!)


 先ほどまで統和が彼女に感じていた魅力が、今となっては微塵も残っていない。

 操り人形のような不気味な動きで、彼女はチャックルに寄り添い始める。


「文字通り“覚醒させる”。『ウーフー・フーニブ』の能力チカラなくして私がこの世界で生き残ることはできなかったよ。さてユッピー、もう一度だけ同じことを言おう」

「ゴ……ゴ……」

「統和くんを倒しに行──」

「ゴォォォルルルグォァァァァァーッ!!」

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